1話 だから、まずは一番簡単なコミュニケーションをしようよ。
夏コミュニケーション(1)
「千草くんの従妹ちゃん。来てもう一週間くらいだっけ?」
話を切り出しながら二つ年上の先輩――
彼女は品定めするようにおかずを眺めると、コロッケの上でぴたりっと手を止める。
そのまま、コロッケをつまんで口の中にひょいっと放り込むともぐもぐと
「んうぅ……君のお弁当、相変わらずおいしいねぇ」
暑さで焼かれるような外とは違い、大学のラウンジは冷房が効いている。
そんな屋内で、涼しい顔して他人のおかずをさらっていく先輩はなんとも満足げだった。
対して――
「一週間じゃなくて、今日で八日目です」
――弁当の持ち主である俺は食が進まず、手に持つ箸を妙に重たく感じていた。
「もう、浅緋が来て八日目にもなるのに、未だに碌に口も聞いてもらえなくて」
「ふーん。じゃあ、そんな愛想が無くて可愛げのない従妹ちゃんのことはもう投げ出しちゃうかい?」
先輩は容易いことだと言うように、俺をほのめかす質問を投げる。
「……別に、愛想がないくらいのことで、途中で投げ出そうだなんて思いません」
「うんうん。君ならそう言うと思った。それに、君に愛想が無いって言われちゃ、その従妹ちゃんもかわいそうだしね」
「俺、そんなに無愛想ですか?」
先輩はくすくすと笑いながら「愛想が良いとは言えないね」と返した。
「でもまぁ、あたしにとっては君然り。無愛想だからって可愛げがないってことにはならないんだよ。君の作るお弁当おいしいし」
先輩はそう言って再び俺のお弁当からおかずをさらっていく。
「ですよね。無愛想だからって、可愛げがない訳じゃないのは俺だってわかってます」
「ほう。つまり、自分にも可愛げがあると?」
言葉の揚げ足を取るように、ニヤニヤと笑って先輩は俺を見つめた。
「ちゃかすなら怒りますよ」
思わず眉間にしわが寄る俺に、先輩は「ごめんごめん」と笑って謝る。
その直後、彼女は急にキリッと表情を変え、不意のことに俺はどきりとしてしまった。
「それで? お姉さんに相談してごらんよ。一緒に考えたげる。お昼のおかずのお礼にね」
突然、真剣になったかと思えば、そう言って先輩は綺麗にウィンクを一つ決めてみせる。
そのウィンクがあまりに様になっていて、思わず彼女が恰好良く見えた。
片目だけを上手につむれる。
これだけのことで、人はこんなにも頼りがいがあるように見えるんだなと、つい感心した。
そんな、しょうもないことを考えたせいか、どこか肩の力が少し抜けたような感覚になる。
そうすると、自分の悩みは一人で気負っていても仕方がないことだ、と思えた。
「なんというか……簡単に言うと、取り付く島もないんですよ」
そして、俺は先輩に話し始める。
浅緋が、家に初めてやってきた日のことを。
◆
「あの……お邪魔、します」
浅緋が家に引っ越してきた日。
俺は、彼女を目前にしてまず面喰った。
「ああっ――いらっしゃい」
何故か。それは、俺がこの瞬間に浅緋と再会する以前とのギャップのせいだ。
前に浅緋と会ったのは、彼女が三歳の時だった。
八年ほど前だったと思う。
その日、小学五年生の俺は母親に無理やり連れられ、浅緋の入園式に引っ張り出されていた。
常々「下にもう一人、女の子が欲しかった」と、言っていた母さんが、伯父さん――つまり、浅緋の父さんに頼み込んで、図々しくも式に参加したのだ。
「あああっ! 小さい! 可愛いっ! 兄さん! 写真撮らなきゃ! ほらトキ! あんたも見てごらんよ! 浅緋ちゃん、あんなに小っちゃくて可愛いよぉ……ああー! あいつと別れる前にもう一人分くらいコウノトリ連れて来てもらえば良かったかなぁ」
そう言いながら母さんは伯父さんの服を掴み、時に俺の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
落ち着いて黙ったかと思えば、母さんはカメラ片手に何度もシャッターを切り始める。
そうして、真新しい黄色帽子と水色スモックを身に着けた浅緋の写真を何枚も撮っていた。
「浅緋ちゃーん、こっち向いてぇ」
母さんは
だが、浅緋は一向に母さんの方を向く素振りもなかった。
今にして思えば彼女の無愛想っぷりは、この頃から
浅緋は、まるで母さんの声なんて聞こえてないみたいにすまし顔で他の園児と一緒に整列して、粛々と式に参加していった。
つまり、俺の中にあった浅緋のイメージは、三歳の時の彼女で止まっていたのだ。
当時の彼女はスモッグ等の園児服に着られているという印象のピカピカの入園児だった。
なのに、八年経った今、目の前の彼女は年相応の少女に成長を遂げている。
いや、もしかしたら平均的な小学五年生の女の子と比べて、身長は高い方かもしれない。
「あの……上がってもいいですか?」
背中を軽く
「あ、ああ。気にせず上がってくれな」
これは、心して掛からねば。
こどもをあやす訳じゃないんだから。
そう自分に言い聞かせながら、俺は浅緋に親しげに話し掛けていいものか迷ってしまった。
はっきり言って、こんなにも成長した彼女は、もう初対面の女の子と言って差し支えない。
くすぐったくなるような幼子の声とは違い、彼女の声はもう凛として落ち着いているし。
今の浅緋は、背丈がこどもというだけで、雰囲気は小さい大人という印象だった。
一瞬、記憶の中の浅緋と、今の彼女とのギャップに臆しそうになる。
だが、どんなに変わっていても俺の従妹には違いない筈だ。
それに、今日からは母さんと俺と浅緋三人で一緒に暮らすことになる。
なのに、いつまでも臆して、他人行儀でどうするんだ。
俺は、心の中で自分にそう言い聞かせ、よしっ、と無言で頷いた。
その時。
「あの……」
先に声を掛けてきたのは浅緋の方だった。
「えっと、荷物……なんですけど」
だが、彼女は取ってつけたような敬語を使い、隙を見せまいとしているのかのようだ。
口調もどこか固く感じた。
しかし、まあ、浅緋にとっても、今の俺は初対面みたいなものだろう。
きっとこれは仕方がないことだと思った。
「ああ、荷物な。部屋に運ぶの手伝うよ」
まずは、彼女の引っ越しを終わらせる。ひとまずそこから始めればいい。
そう思い、俺は浅緋の手荷物を受け取ろうとして、手を伸ばした。
……のだが。
「あっ!」
浅緋の短い声が聞こえたかと思うと、カバンはすっと俺の手を避けるように後ろへと動いた。
何が起こったのかと、カバンに落としていた視線を浅緋へと向ける。
すると、彼女の頭の片側で束ねられた髪がふわりっと揺れていたのが見えた。
……どうやらさっきのは、浅緋が一歩後ろへと退いていたようだ。
そして、次の瞬間。彼女は間髪入れす、猫が威嚇するみたいになった。
「あの! あたし運べるから!」
ピシャリッ! と、言葉が言い放たれる。
しかし、俺だって遠い道のりをここまでやって来た従妹に、これ以上重い荷物を持たせたくはなかった。
「いやいや、これくらい俺に手伝わせてくれって。疲れてるだろ?」
「い、いいってば!」
突っぱねるような浅緋の声が玄関に響いていく。
それでも構わず彼女のカバンに再び手を伸ばした時だった。
「もうっ! うっざいからやめてってばあっ――」
浅緋の凛とした声が耳に刺さり、直後に俺は金縛りにあったみたいに硬直する。
「――……です」
もはや敬語とは言えない単独の音となったそれは、静まり返った俺達の間につぶやかれ、煙のように消えていく。
「あ、悪い……」
言い訳をすることもなく、謝罪が俺の口を吐いて出た。
それを聞いていたのか、聞いていなかったのか、浅緋は「ふんっ」と、鼻を鳴らすと手荷物を持ったまま、すたすたと家の奥へと歩いて行く。
俺はただただ突っ立って、すれ違う浅緋を黙って見送った。
すると「あんた何やってんのよ?」と、玄関から戻って来た母さんに声を掛けられる。
「いや、何と言えばいいのか……」
言いよどむ俺を見て何か察したのだろう。
「もしかして、嫌われちゃった?」
母さんは残念そうにも、愉快そうにも見える家族間特有の笑みを浮かべて言った。
否定することが出来ず、黙って
母さんは、しばらく間を置いて「あら、本当に?」とつぶやいた。
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