そして夏休みになる(2)
「ここ? ここが向坂さんの家っ? あ、庭がある! いいなぁ」
終業式を終えた後、あたしは
門から家の外観を覗く彼女は、庭があることに心躍らせている。
「じゃあ、ちょっと自転車戻してくるから」
青丹さんは無言で何度も頷きながら門に張り付いていた。本当に聞こえてるんだろうか?
明らかにテンションが高い彼女は、昨日教室に押し入ってきた時の青丹さんを彷彿とさせた。
そわそわしながらキョロキョロと庭を見渡す青丹さんを見ていると、遊園地にでも連れて来た気分になる。
「なんか、テンション上がってるね」
「うんっ。私の家マンションだからさぁ。お庭っていいなぁって小さい時から思ってたんだ」
つい「後で庭を見て回る?」と言うと、彼女は「いいのっ?」と、パッと花が咲いたように笑って見せた。
◆
あたしは自転車を置いてから戻り、青丹さんを連れて玄関の戸を開いた。
「ただいまー」
「お邪魔しまーす……」
伸びやかに声を発するあたしとは対照的に、青丹さんは緊張が混ざるのか控えめに聞こえる。
「なんか、他人の家って緊張するよね」
まるで小動物のようにキョロキョロと家の奥の様子を窺いながら青丹さんは言った。
「そんなに緊張しなくても、今日は夕方まで誰もいないから」
そう、言った直後。
「おっ、おかえり浅緋。そっちが言ってた友達か?」
家の奥から、いる筈のないトキが姿を現した。
それも、いつものだらしない夏の部屋着ではなく、気軽な外出を意識したような服装で、だ。
「あ、お邪魔しま――」
「なっ――なんでいるのっ?」
青丹さんの挨拶があたしの声にかき消され、あたしはつい声が大きくなった口を塞いだ。
青丹さんの前で取り乱したことが恥ずかしい。
いや、それ以上にトキがいることに驚きを隠せず慌ててしまう。
「今日は大学あるって言ってたじゃない」
昨日、今日の午後に学校の友達が来るということはトキとかおるさんには伝えてあった。
二人とも驚きながら喜んでくれたけど、かおるさんは仕事が、トキは大学があると言って、青丹さんが遊びに来ている間は家に居られないと残念がっていた。
あたしは、友達を呼ぶだけで大げさに反応されるのが恥ずかしかったから、二人が家に居られないことに、正直ホッとしていたりしたのに! なのに!
「いやな、午後の講義がほとんどレポートの提出だけで済むって教授が言ってたからさ。朝の内に提出して帰ってきた」
家に居ない筈のトキが、ちょっと良い恰好で目の前にいた。
「うぅっ、居なくてもいいって、あたし言ったじゃないっ……」
唸るあたしに、トキは困ったように笑いながら「どうしても気になって」と言い訳した。
「あの……」
そんなあたし達に置いてきぼりにされまいとしてか、おずおずと青丹さんが声を発する。
「ああ、いらっしゃい。君が青丹さん? 浅緋の従兄で千草トキって言います」
「あ! 私、青丹ほのかです! えっと、お邪魔しますっ!」
「ん。いらっしゃい。ゆっくりしていってね。浅緋、台所にお菓子置いてあるから、持って行っていいからな」
満足げな顔であたしに言うトキは、もう二人の邪魔はしないから、とでも言いたげだった。
「いっ! いいから! もういいからっ!」
あたしとしては今の時点でもう十分邪魔をされた気分というか、調子を狂わされた気分だ!
知り合って間もない青丹さんの前で、保護者アピールされるのはとてもむずがゆかった。
「ほら、青丹さんっ! こっちきて!」
あたしは自室のドアの前まで急いで歩いて、青丹さんを手招いた。
「そうだ! 浅緋、汗かいたろ? いつもみたいにタオル濡らして持ってこようか?」
「いいから! 今日はいいからっ! 青丹さんもいいよね! ね!」
「えっ? あ、うん」
きょとんとする青丹さんの腕を掴みながら、あたしは部屋のドアを開いた。
ぐいっと青丹さんを部屋に連れ込み、半身をドアから出してまじまじとトキをにらむ。
「絶対、余計なことしないでよね……」
トキの返事は聞かず、バタンっと、ドアを閉めた。
「はあぁ……」
部屋に入って開口一番口からはため息が出る。
冷房の効いてない部屋が暑いのか、気恥ずかしさに体が熱くなったのか判断が難しい。
「あ、冷房入れるね」
そう言って、エアコンのリモコンに手を伸ばし、ピッという音を鳴らして冷房を入れた。
これで一息つけると、思った矢先、視界に入った青丹さんがぼーっと本棚を眺めている。
その様子を見て、一瞬身構える。
ある程度は覚悟していたつもりだったけど、誰かに……いや、同性に部屋の本棚を見られるのは少しばかりコンプレックスだった。
女の子っぽくない――。
むしはかせ――。
昔に耳にした言葉が、浮かんでぐるぐると頭の中を回り出す。
そんな中――
「向坂さんの部屋って、図書館みたいだねっ!」
――鮮やかな笑顔をあたしに向けながら、青丹さんは一冊の本に手を伸ばして言った。
「……と、図書館は言い過ぎだよ」
視線を逸らしながら返事をして、ちらりと再び彼女に目線を合わせた。
すると、青丹さんはいつの間にか両手に収まりの良い一冊の本を抱きかかえている。
「ねぇ、これ読んでもいい?」
絶対読む! と、言っているような今の彼女にダメとはとても言える気がしなかった。
「いいよ。好きなだけ読んで」
あたしは、部屋の真ん中の丸机に青丹さんを座らせて、彼女がどんな本を手にしたのかと表紙を見てみる。そこには『美しい世界の城』と書かれてあった。
とっさに、ああ、あの本か。と、思い出す。
まだ、図鑑集めに夢中になる前、読んでいたファンタジー小説に出てくる城がどんなものかと気になって父さんに買ってもらった簡単な解説の付いた写真集だった。
「青丹さんは、お城とか好きなの?」
「うん。お城って、普段自分の住んでる所じゃ見る機会ないでしょ? だから、こういう写真とか、テレビとかで見るとすごいなぁって。昔の人はこんな所で生活してたんだなぁって思うと、大変だったろうなぁって考えちゃうんだ」
本を開いて、キラキラとした夢見る少女視線をページに注ぎながら、青丹さんは案外と現実感に溢れたことを言う。
「そう、なの?」
「うん。例えば、このお城。こんなに大きいのに昔は電気もなかったんだよ? 一日でどれくらいロウソク使ってたのかなぁとか。後は、このお城……湖の中にあって、大雨が降ったら浸水して大変だったんじゃないかなぁとか。後は……あ、これなんか部屋の数も多そうなのに、装飾がすっごく綺麗でお掃除大変だったろうなぁって」
ページをめくりながら昔の人の苦労に思いを馳せる青丹さんに、あたしは感心すればいいのか、呆れればいいのかとっさに判断がつかなかった。
けど。
「私は今の家ちょっと狭いかなって思うけど、こういう大きいお城とか見てると、狭いのは狭いのでいいかなって思っちゃうよ」
無邪気に笑う彼女を見て、きっとこれはこれで感心して良いことなんだと判断したくなった。
「すごいね、青丹さん」
「そ、そうかな?」
「うん。たぶんね」
曖昧に青丹さんを褒めると、彼女はささっと本の写真に目線を落としてしまう。
「こういう話して、そんなこと言ってくれたの向坂さんがはじめてかも」
「そうなの?」
青丹さんの顔を覗き込みながら訊ねると、彼女は恥ずかしそうに声を抑えるように答えた。
「うん。なんだか、向坂さんには私のはじめてをたくさん取られてる気がする」
伏せた目線をちらりとあたしに向けながら、またさっと逸らしてしまう。
そんな、恥じらっている青丹さんが新鮮で、顔を見ていたこっちまで恥ずかしくなった。
「そ、その言い方は、なんかくすぐったいよ」
視線を自分の手元に逃がし、指先を遊ばせる。すると、「あっ」と、青丹さんが声を上げた。
気になって、そっと青丹さんの方を見ると、彼女は本を食い入るように見つめている。
「青丹さん?」
呼びかけると、青丹さんはさっきまでの赤面から表情がころっと変わっていた。
そして――
「向坂さんが成瀬君の告白を断ったのって、あのお兄さん――トキさんが好きだから?」
――唐突に、そんな質問を真顔であたしにぶつけた。
「みゃっ! 脈絡なさすぎだよ!」
予想外の質問に面喰って、あたしは気付けば叫んでいた。
「ご、ごめんっ! ここの所に『結婚式も挙げられます』って書いてあるの見つけたら急にさっきのお兄さんのこと思い出して!」
青丹さんは、指先で本の文章を示すけど、あたしはそんな所を悠長に見ちゃいない!
「けっ、結婚とか飛躍し過ぎだし! まず、成瀬君の告白断ったのにトキは関係ないし!」
大声で叫んでから、あたしはハッ! っと、気付き自分の口を塞ぐ。
今のを、トキには聞かれなかっただろうかっ?
瞬時にドアに振り向き人の気配がないか確認した。
たぶん、トキには聞こえたりしてはいないはずだ。
しかし、万が一のためとドアを開けて部屋の周囲を確認する度胸は、あたしには無かった。
あたしは即座に青丹さんの隣に座りこんで耳元でささやく。
「あ、あのね……あたしが告白されたことは家の人には内緒だからっ」
「な、なんで? あ! お兄さんが嫉妬しちゃうから?」
「違うっ! 恥ずかしいからっ! あと、心配かけたくないから!」
きょとんと首を傾げるこの恋愛脳に、あたしはなんと説明したらいいものかと困った。
あたしがトキを好きだなんて……そんなことは絶対ないっ!
けど、それをどうやって青丹さんに伝えればいいのかわからなかった。
あたし、成瀬君には、彼が好きじゃないとどうやって伝えたっけ?
同じようにすればいいと思う一方で、どうにもうまく考えがまとまらない。
「と、とにかく! あたしが告白されたことは内緒にしてて! そうだっ! あたし達、二人だけの秘密!」
「二人だけって……学校の皆はほとんど知ってるよ?」
名案を思い付いたと思った途端、青丹さんの一言でそうだったと思い出させられた。
「とにかくお願いっ! 家の人には黙ってって!」
ずいっと青丹さんに近付き、両手のひらを擦り合せてお願いすると、青丹さんは無言でこくこくと頷いてくれる。
「ありがとう! 約束だからね!」
ほとんど一方的に約束を取り付け、あたしはすっくと立ち上がった。
「よっし! もう、この話おしまいっ! そうだ! 青丹さん、一緒に庭行ってみようよ! 行きたいって言ってたでしょ!」
「それは、言ったけど――」
青丹さんの腕を掴み引っ張り上げ、あたしは彼女の瞳をじいっと覗き込んだ。
「じゃあ、いこっ! あ、台所にお茶も取りに行こう! 外暑いから気を付けなきゃね!」
エアコンのリモコンに手を伸ばし、ついさっき入れたばかりの冷房を切る。
あたし達は部屋を出て、ひとまず台所を目指した。
台所に入る直前、トキが居ませんようにと心の中で祈る。
何故か今は、トキの顔を直に見れないような気がした。
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