第4話 黒木君子

 庭さんは、部屋の中心にあるローテーブルに弁当を二つ並べた。

 ふわっと揚げ物の匂いがした。いつもなら食欲を刺激するところだろうが、あまりに空腹過ぎるせいか、腹の底から何かがせり上がってきそうになる。


「焼き魚と唐揚げのどっちがいいです?」


「……あのう、あとで頂いても構いませんか?」


 僕はお茶だけ受け取ると少しだけ口に含み、喉から胃へと、ゆっくり液体を降ろしていった。


「申し訳ない。お弁当は少し拙速でしたか……」


 僕はいやいやと手を振る。


「それより庭さん、今日来た用事というのは……」


 訪問者は弁当を重ねて袋の中に戻すと、埃っぽい扇風機の隣に丁寧に置いた。

 僕に向き直る。


「キヨくんを殺害した犯人のことです」


 僕は口の中に残っていた液体を飲み下す。


「実父殺害で指名手配されていた、黒木くろき君子きみこであることが改めて発表されました」


「黒木、君子……」


「はい。入院先の病院ですでに意識を取り戻しています」


 自分の顔がこわばるのを感じた。キヨは死んだのに、加害者は生きているのか。

 心の中にどす黒い炎がボッとともった気がした。


 庭さんは懐から手帳を取り出すと、


「警察の発表によれば、黒木君子は事件現場からほど近い道路で、車に轢かれ重傷の状態で発見されたそうです。その後緊急入院しました。通報者は運転手だったとのことです」


 パラッとページをめくる。


「入院中、右臀部に古い火傷の跡が確認され、これが当該指名手配犯の特徴と一致。さらに黒木の持ち物から、本人名義の古い保険証も見つかりました。警察はこれらの証拠から、本人に間違いないと断定したようです」


 キヨを殺害した黒木が、指名手配中の犯人だったという事実。そこに驚きはない。


 キヨには驚異的な能力があった。

 テレビで見た人物なんかは、まず間違えることがない。変装や加齢で外見が変わっても、キヨの目は誤ることがない。


 今回も、その能力によって、指名手配中の犯人を見つけ出したのだと僕は思った。

 しかも遍路の道中というタイミングで。


「テレビは見ましたか? 黒木の逮捕は一大ニュースになってるようです。まぁ時効寸前(※注)の逮捕ですからね……」


 手帳のページをパラリとめくる。


「黒木君子。十四年前に自身の父親を絞殺したあと、家に火を放って逃亡。現在に至るまで遍路に紛れ込んで生活していたものと推測される……」


 キヨは黒木を発見して、多分、自首させようと穏やかに説得を試みたのだと思う。過去に一度、それでうまくいったことがある。

 だけど、思った以上に黒木は狡猾だったに違いない。それで殺されてしまった。結局キヨは優しすぎたのだ。


 庭さんは手帳から顔を上げると「警察の情報はそんなところです」と結んだ。


「どうしてそんな情報を知ってるって顔ですね。二十年以上もミステリー作家をやってると、警察のOBやら地元記者やらと知り合うことも多くなるものです。

 そういう伝手つてを突っついて、捜査状況を教えてもらっていました。あ、ここ禁煙ですか? ……そうですよねぇ、君は吸わないですもんね」


 大人しくタバコを胸ポケットに仕舞った。


「それにしても、警察の連中はキヨくんに大層驚いたようです。十年前の事件の犯人をよく発見したものだと。昔の黒木の写真と今とを比べると随分印象は変わっています」


 驚くには当たらない。

 キヨの能力を使えばそれは可能だ。僕はそれを何度もの当たりにしてきた。

 加えると、キヨはオカルトオタクであると同時に犯罪オタクだ。戦時中の未解決事件まで調べ上げている。

 指名手配犯の情報は一通り頭に入っているはずだった。もちろん黒木のことも。


「キヨくん。生前の彼に一度会ってみたかったですね。話をしてみたかった」


 庭さんは深く息を吐き、眉間にしわを寄せた。前髪をかき上げる。


「森沢くん、差し支えなければ、もう少し彼の話を聞かせてくれませんか?」


 僕はしばらく黙った。


「……庭さん、そのためにここに来たんですか?」


 言われて男は目をしばたたかせた。


「それとも、ミステリー作家として、まだ……、取材を継続してるということですか?」


 不思議なもので、唯一無二の友を失うと、こんな皮肉なセリフも出てきてしまう。

 作家は、ゆっくり息を吐きながら小さく首を振る。


「いや、これは取材じゃありません……」


 彼は一瞬目を閉じ、何かを決意したかのように、ゆっくりと口を開いた。


「僕は一つ、大きな後悔をしているのです……」声が僅かに震えていた。


「そしてその後悔が、キヨくんの死に繋がってしまったのかもしれないのです。森沢くん、だから僕はこうして君を訪ねています……。僕は責任を負う必要があるのです」


 何のことを言っているのだろう。後悔? 責任? 庭さんの言う意味が分からなかった。


「後悔って、何ですか……?」


 後悔するのは僕の方だろう。四国になんて行かなければよかった。行かなければキヨが殺されることもなかったのだ。

 悔やんでも悔やみきれない。


 作家は顔を上げる。


「君は以前僕に教えてくれましたね。キヨくんには、歩き方で個人を特定できる能力があると。それを使えば、指名手配犯すらも発見できると」


 庭さんは一体何が言いたいのだろう。


「キヨの能力はこの目で何度も見てきました。だから、彼から『ハンニン ミッケ』というポケベルメッセージが送られてきた時も、何が起こったのかすぐに理解できました」


 結局それが最後のメッセージとなった。


「キヨくんから送られてきた『ハンニン ミッケ』……。その『ハンニン』が黒木のことだろうと、君はそう言いましたね?」


 僕は小さく頷く。

 作家は腕を組んでしばらく黙った。


「本当にそうでしょうか?」


「え……?」眉をひそめる。


「警察関係者と話してる内に、黒木に関する、ある事実が判明しました。それで僕はこう思ったのです。


 そんなことはあり得ない。現に指名手配中だった黒木は捕まったのだ。


「なぜそんなことを言うんです?」


 急に腹が立った。

 友人が否定された気がして、僕は少し色をなして根拠を問いただした。

 すると作家は、あることを僕に打ち明けた。


「――嘘でしょう?」僕は愕然とした。


 庭さんの言うことが本当なら『キヨは指名手配犯である黒木に自首を促すも逆に殺されてしまった』という僕の推論は根底から崩れてしまう。


「それが、本当なら……」


 キヨが残した『ハンニン ミッケ』のメッセージは、黒木のことではない。

 僕はローテーブルに目を落とした。


 黒木君子以外に『ハンニン』がいる?

 キヨは誰のことを『ハンニン』だと判断したのだろう。一体誰を見た。


「警察にとって、この事件は単純なものかもしれません。キヨくんを殺害した黒木はすでに捕まっています。倒れていた黒木を誤って轢いたのは出勤途中の園芸店の店員で、これも罪を認めています。だけど森沢くん、やっぱりキヨくんの死には謎があると思うのです」


「…………」


「森沢くん、君とキヨくんが四国に向かった理由、それは単なる遍路旅ではなかったはずです」


 作家は正座姿勢のまま、僕を真正面から見た。


「君たちは『遍路X』の噂を調べるために遍路旅に出た。そうでしょう? 詳しく教えてくれませんか? これまでのいきさつを」


 黒い目の先に、キヨの顔が浮かんだ。

 やがて僕は、ぽつりぽつりと、言葉を重ねていく。


 ※注:2004年以前の殺人事件の時効は十五年。2005年から二十五年となり、2010年には撤廃された

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