本と工具(2)
それは夏期講習が全て終わり、俺の夏休みが本当の意味で休みに突入した日の午後だった。
家のインターホンが鳴り、俺は宅配便に呼び出される。
玄関の戸を開けると長く大きく、横幅広く、奥行きのないダンボール箱の荷物を抱えた体格のいい男性の宅配員が立っていた。
「矢倉急便です、代金引換のお荷物です」
「あ、ありがとうございます。いくらですか?」
「えっと、九千六百五十円ですね」
一瞬、割と大きい数字が出てきたことに驚くが、視界に入った大荷物のおかげでそれはすぐに納得に変わる。
「わかりました、それじゃあ――」
荷物を受け取るために財布と印鑑を取ってこようとした時だった。
「待って! あたしが払うの!」
背後から浅緋の声が聞こた。
振り返ってみると、薄手の部屋着を着た浅緋はもう目と鼻の先の距離にまで近付いていて、片手にはしっかりと一万円札が握られている。
「これ、あたしの荷物! はい! お金っ」
浅緋は宅配員にお金を差し出しながら宣言した。
宅配員はお金を受け取ると、それを腰元の細長いバックにしまいながらお釣りを取り出す。
その間、両手が荷物から離れるのだが、全身で支えていたのには感心した。
「では、お釣りが三百五十円になります」
彼は硬貨を手の平に乗せ確認すると浅緋に手渡す。
お釣りを受け取った浅緋はと言うと、もうさっそく印鑑を取り出していて、宅配員の次の言葉を待っていた。
「それじゃあ、こちらに印鑑お願いします」
「はいっ」
受け取り証明の紙を差し出されると、浅緋は早々と印鑑を押して見せる。
宅配員は押された判を確認すると、それを腰のバックにしまった。
そして、重そうなダンボール箱の荷物を抱え直すと、爽やかな声で告げる。
「それじゃあ、お荷物どうしましょうか?」
それは、この大荷物をある程度家の中まで運び入れてくれるということだろうか?
俺がありがたい申し出に、じゃあお願いしますと、答えよう、そう思った時だった。
「え、いえっ――そういうの自分でやります!」
思いも寄らず、浅緋が真っ先にきっぱりと断ったのだ。
「あたし達で運べますから」
何を根拠に言っているのか、彼女は自信ありげに配達員を見上げて言う。
浅緋の言動に困惑したのか、宅配員は俺と目を合わせてどうしますか? と、訊ねてきた。
「そう言うことらしいです」
俺は、とりあえず浅緋の意思を尊重してそう答える。
彼は、後ろ髪を引かれる思いなのか、少し気まずそうな顔で「わかりました」と言って抱えていた荷物を玄関口に立てかけた。
「では。領収書はお荷物の方に付いておりますので、ありがとうございました」
最後にそう言い残すと、宅配員の彼は門の外に停めていたトラックへと去っていく。
その後ろ姿を見送った後、俺は浅緋に目線を遣った。
「……浅緋?」
なんであんなこと言ったのか? と、そう言うつもりでいたのだが、浅緋はふいっと目を逸らして合わそうとしない。
俺が、彼女の顔を覗き込もうとした時になって「だ、だって――ああいう大きい男の人って苦手だし」と、お釣りを握りしめながら告白された。
そんな言い方をされると、俺も責めるに責めれないじゃないか。
俺は目線を浅緋から、届いた荷物に向け直し、ふぅっと深呼吸のつもりでため息を吐いた。
「で。これ、どうするんだ? というか、これ何買ったんだ?」
「……うるさいなぁ。一度に訊かないでよ。後で話すよ」
俺の質問を軽くあしらうと、浅緋は荷物の傍に寄って行く。
そして――
「ねぇ、トキ。これ部屋まで運ぶの手伝ってよ」
――見るからに重そうなそれに手を添えながら、実に簡単に言ってくれた。
…………あれ? 今、初めて名前を呼ばれなかったかっ?
初めて浅緋に名前を呼ばれた。
そんな一時的な感動を胸に、俺は力を振り絞ってダンボール箱に包まれた荷物を持ち上げる。
それは見た目の大きさほど重くはないように感じたが、一人で縦に持ち上げ運ぶのは厳しい。
俺はひとまず荷物を横向きに寝かせ、片方を引きずるような形で浅緋の部屋の前まで運び、ドアの隣に起こして立て掛ける。
冷房の効いてない夏の屋内でそんな作業を終える頃には自然と体中から汗が流れ出していた。
「あっつぅ……」
「トキ、タオル」
そんな俺に、浅緋は水で濡らしたタオルを持って来てくれた。
手伝ってと言いながら俺一人に荷物を任せ、どこに行っていたのかと思っていたが、こんな気遣いをしてくれるとは。
「ありがと浅緋」
「別に……ただ、汗だくのまんまで部屋の中に入られても嫌なだけだし」
感動したのも束の間だった。
付け足されていった彼女の言葉で、俺の中の感謝の気持ちは崩れてしまいそうになる。
けど、あれ? 棘のある言葉の中に、耳に嬉しい一声が混ざっていなかっただろうか?
「部屋の中? 俺、入って良いの?」
自分の耳が信じられず、つい聞き返してしまった。
正直、部屋の前まで運べばそれでお役御免になるものだとばかり思っていて、急にそんなことを言われても信じられない。
「入って良いのって……あたし、ダメって言ったことないし、それに、部屋の前に運んでもらうだけじゃ手伝ってもらう意味ないじゃん。ほら、入ってよ」
そう言って浅緋が部屋のドアを開けると、冷房の効いた涼しい空気が外に流れ込んだ。
「ほら、早く。涼しいの逃げちゃう」
ドアの前でじっとしている俺に浅緋は「急いで」と言わんばかりに手招きをする。
俺は運んで来た荷物を再び抱え、彼女の手招くままに浅緋の部屋へと足を踏み入いれた。
この部屋に入るのは、浅緋が家に引っ越してくることが決まり物置同然になっていたのを片付けることになった時以来だった。
母さんと一緒に空っぽにしたこの部屋は、今、浅緋がここにいる証でいっぱいだ。
俺の部屋と似たフローリングの床だが、黒地に白い
ドアから向かって右側には壁一面本棚が並べられていて、ぎっしりと本が詰まっていた。
対して、左側にはベットと、洋服ダンスが置かれている。
部屋の中央には丸い小さなテーブルがあって、その奥には彼女の勉強机が置かれてあり、ランドセルがかけられていた。
「トキ、荷物ここに置いて」
ぼんやりと部屋の様子を眺めていたら、そう浅緋に指示される。
彼女は、真ん中に置いてあったテーブルをベットの傍に寄せて、荷物を降ろすスペースを確保していた。
「割れ物とかじゃないけど、一応降ろす時は注意してね」
俺は部屋の中央にゆっくりと荷物を降し、ダンボールの底面が絨毯に付いたのを確認してから手を離す。
冷房の効いた部屋で軽くなった両手を擦って労わると、やっと一段落付けた気がした。
そうして俺がパタパタと手を休めていると、浅緋は勉強机からハサミを取り出して荷物のダンボール箱を縛る帯広な紐を切り始める。
ハサミのシャキンという音が数回聞こえた後、彼女はハサミを置いてダンボールを開封していった。
何が出てくるのかと様子を見守っていると、箱の中からは長く薄い木板が次々と姿を見せ始める。
道理で重いはずだと、俺はようやく納得した。
けど。
「浅緋? これって何なんだ?」
木板の内一つを手に取って見る。
よく見ると、木板とひとまとめに言っても薄いものや分厚いもの大小様々あるようだ。
「何って、本棚だけど?」
「ほんだな?」
未だにこの木板達の全容を分かっていない俺に、浅緋は折りたたまれた紙を渡してきた。
目を通してみると、本棚の作り方がイラスト付きで印字された説明書らしい。
それを見れば、この木板達が組み立て式の本棚であることがわかった。
「さ、トキ作るから手伝って。夕飯の前には終わらせたいから」
まるで、説明すべきことは全て言った、とでも言いたげに浅緋は俺を巻き込みながら話を進めていく。
俺は、もう一度浅緋に渡された説明書に目を通して声を発した。
「ちょっと待って浅緋! これ、作るんだったら工具がいると思うんだけど。家多分、こんな大きい本棚作るための工具なんてないぞ?」
説明書を見る限り、組み立てるのに釘やトンカチみたいなものは使わないらしいが、大きいネジをしめて組み立てていくらしく、出来るなら大きいドライバーが欲しい所だった。
けど、俺は家でそんなドライバーや工具を見た事がなかったし、仮にあったとし てもどこに置いてあるのかはわからない。
今からこれを完成させることは、正直できないんじゃないかと思った。
だけど。
「工具なら、ここにあるけど?」
浅緋は勉強机のイスを引き、机の下のスペースから言葉通り工具箱を取り出す。
工具箱は床に置かれると、ガチャリドチャリと音を立てた。
大きさや重厚感から、それが割と本格的なモノなんだと察しがつく。
「浅緋、これは?」
なんと言っていいかわからず、そんな質問を投げると浅緋は「あたしのだけど」と、あっさり答えた。
そして、彼女は工具箱からドライバーを一つ取り出すとくるりと回して、柄を俺に向ける。
「トキは、工作って得意?」
不得意ではない筈だ。ドライバーを受け取って「苦手じゃない」と答える。
「なら、なんとかなるね」
そう言うと浅緋は、工具箱からもう一つドライバーを取り出し、俺達は本棚の組み立てに取り掛かった。
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