第3話 庭林の来訪
カン、カン……。
カン、カン――。
雨音に混じって、誰かがアパートの階段を
僕は布団に寝転んだまま耳を傾ける。
住人ではない、来客者特有の迷ったような足音。
もし来客ならば自分の部屋に来ないことを願った。
インターホンが鳴る。それは
僕はゆっくりと目を開ける。
今何時ぐらいだろう。天井の染みを見ながら考えた。
首を回して壁掛け時計を見ると14時過ぎだった。
キヨの葬儀が終わってから何もする気が起きない。一日中布団に寝そべったままでいる。起きているのか寝ているのかも曖昧で、まるで深海に沈んでいるようだ。
締め切ったままのカーテンは、薄暗い部屋に灰色の陰を落としている。
ふと、時計の下のカレンダーに目が留まる。
1997年3月のままだった。もう4月に入っているはずなのに。
四国から帰ってきて以来、生活への意識が完全に途切れている。
泥のついたリュックサックと寝袋は、部屋の隅に雑然と転がったままだ。
汗だくだった
つい数日前、その白衣を着て遍路道を必死に歩いていたのが嘘みたいだ。
キヨの死。その現実がずっしり胸にのしかかる。
頭では理解しているはずなのに、感情が追いつかない。
バーガーショップに行けば、いつもの窓際の席でキヨが「知ってるかい? モリー」と話しかけてくるんじゃないかと期待してしまう。
そんな自分が情けなくて悲しくてどうしようもない。
だけど、彼は確かに死んだのだ。
キヨが「遍路に行かないか」と言い出した時、止めるべきだったのだろうか。
そうすれば死ななかった。殺されることもなかった。
何が正解だったのか。どうすれば良かったのか。
雨音が聞こえる。またインターホンが鳴った。
僕は首をもたげた。
リュックサックに、彼から預かったお守りが紐で結わえられているのが見えた。
彼に、返すことができなかったお守りだ。
ドアに目を移した時、ちょうど三度目のインターホンが鳴った。
同時に「こんにちは」と声がした。聞き覚えのある声だった。
僕はゆっくりと半身を起こす。
「こんにちは、庭林です」
控え目にコンコンとノックされる。
「森沢くん、いますか? 庭林です」
くぐもった声が外から聞こえてくる。
僕は、床に落ちていたジャージを引き寄せた。のそりと立ち上がる。一瞬めまいがした。
ドアを開けると、ざあっという雨音と共に湿った空気が鼻腔に侵入してきた。
外はひどい雨模様だった。僕は目を細め、
「やあ、森沢くん」
訪問者の男は、親しげな笑顔を見せた。
学校の教師が使うような肩掛けバッグをして、片手にはビニール袋と傘を持っている。
湿った前髪に混じった白髪が一本くるりと上を向いていて、それが妙に滑稽に感じられた。
「庭さん……」
「随分ひどい顔をしていますね、森沢くん」
「よく、ここが分かりましたね……」
訪問者は濡れたジャケットにハンカチを滑らせながら言う。
「高知で会った時、念のために、君から実家の電話番号を聞いていたでしょう? それで君のお母さんから住所を教えてもらったってわけです。……お母さん、心配してましたよ」
男は傘を玄関先に立てかける。
「慣れないポケベルを何度か打ってみたのですが、カナメッセージの入力方法が分からなくて……」
メッセージには気がついていたが、意味不明な数字の羅列だったため意味を測りかねたのだ。
だけど、庭さんからのメッセージだと気付いたとしても、部屋を出て公衆電話まで行くエネルギーは湧いてこなかっただろう。
僕は「すいません……」と謝る。
「いや、いいんですいいんです。まぁ、今どきの若い人は自宅に電話回線なんて引かないですよね。お邪魔してもいいですか?」
僕は一瞬背後を振り返り、
「どうぞ……」
四畳半の狭い自宅に招き入れた。
庭さんが慌ただしく靴を脱ぎながら、
「その様子だとほとんど何も食べてないんでしょう? ほら、お弁当を買ってきました。一緒に食べませんか? レシートを見てください。1112円です。イイヒニ。『いい日に』って読めるでしょう?」
僕は庭さんが見せてくれたレシートを黙って見つめていた。
「森沢くんにとって、今日がいい日になりますように」
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