第55話 459

 山崎さんから事件の真相を聞いたその晩、僕は家に帰るとすぐ、押入れの奥に封印していた段ボール箱を引っ張り出してきた。

 庭さんから預かったっきり、触れないようにしていたのは、内容と向き合う勇気がなかったからだ。その箱を開けることは、彼の不在を認めることになるような気がしていた。


 勇気を出して箱を開けると、中には一通の手紙と大量の原稿の束が入っていた。

 原稿の表紙タイトルに『遍路X』とあった。


 僕は震える手で原稿を取り出し、読み始めた。そこには、僕と庭さんが四国を旅した日々が克明に記されていた。

 記憶と風景が蘇り、胸が締め付けられた。


 ベテランの職業遍路、謎めいた女遍路、亡き友のポケベルメッセージ。

 かなり忠実に触れられている。

 しかし、物語は途中で終わっていた。未完の状態だったのだ。


『ハンニン』の真相には触れられていない。

 庭さんの手紙には、続きを僕に託す旨が記されていて、驚いた。


 プロの小説家の続きを、僕なんかが書けるわけがない。

 なぜ庭さんは僕になんか託したのか。

 とてもじゃないが、続きを書こうという気持ちにはなれなかった。


 それよりも、庭さんの安否を案じる気持ちが、まるで重い霧のように僕の心を包み込んでいた。


 そんな時、小説の続きを書いてみようと前向きになったきっかけがあった。

 僕のポケベルに定期的に謎めいたメッセージが届くようになったのだ。送信元は不明だった。


 つい昨日送られてきたのは『459 88 40』という内容だった。

 すべて数字。

 メッセージは、二、三日に一度の割合で送られてきた。

 新しいものから順に、


『459 88 40』

『459 88 39』

『459 88 38』

『459 88 37』

『459 88 36』


 最初はまったく意味が分からなかった。だけど、次第にその意図が見えてくる。


『459』は四国(シコク)と読める……。

 それなら『88』は、八十八ヶ所の霊場のことでは……?

 そして三番目の増えていく数字は、打ち終わった霊場のことを指すのではないだろうか。


 つまりこのメッセージは、歩き遍路からの経過報告だと予想できた。


 ポケベルにカナメッセージを入力する方法を知らない誰かが、苦労しながら数字を打つ姿がなんとなく想像できた。


 その間、僕は悩みながらもペンを走らせていた。

 何度も書き直し、自分なりに小説のラストを考えてみたが、庭さんの想いに応えるような結末は思いつかない。

 頭の中で、彼との旅路を何度も辿り直し、物語に向き合い続けた。


 今現在のポケベルの数字の40――。

 四十番札所は、愛媛県の観自在寺かんじざいじだ。一番札所霊山寺りょうぜんじより最も遠い霊場だ。

 この数字が88まで到達した時、一体何が起こるのだろう。


 僕はそれまでに、必ず小説『遍路X』を完成させようと決意している。

 それが今、僕にできる最大の挑戦だった。


 庭さんの手紙には、一つ制約ごとが書かれていた。


『ペンネームはオリジナルのものを考えること』


 ここにきてまさかペンネームの指定とは、肩の力が抜ける思いだった。

 だけど僕なりに、真剣に考えることにした。

 本来ならば庭さん名義にするべきだろうが、どうもそれは駄目らしい。


 自分の名前を使うのは抵抗があった。なぜなら、これは庭さんの作品だからだ。


 何かいい名前はないものか。

 悩んでいる内にふと思いだしたのが、庭さんがよく聴いていた音楽だ。

 映画『エクソシスト』のBGM曲。

 折に触れて彼が聴いていた、あのちょっと不気味なメロディ。

 

 調べて知ったのだが、作者はマイク・オールドフィールドというイギリスのミュージシャンだった。

 エクソシストのあの曲、本来の曲名は『チューブラーベルズ』

 一曲48分超えの超大作だ。


 ペンネームはそこから拝借することとした。

 チューブラーベルズを聴く庭さん。

 略して『チューブラーベルズの庭』とした。


 僕はこの『遍路X』という物語が、いつかどこかで発表できる日を夢見て、今、必死にペンを走らせている。

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