パレットなSummer Festival!(3)
もはや顔を上げる元気もなければ気力もない。
そもそも、顔を上げようとすら思えなかった。
この時間、ラウンジには昼食を摂ろうと学生グループがいくつか集まってくる。
つまり、顔を上げた途端に誰かがごはんを食べている場面を目撃することが必然なのだ。
あたしは自分の心に羨ま恨めしい食事の光景など決して見るものかと固く言い聞かせる。
しかし、隣でガタッと物音がし、つい顔を上げ視線を向けてしまった。
すると、一人の男子学生が手で椅子を引く光景が目に入る。
突っ伏して見上げているせいか、彼はあたしの目にわりと長身に映った。
体格も悪くないと感じ、そういった外見も手助けして、彼にはどこか不愛想な印象を受ける。
そんな男子学生が「はぁ」とため息を吐きながら隣の席に椅子に座った。
彼は肩にかけていた紺色の手提げかばんを丸テーブルの上に置き、その中から大と小、二つのお弁当箱を取り出す。
その様子を見てあたしは『なるほど、男子だ』とお弁当の数に納得した。
彼はぱちんと手を合わせると「いただきます」と口にし、お弁当箱のフタに手を掛ける。
そして、開かれたフタの中からはぎっしりと詰まったおかずの匂いが漂いだした。
当然、それらの匂いは空腹のあたしには言うまでもなく毒である。
あたしはつい、ごくりと生唾を飲んでしまった。
決して見るまいと決めていた光景。
それが今、不運にも目の前で繰り広げられている。
他人の食事を見て、こんなにも羨ましいと感じたのは初めてだ。
いつの間にか、あたしは
けど、彼はあたしの視線など気にすることもなくおかずを口へと運んでいく。
ぼうっとそれを眺めてしばらくすると、彼は一つ目の大きい方のお弁当箱を完食した。
「ふぅ」と満足そうに吐息をこぼす男子学生。
彼は完食したお弁当のフタを閉じると、もう一方のお弁当に目線を落とした。
あたしはその様子を半ばやけくそになりながら見守る。
『さあ、それも食べるんだろう? 早く食べてしまえっ』
と、妬ましさを胸中に渦巻かせていた時だった。
彼は、予想に反して小さい方のお弁当箱をかばんにしまおうとしたのだ。
それを目にした瞬間、あたしは思わず立ち上がる。
気付いた時には「それ、食べないのかっ?」と、声をあげ、お弁当をしまおうとする彼の手首をがっしりと掴んでいた。
男子学生はぎょっとしてあたしの顔を凝視する。
当然、その顔は驚き一色に染まっていくわけだが、彼はつかえつかえに答え始めた。
「えっと……これは、元々母さ――母の分だったんですけど、あの人、弁当持って行くの忘れたみたいで。だから、もったいないから自分で食べようと思ったんですけど、量が多くって食いきれなくて――」
「なら、賭けをしないか!」
彼の言葉を遮り、あたしは彼の座る席へと移動する。
その後、丸テーブルの上に身を乗り出し――
「あたしが勝ったらその弁当、譲ってくれないか?」
――有無を言わさぬつもりで口を開いて、彼の瞳を見据えた。
しかし。
「悪いけど俺、賭けはしない主義です」
思いの外あっさりきっぱり断られ、あたしは意気消沈する。
「そ、そうか……」
意気込んでいた反動か、体からはどっと力が抜け、あたしは積木が崩れるようにテーブルの上に突っ伏していった。
すると、腹の虫がなく代りに、口から弱音が漏れ出始める。
「はぁ……お腹空いた」
これはほぼ独り言に近いもので、あたしはこの時、誰かが傍にいるという認識ができていなかった。
そんなあたしの視界に、すぅっとお弁当箱がスライドインしてくる。
急に目の前に現れたお弁当を見てパチパチと瞬きをし、あたしはがばりと上体を起こした。
「どうぞ、差し上げます」
確かに耳にした彼の言葉。
それは低く落ち着いた男性の声であるにもかかわらず、あたしには天使の歌声のように聞こえた。
「いいのか?」
「その……母さんも勝手に食べてると思いますし、持ち帰っても持て余すっていうか……それに、お腹空いてるんですよね?」
「ああ! とても!」
否定することなく頷き、弁当を差し出す彼の手を握りしめる。
そして、あたしは照れくさそうに「大げさですよ」と言ったトキ君からお弁当を受け取った。
そんな、色気がなく、食い気に彩られた思い出が、があたしと彼の最初だった。
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