第22話 ポケベル

「あの道です」


 小人さんが指差したのは、山を背にして立つ二軒の古びたバラック小屋だった。生い茂る雑草の中、埋もれるように建っている。壁は潮風にさらされてさびだらけだ。

 その間に細い隘路が山に向かって伸びていた。


 僕はその道を凝視した。一体どこに続いているのだろう。

 なだらかな勾配の道が木々の奥へと続いている。先は暗くて見通せないが、小屋はこの奥にも数軒並んでいるようだった。

 人の気配はない。キヨがなぜこんな道を行ったのか。


「本当にここを?」


 小人さんは頷いた。


 ひょっとしてキヨは『ハンニン』を追って進んでいったのだろうか? 警察を呼ぶべきだろうか。

 偶然にも、バラック小屋と道路を挟んだ向かいに電話ボックスがあった。


 ポツンと闇に浮かぶ電話ボックスは、まるでホラー映画のジャケット写真のようだった。

 数日前に通り過ぎた時はまだ日が高かった。そのため気にも留めなかったが、夜になるとその姿は一変していた。薄気味悪さが際立っている。


 警察に電話するのはいいが、何と言えばいい? 指名手配犯を追って友人が変な道を行ってしまったと伝えるか?

 まず取り合ってもらえないだろう。


「友達を探すんじゃなかったんですか?」


 小人さんは背後から僕の背中をポンと叩くと、力強い足取りで、ひとり隘路に踏み入っていく。


「あ……」僕は一瞬躊躇した。しかし不安を押し殺してすぐに彼の後を追った。


 道の先には、朽ちかけた小屋が点在していた。ペンライトの小さな光の輪を、あちこちに走らせる。

 波の音が聞こえなくなった代わりに、木々のざわめきが耳朶に響いてくる。

 どうやら廃集落のようだった。

 奥に行くに従って、生臭い匂いが鼻を突く。


 先を行く小人さんが、


「あっち側におるかもしれへんね」


 振り返らずにそう言った。


「こっちや、はよ、こっちきぃーや」


 僕はビクッと体を固くした。

 先を歩く巡礼者の口調の変化に気がついた。


 関西弁。

 いつかの晩を思い出し、不安が胸をよぎる。

 よく見ると、男は手にビニール袋を引っ掛けている。いつの間に手にしていたのだろう。

 ビニール袋にガサガサと手を入れ、瓶を取り出す。牛乳パックほどのそれを、傾けて口に当てている。

 僕は恐る恐る聞いてみた。


「あの、お酒飲んでますか……?」


「ああん? 友達探してんのやろ?」


 暗くて彼の顔は見えない。だけど赤く頬を染めている気がした。

 僕はかすかに後悔し始めていた。


 小人さんはスタスタを奥へと進んでいく。まるでこの道を知っているかのような足取り。

 この人は一体自分をどこへいざなおうというのだろう。

 この遍路は絶対嘘をついてない、という保証がない。

 自分の中で急に危機感が増した。


「すいません。ちょっと戻ります」


 そう言うが早いか、踵を返してもと来た道を急ぎ足で下っていった。

 これ以上付き合うのは危険だと判断した。一旦キヨにメッセージを送ってみようと思ったのだ。


 電話ボックスまで辿り着くと、僕は背中からリュックを降ろしテレホンカードを取り出す。急いでダイヤルをプッシュする。

 キヨ宛のメッセージ。どこかで無事に見届けてくれるだろうか。


 ピピーピピーという電子音が響き吐き出されたテレホンカード。まるでアカンベェと舌を出してからかっているように見えた。

 悲しみがこみ上げてくる。


 バァーーーーン!


 突如、ボックス内に大音量が響き、僕は飛び上がった。


 バァーンバァーン、バァンバァン!!


 外からガラスを叩かれている。

 小人さんだった。


「なぁ! なぁ! なぁ! ちょっとぉ! なぁ! どうしたん急に!? なぁ!」


 バァンバァンバァンバァン!!

 狂気の巡礼者がガラスを叩く。叫びながら。

 ボックスのドアに立ちはだかる。僕の行く手を阻むように。


「あの……」震えて言葉が出てこない。


 僕よりも大きい体躯で立ちふさがれ、その威圧感に恐怖を感じる。

 男はまるで爬虫類のような目で、こちらを観察するようにじっと見る。


「おいおいおいーー! どうしたん、どうしたんんーーー!? 失礼やないかーー!? こっちは手伝ってるんやでぇーー!」


 真っ暗な遍路道に、男の怒声が響き渡る。男はビニールの酒瓶を振り回す。

 電話ボックスの狭い空間が、まるで檻のように感じられる。

 怖い。手が震える。

 やっぱりこの人はお酒が入ると人が変わる。


「すいません……」と謝ろうとした矢先、突然小さな電子音が聞こえてきた。

 二人はしばらく黙ったまま見つめ合っていた。男もこの音の正体を考えている様子だった。

 聞き覚えのあるメロディだった。

 これは。ポケベルだ。

 キヨのポケベルの音だ。


 男が「んん?」と、懐から小さな機械を取り出した。それを不思議そうに見つめる。

 機械の液晶部分が光り、電子音を発している。


「『イマト゛コ?』って表示されてるんやけど、これなんの機械なん? トランシーバー?」


 僕が今しがた送ったメッセージだった。


 


 頭の中が真っ白になった。

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