ソースとケチャップ(4)
ふっわふわ、とろっとろのオムライスを作る。
その目標を胸に、俺は台所に立っていた。
食卓にはそのための材料、卵を始め人参、玉ねぎ、ブロッコリーの野菜はもちろん、鶏肉や調味料も配置している。
そして、今回はふっわふわ、とろっとろをすぐさま食べてもらうために、完成前から浅緋も食卓に座っていた。
「あたし、別に普通の奴でいいんだけど……」
今回のオムライスを作る際、浅緋はそう言ったのだが、俺が譲らなかった。
結果、浅緋は不貞腐れた表情でテーブルに肘を尽きながら料理の完成を待っている。
俺は、そんな浅緋の早く作れと言わんばかりの視線を背中に受け、急かされるように料理を始めた。
包丁を手に取り、まな板の上に乗せた野菜を全てみじん切りにしていく。
ドラムでも打っているような軽快な音を鳴らしていると、刃の側面に細かくなった野菜が張り付いた。
それを指で拭い、別の容器に既にみじん切りにした野菜と一緒に移せば、次は鶏肉だ。
ひんやりと冷たくやわらかい胸肉を、一口サイズよりさらに小さい大きさになるよう刃を通していく。
そして、オリーブ油を垂らしたフライパンの中に、今切ったもの全てを入れ炒めていった。
夏の熱い環境で聞くジュウゥッと油で食材が焼けていく音が余計に発汗を促そうという中、フライパンの中で食材が温まって来た頃を見計らって下味の為にケチャップを少量加える。
食材全体がケチャップの薄い赤に染まった頃、一人分のほかほか白ご飯をその中に投入した。
木べらで切るようにご飯と野菜、鶏肉を混ぜ合わせながら炒めていく。
そして、それらの食材とご飯が混ざりきる前にマヨネーズのふたを開け、ぐるりとフライパンの中を一周してかけた。
薄く赤い色が移り始めていた白米と、赤く色づいていた野菜鶏肉に、白っぽい黄色のマヨネーズが混ざっていく。
そのまま混ぜ合わせるように炒めていくと、マヨネーズの油分のおかげか、ご飯がぱらぱらとばらけ始め、食材とよく混ざり合っていった。
こうなれば、あとはケチャップでしっかりと味を付ければ一段落だ。
食卓から台所に移動していたケチャップをもう一度手に取り、薄く赤に色づいた白ご飯により濃い赤が付くようにたっぷりと加えていく。
そして、カチッとふたをした容器をコンロの傍に置き、和えるようにご飯を炒めていった。
すると、しばらくもしない内にご飯に濃い赤色が付き、ケチャップライスが完成する。
この熱く湯気が立つケチャップライスを食卓のお皿に移し、楕円形に盛って形を整えてから、卵に取り掛かった。
ボールの縁に卵の殻をぶつけ、カツンと音を鳴らしながら卵を三つほど割って中に落とす。
器の中の卵に塩コショウをサッと振りかけ、菜箸を使いながらカカカカッとかき混ぜて溶いていき、後は、再びフライパンにオリーブ油を垂らす。
ぷつぷつっと、温まった油が音を立てだした頃を見計らい、黄色い卵を滝のように一気にフライパンの中へ流し込んだ。
熱された溶き卵がぷくぷくと気泡を孕みながら凝固していく。
そんな卵が完全に焼けてしまわないように、菜箸を使いながら端から包んでいく。ここは、半熟のオムレツを作るのとそう変わらない手順だった。
フライパンを揺すると、プリンのようにふるふるっと震えるようになると、火を止め、俺はそれをケチャップライスと浅緋の待つ食卓へと運ぶ。
浅緋を見るとテーブルの上に上半身を寝そべらせて、スプーンを握りながらぐいーっと伸びをしていた。
それが何だか待ちくたびれた、と体を使って俺に抗議しているようで、申し訳ないような、微笑ましいような心持になる。
「さ、仕上げだ」
浅緋の視線を感じながら、俺はフライパンをケチャップライスへと傾け始めた。
半熟のオムレツが破けないように、形が崩れないように……慎重にオムレツを赤い楕円形のご飯の上に乗せていく。
そして、オムレツがちょこんっとライスの上に被さったのを見届けるとフライパンを除け、ナイフを手に取った。
「行くぞ……」
浅緋にそう告げると、彼女の双眸が俺の手に持つナイフの刃に注がれる。
浅緋が見守る中、ナイフはすぅっとオムレツの中に刃を埋める。
俺がペンで直線を引くように、軽い力でナイフを動かしていく。
すると、半熟のオムレツは花を咲かせるようにケチャップライスを覆い広がっていった。
「あっ……わあぁ――」
それを見た浅緋の顔が少し明るくなる。
彼女の口から感嘆の声が漏れ、それを自覚したのか急ぎ手で塞いでいた。
「な、なに?」
ジトリと俺をにらむ浅緋の目が、何も言うなと語りかけてくるようだ。
「さ、とろっとろの内に食べてくれな」
それを聞くやいなや、彼女はぱちんっと小さな手で合掌する。
「いただきます」
そう言ってスプーンの先を、ふんわりとやわらかにとろける卵の中に滑り込ませていった。
すぅっとすくい上げられたオムライスはふるふると卵のベールを震わせながら浅緋の口の中へと吸い込まれていく。
ぱくっと、スプーンが彼女の口の中に消えた時、浅緋の頬が緩むのが目に見えてわかった。
ここでわざわざ「おいしい?」とか聞いたら、また彼女ににらまれるかもしれない。
口で感想を言ってもらえずとも、この表情を見られたら十分だ。
黙々と、でもどこか楽しそうにスプーンを口に運んでいく浅緋を後にして、俺は自分の分のオムライスを作りに台所へ戻る。
しかし。
「あれ?」
彼女に作ったのと同じ手順でオムライスを作り、完成したオムライスを食卓に持って行った時、俺はそれに気付いた。
テーブルの上に、ケチャップがないのだ。
オムライスを食べるなら、やっぱりケチャップは必要だろう。
黄色い半熟の卵がとろとろと、またてらてらと食欲を誘うオムライスに、赤い一筋のケチャップ。これが、このオムライスの醍醐味だ。
なのに、そのケチャップが食卓のどこにもない。
浅緋が使って冷蔵庫に戻したのだろうか? と、思い訊いてみようかと思ったのだが、彼女は俺が自分の分のケチャップライスを作っている頃には「ごちそうさま」の声を残し、この一室から出て行っていた。
と、そこまで思い巡らせて俺は自分に呆れることになる。
「あ!」
食卓になんて、無い筈だ。
俺は台所へ振り返ると、コンロの近くにケチャップが置いてあるのを見つけた。
あれは俺が料理をしている間も浅緋がオムライスを食べている間も、ずっとあそこにあったんだ。
そもそも、なんで浅緋がオムライスを食べる時に気が付かなかったんだろう。
半熟オムレツが花開くように広がっていくのに、俺自身意識が集中していたのだろうか?
そんな理由を見つけてみたが、今更どうなることでもない。
「せっかく、挽回のチャンスだと思ったんだけどな……」
俺は食卓にオムライスを置いて台所へ。ケチャップを手に取ると、固まってしまった。
浅緋は、ケチャップのかかってないオムライスを食べておいしかったんだろうか?
どうして、ケチャップが無かったことを言ってくれなかったんだろう?
ちゃんと、味がしたんだろうか?
そんな疑問が頭に浮かぶ。
けれど、浮かんだ疑問に対して、これからどうすればいいかが思いつかなかった。
呆然とケチャップを眺めながら食卓に座ると、目の前には俺の作ったオムライスがある。
俺はケチャップを置き、スプーンを手に取る。
そして、何もかけずにオムライスをすくい、口の中へと運んだ。
やはり、何か物足りない気がする。
味にパンチがないと言えばいいのか、口の中に入れた瞬間の食べた! というのがないのだ。
だが、咀嚼を繰り返していくうちに気付くこともあった。
普段からケチャップを付けているから物足りないとは感じるが、味がない訳ではない。
例えば、卵には調理する時に振りかけた塩コショウの味はついているし、当然、素材の味というのはするものだ。それに、ケチャップライスにだって味はついている。
これは、味がしないと言うよりは、味が薄いと言った方が適切だ。
頭の中でそんな結論が出た時、俺はオムライスをおいしそうに食べていた浅緋の顔を思い出した。
「……もしかして、浅緋にはおいしかったんだろうか?」
ひょっとしたら、浅緋は濃い味付けが苦手なんだろうか?
「濃い、味付け……」
自分の口を吐いて出た言葉に、ものすごい引っ掛かりを感じた。
この引っ掛かりは連想ゲームとなって、頭の中を駆け巡り、一つの推論に辿り着く。
「あああっ!」
昨日、そして今朝。どうして浅緋が怒っていたのかがわかった!
俺は勢いよく立ち上がり、浅緋の部屋へ急いだ。
◆
「浅緋! ごめん!」
部屋の前に着くなり、俺はノックもせずに大声出して謝罪した。
だが、浅緋の部屋からはこれと言って特に反応がない。
でも、俺の声は聞こえてるかもしれない。なら、きちんと謝っておきたかった。
「浅緋、悪かった! 俺、やっとわかった! 浅緋が怒ってる理由!」
今にして思えば、もっと早くに気付いてもいいようなことだった。
俺は、致命的に彼女のことを知ろうとしてなかったんだ。
「コロッケ! 勝手にソースかけて悪かった! 浅緋の好物だって母さんから聞いてたのに。浅緋、ソースとかきっと使わないんだよな。なのに、勝手に浅緋の分にまでソースかけてた、自分勝手だった。ごめん!」
それは、浅緋がオムライスにケチャップをかけなかったことからの連想だった。
どういう理由かはまだ知らないし、わからない。
けど、浅緋はきっと揚げ物にかけるソースを苦手にしてるんだ。
もしかしたら、ソース以外のものをかけて食べるのが好きだったのかもしれない。
それか、コロッケもオムライスと同じように何もかけないで食べたかったのかも。
なのに俺ときたら、自分のことしか考えてなくて、浅緋が好きだと聞いていたコロッケに彼女に断ることもなく勝手にソースをドバドバとかけていたんだ。
「でも、もうこれからは勝手にコロッケにソースかけたりしない! 後、オムライスとか他のご飯にも! これからはちゃんと浅緋に訊いてからするし、だから、悪かった! ごめん! もう、二度としないからっ!」
ドアの前で頭を下げる。
けど、浅緋の部屋からは何の反応もなかった。
食べ物の恨みは怖いと言うけど、浅緋、そんなに怒ってるんだろうか。
「あ、あさひ?」
物言わぬドアに、なんの反応もない部屋に、俺は不安と焦りが募っていった、そんな時。
「あのさ……部屋にいないんだけど。あたし」
背後から、凛とした声でそんな言葉が聞こえて俺は振り返る。
すると、俺のすぐ後ろに浅緋がいて、困ったような顔で時折俺と目を合わせた。
何かを言いたげで、何から言っていいか迷っているような浅緋目線を感じる。
俺は、そんな彼女が言葉を切り出すのを待っていた。
「そんな、大声で言わなくてもいいし……」
ようやく紡ぎだされたその言葉に、俺は「ごめん」と呟いて声のトーンを落とす。
すると、浅緋は「もういいよ」と言って、肩をすくめて続けた。
「さっき言ってたこと、絶対約束だからね」
俺はしっかりと頷き。この約束は絶対破るまいと、心の中で固く誓った。
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