第13話 ミステリー作家
高知県に差し掛かる頃になると、遍路道は次第に寂しげな風景へと様変わりしていく。
閑散とした海沿いの道を延々と歩く。店もほとんどない。
徳島の遍路道はアップダウンの激しい箇所が多かったが、高知はなだらかだ。その代わりに、とにかく寺と寺との間隔が長い。二日歩き続けても次の寺に到着しないこともある。
海を左手に眺めながらひたすら歩いた。
一日中歩き続けていると、余計な雑念が削ぎ落とされていくような感覚になる。
歩きながら、ただ自分と向き合い続ける。
時折戒めるように思い出すのは、出発前にキヨが話してくれたハンセン病患者のことだ。
遍路は彼らにとって死出の旅だった。
今彼らと同じ道を歩いてる。そう思うと、こみ上げてくるものがある。
アスファルトに金剛杖を打ち付ける。シャリシャリと鈴の音を聞きながら、僕は自分との対話を続けていた。
その日の夕暮れ、道端に一軒の
水道が備え付けられているのを見て、今夜の宿泊所と決めた。
汗だくになった白衣を洗えるため、水は重要だ。
リュックを下ろし空を見上げると、濃い夕焼けが一面を覆っていた。
寝床が決まればあとは食べて寝るだけだ。
歩き遍路の朝は早い。午前中の涼しい内に距離を稼ぐため、明日は午前4時に起きるつもりだった。
白衣を水道で洗い、身体を手ぬぐいで拭いた後、寝袋に座って、昼間コンビニで買ったソーセージパンをかじっていた。
時折車が走り去っていく。
車道脇で寝ても、今はあまりうるさく感じない。我ながら、人間の順応力はスゴイものだと感心する。
ふいに車ではないエンジン音がすぐ近くで聞こえてきた。
見ると、車道からライトが一つ、そのまま屋根の下へと滑り込んできた。
一台の原付バイクだった。
僕は驚いて、思わず身を固めた。
ピザ屋が配達するような屋根付きスクーターから、男が降りてくる。
フルフェイスのヘルメットを脱ぎとる。
年の頃は四十歳半ばぐらいだろうか。ところどころ白髪の混じった髪をボサボサと掻く。
呆気にとられている僕を見て、にこっと微笑んだ。
「驚かせてすいません」男は頭を下げる。
突然の来訪者に僕は戸惑った。
「運転中に歩き遍路さんの姿が見えたので……。お兄さんは歩き遍路さんですか?」
「あの、はい……。そうですけど……」
「あぁ、いやいや、ごめんなさい! 怪しいものじゃないんです」警戒する僕に向かって男は両手を広げる。
男はスクーターを東屋の脇に寄せると、後部の荷台に備え付けられているバスケットを開ける。
「すいません、僕はこういう者です」
差し出された名刺を恐る恐る受け取る。
『作家
「庭林、さん……」
「ハイ。しがない
ちらりと彼の顔を窺う。満面の笑みでこちらを見ていた。
作家さんが自分に何の用だろうと
『庭林 志郎』という名になぜか既視感があった。どこかで見たような……。
「作家なんでペンネームは一応別にあるんです。『庭林 志郎』は僕の本名です」
男は少し照れくさそうに頭を掻きながら説明を続ける。
「ペンネームは『
「あーーーっ!」思わず大声を上げた。
「ひょ、ひょっとして隔月刊誌『ホラーとミステリー』で連載していました? あの『庭 林志郎』さん!?」
作家は一瞬きょとんとした顔を見せたが、
「ひょっとして読者さんですか? あれー? あれれー?」
こんな偶然あるだろうか。
高知の人里離れた遍路道でまさか自分の大好きな作家に遭遇するとは。
「あのう、あのう……、すごくファンです! 特にあの物語が好きでした。あの、あのっ……」僕は興奮のあまり言葉を詰まらせた。
「夜道で、女性が強姦されそうになったのを助けた話」
男がポンと手を打つ。
「『懺悔』ですね! いやぁ、あの短編を知っているということは、随分昔っから読んでくださってるんですねぇ」
「『懺悔』! そう、『懺悔』大好きです。男に襲われていた女性を助けようとして、誤って犯人を引き倒して殺してしまった主人公の苦悩……。胸に刺さりました……」
バックナンバーを読み漁っていると伝えると、「こんな
『庭 林志郎』の作品は過小評価されていると僕は本気で思っていた。
「こ、個人的には、
大ミステリー作家の名前を出すと、彼は一瞬真顔になったあと大笑いした。
「いやいやいや! 僕には、逆立ちしてもあんなどんでん返しやトリックは思いつきませんよ! 頭の出来が違いますから」
作家はヘルメットを荷台に収めると改めて僕に向き直った。
「実はですね。今、取材旅行中なんですよ」
「取材、ですか?」
「はい。よろしければ少し話を伺っても構いませんか?」
聞けば庭林さんは、東京からわざわざ高知までやってきて、レンタルした原付きスクーターで遍路道周辺を走り回ってるらしい。
「原付きの方が小回りがきくんですよ」
そうして、見つけた歩き遍路に声をかけているという。
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