8話 あたしが聞きたいのは、こんな可愛くて小さな女の子の「ごめんなさい」じゃ、ない
ドウガネブイブイ事件(1)
あさぎちゃんが家に来てから三日目の夜。
あたしは、自室のベッドであさぎちゃんから無理やり借りてしまった本を読んでいた。
コォーと、エアコンの冷房が動く音。
あたしが本を読み進める度にめくられる紙の音。
この二つが主にあたしの部屋に響く音となる。
そんな静かな部屋の中に、携帯電話のバイヴレーションが突然振動しはじめた。
「おっ――」
震えながら自分の存在をアピールする携帯を手に取って開き、液晶画面を確認する。
どうやら、メールの新着をあたしに知らせたかったみたいだ。
片手でカコカコと数字の書かれたボタンを押して、メールを開くと差出人はほのかだった。
読んでみると『今週末、遊びに行こうよ』と、いう内容が絵文字と一緒に書かれている。
短い文章なのに、使われている絵文字のおかげか彼女のテンションの高さがうかがえた。
あたしは、急ぎ返信しようと操作し、つい、文章を口ずさみながらボタンを押していく。
「えっと……い、ま。小さい子を、預かってって……家を、出られない、っと」
一度、文章に誤りがないかをチェックしてから、猫の顔の絵文字を添えて送信した。
携帯を枕元に置き、本に再び目を通そうとした途端、また携帯が震える。
「――はやい」
すぐさま手に取ると、ほのかからの返信だった。
メールには『小さい子?』と、質問する文章が短く書かれている。今回は絵文字も少ない。
「う、ん……と、かおるさんの同僚の、こどもさん……小学生の、女の子だよ……っと」
文章の最後に、どんな絵文字を付けようかと一瞬迷い、絵文字の一覧を開く。
すると、その中にちょっとだけあさぎちゃんに似た雰囲気の女の子の絵文字があった。
その絵文字を選択して、文章に目を通し、送信する。
今度は、すぐ返信が来るだろうと携帯を手に持って待った。
すると、案の定すぐに携帯がぶるぶると震える。
メールを開くと、『小さい可愛い女の子と一緒にお留守番してるってこと?』とあった。
彼女の驚きの表情が想像できる顔文字と一緒に。
『そうだよ』と、返信しようとした所でまた携帯が震える。
差出人は再びほのかで『あたしも一緒にお留守番したい! その子に会いたい!』と、書かれてあった。
今週末はあさぎちゃんと二人きりで過ごす初めての休日になる予定だった。
しかし、あさぎちゃんと打ち解けていない私にとって、これは不安しかない人員配置だ。
でも、トキには小学校の研究会があり、かおるさんにも夕方までの仕事があるため無理は言えない。
だから、もしほのかが来てくれるというならすごく心強かった。
けど、あさぎちゃんに断りもなくほのかを家に呼ぶわけにもいかない。
私はひとまず親友への返答を保留し、一度あさぎちゃんにほのかが来てもいいか訊いてみることにした。
夜とは言え、まだ夕飯を食べてからそう時間も経っていない。
まだ、あさぎちゃんも寝ていないだろう、と考えながらあたしは自室を出た。
あさぎちゃんは今、かおるさんの部屋で、かおるさんと一緒に寝泊まりしている。
あさぎちゃんに伝えるついでに、かおるさんにもほのかが援護に来てくれることを伝えようと、そう思っていたのだが……。
あたしは自室を出てすぐに居間が少し開いていることに気付いた。
誰がいるんだろう?
そう思ってふすまの隙間から中の様子をうかがってみると、あさぎちゃんがいた。
こちらに背を向けてぺたんっと、お尻を付けて座りながら本を読んでいる。
その後ろ姿は、まるで自分の部屋にいるかのようにリラックスして見えた。
……これは、いつぞや、見た光景だ。
ふと、枕元に置いた読みかけの一冊の童話のことを思い浮かべる。
あたしは彼女への罪悪感に苛まれながら、次こそ失敗してなるものかと、一つ深呼吸をした。
「すうぅ……ふうぅ……」
あさぎちゃんは、きっと本が好きなんだろうなぁ。
そんなことを考えながら、ふすまに手を添えて、そっと開く。
「あの、あさぎちゃん、ちょっといい?」
そうっと、そうっと……決して驚かさないように、と、声を出したつもりだった。
それでも、あさぎちゃんの後姿がぴくりと肩を震わせる。
直後に慌ててこっちを振り向く彼女に、申し訳なさが募るばかりだ。
「ごめんね、びっくりした?」
表情をできるだけやわらかくしようと頬に意識を集中させてみた。
けど、あたしはこれを上手くできていないんだろう。
おそらく、硬いおもちみたいな笑顔を顔に張り付けているあたしに――
「えっと、びっくり、して……ないです?」
――あさぎちゃんは、なんで私は謝られたの? とでも訊くように首を傾げて答えた。
「そう? なら、よかった……えっと、少しお話いい?」
いつかとは真逆の状態だ。
ふすまの陰に体を隠し、顔だけ出して訊ねるあたしに、あさぎちゃんは居間で本を持って座りながらこくりと頷いた。
「あのね、今週末、トキとかおるさんが、お仕事でお家にいないでしょう?」
あさぎちゃんは、言葉の意味を噛みしめるように間を置き、ぱちぱちと瞬きをしてから頷く。
「それでね、あたしの友達が、あさぎちゃんとあたしと一緒にお留守番したいんだって。あさぎちゃんと会ってみたいって言ってる子がいるんだけど……いいかな?」
ゆっくりと思案しているのか、あさぎちゃんは一度顔をうつむけ視線を落とす。
再び顔を上げた時、彼女はどこか不安そうだった。
「あの……その人。浅緋おね――あっ……浅緋さんの、友達?」
知らない相手が来るかもしれない。
そのことに緊張を覚えるのか、問いかけるあさぎちゃんの体は強張っているように思える。
「そう、あたしの友達」
一瞬、嫌だと言われるかもしれない。そんなことが頭を過った直後。
「あの、どんな人……ですか?」
あさぎちゃんは、予想外に一歩踏み込んできてくれた。
まだ、数日しかこの子と一緒にいない。
あたしは、あさぎちゃんのことをよく知らない。
たぶん、この子は……おとなしくて、物静かで、虫が苦手で、少し人見知りをする。
だけど、ここぞという時に、すごく胆力のある女の子だと思う。
「そうだなぁ……」
あたしは、そんなあさぎちゃんの言葉に驚きながら、ほのかの容姿を思い浮かべた。
「あのね、髪がね……短くって」
自分の片手を首元に添えて、このくらい、と示すようにあさぎちゃんに見せる。
けど、彼女はあたしの仕草をぼうっと目で追うだけで、伝わっている気がしなかった。
その様子から、きっとあさぎちゃんには容姿の詳細は重要じゃないんだと判断する。
だから、ふらふらと動かしていたジェスチャーを止めて、彼女の傍に行こうと思った。
自分の言葉が伝わる距離で、ほのかのことを話したい、と……そう思ったからだ。
近付いて、けど不安にさせないようにと、手を伸ばしても届かないだろう距離をとる。
ゆっくりと腰を落とし、自分の目線を彼女の目線の高さに合わせた。
あさぎちゃんのくりくりとした瞳を見つめながら、あたしはほのかのことを話し始める。
「……あの子は、ひまわりみたいに笑う子、かな」
「ひまわり?」
「うん。ひまわり」
つい、口をついて出た言葉に、少しきざだったろうか? とも思った。
けど、訂正することなくあさぎちゃんに頷いてみせる。
あたしが知る中で、ひまわりほどほのかに合う花も他にない。
周りのことなんてお構いなしに、ぐいぐいと太陽に向かって背を伸ばしていくところとか。
何より、明るい方に向かって、大きな花を咲かせるところとか。
強引だけど目標にまっすぐで、眩しいくらいの笑顔をあたしに向けてくれるほのかには、ひまわりが似合うと思った。
「ほのかは、ひまわりみたいな子だよ」
ほのかの顔が頭に浮かぶ。あたしは、自分の頬が緩んだのを感じた。
「……わたし――」
そして、あさぎちゃんの声が耳に届く。
「――会って……みたいです」
あたしはこの時、どんな顔をしていただろう?
ただ、あさぎちゃんがほのかに会ってみたい、と。
そう言ってくれた時、ほっとしたような嬉しい気持ちになった。それは確かだ。
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