第20話 『ハンニン ミッケ』

 僕のポケベルには、時々キヨから特定の文言が届くことがあった。


『ホンマユミ ミッケ』

『イトウリサ ミッケ』

『サトウタツヤミッケ』


『◯◯見っけ』という文言。

 僕はこれを見て、キヨが有名人と遭遇したことを知る。


 キヨにはある種の特殊能力があった。

 まるで群衆の中に紛れ込んだウォーリーを一瞬で見つけ出すかのように、目的の人物を瞬時に特定できるのだ。


 僕はそのメカニズムが知りたいと思い、彼に何度も質問したことがある。だけど返ってくるのはいつも要領を得ない答えだった。


「ねぇ、キヨ。どうして分かるの?」


「分かるって?」ハンバーガーを口に詰めたまま話す。


「だからさ、どうして人混みの中から、誰かを瞬時に認識できるの? 有名人とか。オーラでも見えるの?」


「そんなの見えるわけないよぉ」コーラで流し込んでうひゃひゃと笑う。


「歩き方だよぉ」


「歩き方……」


「頭の中の記憶と、実際にその人を見た時の動きが、パチンって一致するの」


「パチン……」


「そう、パチン。人の歩き方って、その人によって違うわけデショ? だから『ああこれは誰それさんの歩き方だー』って分かるの。そんな風に、歩く感じが記憶の中の映像と一致するんだよぉ」


 キヨはポテトを掴んで一気に五本ほど口にいれる。


「テレビには芸能人とかスポーツ選手とか映るデショ? 歩いてるところ映ってるデショ? 僕は一度見たら忘れない。歩行パターンをね。だから例えば、街でその芸能人が歩いてたら、見分けられる」


「歩行パターンって何?」


「うーん、説明するのが難しいんだけど……、その人だけが持つ動きっていうのかなぁ」


「じゃあ仮にさ、その人がわざとすっごく変な歩き方したらどうなるの? パターンから外れるんじゃないの?」


「それでも多分分かるよぉ」


「どうして? マイケルジャクソンのムーンウォークみたいな歩き方されたら?」


「分かるよ。骨格は誤魔化せないからね。人間は骨格に沿った動きしかできない。だからだよ」


「だからだよって言われてもなぁ……」


 全然ピンとこない。


「でもまぁ、その歩行パターンってのを認識してるわけか……。理屈は何となく分かったよ。キヨのその特技はほとんど超能力だ」僕は降参のポーズをする。


「そんなことないよぉ。ただの癖だよぉ、癖~」


「そんな癖の人間はいないって」


 僕は不思議に思う。

 キヨは、オカルトや謎といったものには猛烈に情熱を注ぐくせに、自分自身のその能力についてはまったく頓着がない。

 僕からすれば、彼のその能力は十分にオカルトなわけなのだが。


 質問しても、いつもそんな風に話は終わる。

 ただ、一度だけ彼が興味深いことを言ったことがある。


「モリー、僕はね、時々考えることがあるんだ。ひょっとすると将来的に、こういうことは機械で実現できるかもしれないなぁって」


「こういうことって?」


「だから僕が今、頭の中で行っていることだよぉ。歩行パターンで個人を特定する作業。人の歩き方をデータ化してさ、それをコンピューターのデータベースかなんかに保存しておいて、例えば防犯カメラと連携させたりして、動画から一瞬で犯罪者を特定するとか」


 僕は黙って聞いていた。


「日本の警察には指紋識別システムってのがあるデショ? 犯罪者の指紋をデータベースに保管しておいて、怪しいやつが現れたらそのデータベースで照合するやつ。指紋同士を照合するための難しいアルゴリズムがあると思うんだけど、結局歩き方も同じだと思うの。歩き方って、指紋と同じでその人唯一のものだと思うから」


「つまりキヨはこう言いたいわけ? 指紋識別システムの歩き方バージョン『歩行識別システム』ができるんじゃないかと」


「そうそうそう! ひょっとすると将来的に、人工知能みたいなのが発展してさぁ、防犯カメラに映る人間の動きだけで、瞬時にそれが誰かを特定できるようになったりすることができるかもしれないよぉ」


 一見、夢物語のようにも思えるが、キヨが言うからこそ真実味がある。


「モリー、知ってるかい? 人工知能は発展産業らしいよ。僕らがびっくりするような未来の景色を見せてくれる可能性はあるよぉ」


 キヨの目が輝いていた。彼の言葉には、いつも独特の説得力があった。


 僕は彼の能力を信じていた。

 それを決定づけるある出来事が起こったのは、僕がまだフリーターになって一人暮らしを始めたばかりの頃だ。

 驚くべきことに、彼は本当に歩行パターンから犯人を見つけてしまったのだ。

 捕まえたのは、未解決の幼女誘拐殺人事件の犯人だった。


 事件自体は1988年の8月に発生したものだ。当時5歳だった少女が、千葉県のとあるパチンコ店から連れ去られた。

 数カ月後、その結末は最悪の形で明らかになった。山梨県の山中に埋められていた遺体を、野犬が掘り返したのだ。

 あまりに痛ましい事件だった。

 メディアは連日この事件を報道し、社会に衝撃を与えた。


 唯一の証拠は、店内を撮影した防犯カメラだった。

 休憩エリアで暇そうにしている少女と、その少女に接触する犯人とおぼしき男が捉えられていた。

 警察はカメラ映像を大々的に公開し情報提供を募った。だが当時の録画映像はまだ非常に粗いもので、おまけに男はサングラスとマスクをしていて顔が分からなかった。

 結局有力な情報は集まらず、事件は儚く風化していった。


 だけどキヨは覚えていた。事件から5年が経過しても、防犯カメラの映像――、つまり犯人の歩行パターンを記憶していた。


「一度見たら忘れないよぉ」


 実際彼の頭の中のデータベースには、大量の人物の動きがインプットされているらしい。

 映像が粗かろうがサングラスで顔が隠れていようが関係ない。彼は歩行パターンだけで個人を識別するのだ。


 そしてキヨは見つけた。街を歩いている時に偶然その誘拐犯を。

 防犯カメラの映像はテレビで放送されていたので僕自身も見たことはあるが、あの粗い画質からよく人物特定できるものだと度肝を抜かれた。

 どれぐらい悪いかというと、仮に防犯カメラに自分の母親や知人が映っていたとしても、あの画質では認識できないほどだ。

 表面上の情報だけで人物認識は不可能だ。

 それを見つけだせるのは、歩行パターンを識別できるキヨだけだ。


 彼は犯人のあとをつけてアパートを特定した。

 そして自首を勧めたのだ。

 幸いにも犯人はキヨの説得に応じた。というよりも、見つけられたという衝撃で虚脱状態だったらしい。

 犯人は事件から5年逃げ続けた。油断もあったんだろうと思う。


 マスコミは、情報提供によって逮捕に至ったこの事件をセンセーショナルに報じたが、キヨはマスコミからの取材依頼を飄々と断り続けた。


 自分の能力を癖だと言い張る彼は、むろん警察にもその詳細を一切共有しない。警察は彼のことを、ただ勘のいい若者だと思い込んでいる。

 当てずっぽうが偶然的中しただけ、と考える関係者も中にはいたと聞く。

 キヨはそういう評判をまったく気にしないが、僕は悔しかった。

 キヨは本物だ! ものすごい能力を持っているんだ!

 声を大にして言いたかったのに。


 キヨは誘拐犯を発見した時、僕にポケベルでメッセージを送ってきた。


『ハンニン ミッケ』


 それから犯人の後をつけて住処を特定した。


 まさか遍路の途中で、また同じ文言を目にするとは思ってもみなかった。

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