パレットなSummer Festival!(13)

「うっ……」


 またポイに穴が空いた。

 ポチョンと水音がした直後、眼下を金魚が泳ぎ去っていく。

 慌てて水桶の中を覗き込んでみても、今さっき逃がした子がどれかなんてもうわからない。

 だから、あたしは再起不能になったポイをにらみつけて溜息を吐くしかなかった。

 すると、


「浅緋、また?」


 ひょいひょいっと水面から軽々と金魚を攫いながら、呆れた声色でほのかが話しかけてくる。


「う、うるさい……」

「浅緋おねえちゃん、どんまいやで!」


 励ましてくれるあさぎちゃんも、こちらに目線だけ向けたまま休まず金魚を掬い続けていた。


「あはは……はぁ」


 この二人は、どうしてそうよそ見をしながらでも上手なんだろう?

 殉職したポイを指先でくるくると弄び、ひとしきり慰み物にした後でゴミ箱へと弾く。

 直後、屋台のおじさんから「もう一回するかい?」と誘われたが静かに首を振って断った。

 というのも、ポイをダメにしたのはこれが二回目だったからだ。

 

 フタを開けたラムネ瓶を空にした後、あさぎちゃんは真っ先に金魚掬いをやりたがった。

 そして、屋台を見つけるなり『皆でやろう』ということになったのだけど……。

 つまるところ、コレがへたくそなのはあたしだけだった。

 だが、あんまり早くに『いちぬけた』をするのもつまらない。

 半ばリベンジのつもりで二回目に挑んでみたのだが……結果はご覧になった通りだ。

 まあ、上手な二人の様子を見守れたら、それだけでも十分に楽しくはあったのだけど、


「ごめん、ちょっと離れた所で待ってるね」


 次第に客が増え始め、あたしは浴衣姿の子どもたちが列を作りだす前に屋台から離れた。


(…………)


 道端でひとり、丸く小さな影の上に立って身長差がある背中を見守る。

 そうして肌がじりじりと陽射しに晒される中、いつだったかの夏を思い出した。


(……前にもこうやって、金魚掬いしてるほのかを待ってた気がするなぁ)


 けれど、それはいつだった?


(あ、そうだ)


 一緒に夏祭りへ行った時――中学の頃。


(……あの時は、隣にトキがいたんだっけ?)


 ぼんやりとほのか達の輪郭を捉えながら、益体のないことばかりが脳裏に浮かぶ。

 こんなふうに何もせず、勉強のことを忘れる時間は久しぶりだった。

 そのせいだろうか?


 『君にとってトキ君はどんな存在なのかな?』


 ここ数日、考えることを避けていた問いかけが、るりさんの声で再生される。

 だからあたしは、


「あたしにとってのトキ……か」


 二人の背にあやふやな目線を向けたまま、しまい込んだ記憶の景色へコンコンとノックした。

 中学生だった頃の自分――きっと、彼に恋した瞬間のあたしを思い出す。


(あの時もお祭りの日で……金魚掬いをしてたんだよね)


 トキへの気持ち……それは昔からずっと変わらない。

 ううん。むしろ、この想いはだんだん強くなっている筈なのに。


「どうしてあたし、るりさんに何も答えられなかったんだろう……」


 どうしてあたしは、あの頃よりも自分の気持ちがわからなくなっているんだろう?

 どうして……。


「…………」


 答えなんて出る筈もなく、散らかったままの思考は長く続かない。


「……暑ぅ」


 汗が首筋を伝い、次いで喉の渇きを感じた拍子にぼんやりと始まった集中がぷつんと切れる。

 でも、考えないようにしていた問いかけは、考えるのをやめた後も胸の中でくすぶり続けた。

 けれど――、


「浅緋おねえちゃーん!」

「えっ……あ、お帰り!」


 ――あさぎちゃんの声が聞こえた瞬間、もやもやとくすぶった考えを胸の底へと押し込める。


「えへへ! 見て! めっちゃ掬えたで!」


 透明な巾着袋の中で泳ぐ金魚を見せびらかす笑顔。

 それが大切な宝物を広げているようにも見えて、陰った表情なんかで応えたくはなかった。

 だから、にっと口角をあげる。

 しかし。


「見せてくれてありがとね……あさぎちゃん、本当に上手だなぁ」

「ほ、ほんま?」


 小首を傾げながらくすぐったそうに頬が緩むあさぎちゃんの笑顔はとても嬉しそうで……。

 気付いた時にはもう、つられて自然と口元がほころんでいた。


「……ほんとうだよ」

『無理して表情を作る必要なんてなかったんだよ』なんて考えて、さっきまでの自分を笑う。


 そして、今もにこにこと幸せそうなあさぎちゃんに質問を返した。


「そんなに楽しかった? 金魚掬い」

「うんっ! あ、でも……えっと、そうやなくてな?」


 ハキハキとした返答の直後、恥ずかし気な熱を帯びた声音と共に彼女の瞳が伏せられる。

 でも。


「あさぎちゃん? どうかした?」


 あさぎちゃんはちらっと上目遣いにあたしを見つめ――もう一度、目線を逸らした後、


「う、うちなっ――」


 ぱっと顔をあげると、赤面しながら大きな声で教えてくれた。


「――浅緋おねえちゃんに褒められるの、とくべつ嬉しいねんっ」


 その瞬間、あたしは言葉を失ってしまう。

 無邪気に向けられた笑顔から、真っ直ぐな好意が伝わって来た。

 すると、じんっと心の奥が温かくなって――ああどうしようっ。

 しまりのない顔が……今、きっとすごくかっこわるいっ!

 だけど、


「あんな? お母さんとか、学校の先生とか……あと友達に褒めてもらえるのも嬉しいねんけ

ど……浅緋お姉ちゃんのはとくべつ。そう、とくべつ嬉しくなってな……えへへ。だから今も、なんかうれしいねんっ」


 すぐに、そんなことはどうでも良くなるくらい……嬉しい気持ちが溢れてしまった。

 しかし、同時にあたしは驚いていた。


「大好きな人に褒められるのって嬉しいよね、わかるよぉ。ふふ、良かったじゃん、浅緋っ」


 それこそ、からかうほのかの声なんて聞こえないくらいに。

 だって、思いもよらなかった。

 あさぎちゃんがあたしに……ううん、違う。

 あさぎちゃんが、あたしと同じことを感じていたことに驚いたんだ。

 特別な誰かに褒められるのが、すごく嬉しいという気持ち。

 目の前にいるちいさな女の子の気持ちがすごくわかってしまって……本当に驚いてしまった。

 それに、これまで考えもしなかったんだ。

 あさぎちゃんにとっての自分が……あたしにとってのトキかもしれないだなんて……。


「…………」

「浅緋おねえちゃん? どうしたん?」


 幼さの残る声にハッとして、呆けていた自分の頬をぺしんと叩く。

 もう一度、彼女へと向き直り、熱くくすぐったい気持ちを今すぐ言葉にしたかった。


「なんでもないの。ただね、なんていうか……あたしも、あさぎちゃんにそう言ってもらえてすごく嬉しかったから……だから――ありがと、あさぎちゃん」


 恥ずかしかったけれど、あさぎちゃんから勇気をもらえた気がして照れ笑いが浮かぶ。

 そして、


「浅緋おねえちゃんっ」

「わっ! あ、あさぎちゃん?」


 ぱっと彼女の笑顔がはじけた途端、細い腕があたしに抱き着いていた。


「やっぱりうち、浅緋お姉ちゃんのこと大好きや!」

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