第2話 キヨの葬儀

「あっ見てよモリー」


 ハンバーガーショップの二階から、窓の外を見下ろしていたキヨが人混みを指差した。その先には足早に歩く女性がいた。つばの広い帽子を被っているため顔は見えない。


「あれ、女優のY田T子だよ」


「えっ?」


 僕は駅に向かうその女性の姿を凝視するが、それが果たして当該人物なのかどうか判別がつかない。

 やがてその姿は人波に揉まれて見えなくなってしまった。


 友人は、人混みの中から特定の人物を探し出すのが異常にうまい。顔など見えなくとも、歩き方だけでそれが誰か分かるのだ。

 あまりに凄いので「これはもう特殊能力だ、キヨ」そう言うと、彼は近鉄バファローズの野球帽をボリボリとかいて笑う。


「だからそんな大げさなもんじゃなくて、ただの癖だよぉ~」



 なぜ今その笑顔を思い出したのか。


 僕は部屋の隅のパイプ椅子に座り、祭壇に飾られた白い菊の花を茫然と眺めていた。

 辺りには線香の匂いが漂っている。果たして自分が焼香を済ませたのか済ませてないのか、それすら記憶が定かでない。


 別世界にいるようだった。


 まるで熊の唸り声のような「グムゥ」という嗚咽が、葬儀場の静寂を裂く。棺の前で、キヨの伯父は這いつくばり声を上げて泣いていた。


聖彦きよひこぉ……、ウグゥ、グムゥっ……」


 僕は呆然とそれを見ていた。

 伯父はしきりに鼻を鳴らし、肩を小刻みに揺すっている。


「俺が、おっ、おまえに、……、遍路へんろエックスの噂なんて、教えなければ……!」


 四国から帰ってきたのは僕だけだった。キヨは帰ることができなかった。首を絞められて殺されていたのだ。両手首は切断されていた。

 犯人はすでに捕まっている。


「人の手首を持ち歩く異常な女遍路の噂なんて……、口にするんじゃなかった……!」


 伯父はそう吠えて立ち上がると、パイプ椅子を何脚かなぎ倒した。葬儀屋の若いスタッフの静止を振り切り、僕に向かって突進してきた。


「お、おまえ……、聖彦の友達だったんだろう! どうして見殺しにした!」


 胸ぐらを掴まれ無理やり椅子から引き上げられる。つんと酒の匂いが鼻を突く。


「おまえ、どうして聖彦を助けてやらなかったぁ!」


 わんわんと絶叫が頭に響く。スタッフが小声で制止する声が聞こえる。


「ごめんなさい……」


 そう言うしかなかった。キヨのもとに到着した時、すでに遅かったのだ。

 今も彼の死に顔が目に焼き付いて離れない。焦点の合わない目。苦悶に満ちた表情。首に巻き付いた紐。


 胸の中が氷の粒で埋め尽くされたような感覚が広がる。


「兄貴、いい加減にしてくれ!」鋭い声が聞こえた。


 間に割って入ったのは、キヨの父親だった。

 僕から伯父を引き剥がす。


「森沢くんは……、聖彦の大切な友人だ」


「馬鹿野郎ぉ……、一緒に遍路に出て、こいつだけがおめおめと生きて帰って……、それがどうして友人だって言えるんだよぉ……!」


 心を日本刀で切られているようだった。


「どうして聖彦だけ殺されるんだよぉ! おまえ、親父なのに悔しくないのかぁ!」


 キヨの父の顔が歪んだ。一瞬口を開きかけたが、すぐにグッと横一文字に結ばれる。

 父親は伯父を突き飛ばすように押し退けると「こっちへ」と言って僕を廊下に連れ出した。


 号泣する声が部屋の外まで響いてきた。


「……すまなかったね。えっと森沢くん……? で合ってましたよね? 名前」


 僕は小さく頷く。


「兄は錯乱しています。本心で言ったことじゃないので、どうか許してほしい……」


 そう言って深々と頭を下げる。

 僕は首を振った。


「本当は……、息子を亡くした僕の方が泣きたいぐらいなんだが、あいつも、ひどく責任を感じている……」


 僕ら二人が四国の遍路を目指したのは、キヨが『遍路X』についての噂を聞いたのがきっかけだった。それは他ならぬ彼の伯父からもたらされたものだった。

 彼がキヨに教えなければ、僕らが四国に向かうことはなかっただろう。


 葬儀場のホールで、僕らはしばらく無言で俯いていた。

 僕はキヨの父とは、これまでほとんど話したことがない。キヨの家に遊びにいっても、彼の父は仕事でほとんど家を空けていた。


 窓から差し込んできた夕日が、キヨの父の影を長く引き伸ばしている。

 まるでこのまま消えてしまいそうなぐらい淡い影。


「迷惑をかけて悪かったね」ポツリと呟く。


 夕日に照らされて、げっそりとけた頬が際立つ。まつ毛に涙のあとが光る。


 一人っ子で父子家庭で育った友人は父親思いだった。

 その父から、たった一人の息子を奪ってしまった。謝らなければいけないのは自分の方だ。


「ご、ごめんなさい……」


 僕は崩れ落ちるように土下座した。ホールの床に向かい、何度も叫ぶ。


「ごめんなさい、ごめんなさい……!」

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