第25話 ある矛盾
庭さんはポケットから、折り畳まれた紙を取り出す。
テーブルの上に広げられたそれは、指名手配犯のポスターだった。
『殺人、放火等』という罪名。その下に『黒木君子』とあった。すぐ脇に「※男性」と注釈がある。
若い男が微笑んでいる白黒写真だった。何年前の写真だろう。職業遍路となった今の小人とはまるで別人だ。
「森沢くんは、こう考えていたんでしょう? キヨくんは指名手配中の黒木を発見し、自首させようとしたけど逆に返り討ちにあって殺されてしまった」
僕は頷く。『ハンニン ミッケ』というポケベルメッセージがそれを裏付けている。
「警察によると、黒木には映像が残っていないそうです」
「え……?」
「黒木は、十四年前に自身の父親を絞殺し、家に火を放って逃亡しています。家が全焼しなければ何かしら残っていた可能性はありましたが……。いずれにせよ、警察が資料として公開した映像はありません。それはつまり、キヨくんは事前に黒木の映像を見ていなかったということなのです」
「そんな……」
見本となる映像が残っていないのなら、たとえ黒木を目撃したとしても、それが本人だと断定することはできないはずだ。
つまり、キヨの言う『ハンニン』は黒木ではないことになる。
「黒木がキヨくんを殺したことに疑いの余地はありません。黒木自身が殺害を自供していることに加え、物理的な証拠も揃っています」
作家は時々手帳に視線を走らせながら話す。
「殺害に使われた紐には黒木とキヨくんの指紋しか見つかっていません。また、黒木はキヨくんから奪った財布やポケベルを所持していました」
「どうして黒木はキヨを殺したんです……?」もう一度聞く。
庭さんは小さく息を吐く。
「やつの持ち物の中から、キヨくんのもの以外に、他人の免許証や財布がいくつか出てきました。黒木は、歩き遍路をターゲットにした強盗です」
全身から血の気が引いていくのを感じた。
「キヨくんの遺体が置かれていたあの場所。すでに
白衣を着ていたことから、遍路と見られています。あの場所は、黒木の秘密の死体置き場だったようです」
僕は言葉が出てこず、ただ呆然と口を開けたままだった。
「あそこは、元々小さな集落があったのです。ほんの十戸程度の家が集まっていて、二十年前に最後の世帯が出ていって以来、廃集落となっています。
集落の中心を抜ける隘路は、本来もう少し先まで続いていたらしいのですが、今は草木が生い茂っているため行き止まりになっています。三体の白骨死体は山の中に埋もれるようにあったそうです」
庭さんは重々しく目を閉じ、話を続ける。
「黒木は、廃集落の小屋を時々寝床代わりに使っていました。誰も訪れない場所です。奥に死体を放置しておけば、山から野犬が群れで降りてくるため、一ヶ月もすれば骨だけになったそうです」
想像すると、胃から何かがせり上がってきそうになる。
「……黒木は、常習的に遍路を殺していたということですか?」
庭さんはしばらく言葉を探しているようだったが、やがて重い口調で答えた。
「森沢くんは、土佐タイムスの読者投稿欄を覚えていますか? 善根宿のご主人が、職業遍路が行方不明になっていると訴えていましたよね。その職業遍路ですよ。黒木に殺されていたのは」
体が震える。
善根宿の久保川老人は、少なくとも三人はいなくなっていると言っていた。人数はぴったり符合する。
「どうして……。そんなに殺されてるのに、警察はほったらかしなんです……」
「これまで死体が見つからなかったからです」
庭さんは悲しげに顔を伏せる。
「職業遍路は、誤解を恐れずに言えば、その生活スタイルは路上生活者に近いものです。路上生活者が失踪しても、捜索願が出されることはまずありません。いなくなったことに誰も気付かないので、警察が調べることもありません。
ましてや職業遍路は行方の追いにくい存在です。誰かが統計を取っているわけでもない。四国から出ていったり、新天地を見つけて腰を落ち着ける人もいます。
例えば、ラーメン屋の店員として雇われ、再起に成功した人なんかもいます」
庭さんはカーテンの方を見つめ、遠い目をしながらゆっくりと言葉を紡いだ。
「善根宿を運営していたご主人は、職業遍路さんと懇意にしていたからこそ、特定の地域で行方不明になる彼らの異変を感じ取ったのでしょう。
黒木も、犯罪が露見しないことを見越して職業遍路だけを狙っていた
「でも……」と僕は口を挟む。
「それならやっぱりおかしくないですか……? キヨは職業遍路じゃありません。どうして狙われるんです」
「森沢くんの言う通りです。実際黒木は、初めて職業遍路以外を殺したと自白しました」
「そんな……」理由が知りたい。
「知ってると思いますが、黒木はアルコールの問題を抱えていました。やつは酒欲しさにキヨくんを襲ったと告白しました……」
「酒? そんな理由で? 嘘でしょう……」
「その日の午後4時頃、黒木はコンビニから出てきたキヨくんを追った。いい野宿場所があると言葉巧みに近づき、あの廃集落の方に誘導し、それから……、紐で絞め殺したそうです……」
「なぜ、なぜキヨを……!」
キヨの風貌から、彼がひよっこの遍路であることは見て分かる。狙うのは相当にリスキーだと考えたはずだ。
行方不明になれば、すぐに捜索願が出されるのは明白だ。何より、キヨが音信不通になった時点で、僕が警察に駆け込んだろう。
庭さんは手帳を懐に仕舞うと「僕には後悔があります」と自分に言い聞かせるように言った。
眉間にしわを寄せ、深いため息をつく。
「黒木はこう言ったそうです。『この間飲んだウイスキーのせいだ』と……」
「ウイスキー……?」
「頭から離れなかったと……。彼の言うウイスキーとは、僕が飲ませたものに相違ありません」
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