第12話 道程
リュックからペットボトルのお茶を取り出して喉を潤す。
数時間前「お接待させてね」と言って、地元のおばさんから頂いたものだった。
こちらがお世話になっているのにも関わらず、四国では、お接待させてという方は多い。その度に僕は恐縮してしまう。
最初は本当に驚いた。
ペットボトルのお茶やジュースだけでなく、バナナなどの果物も頂くことがある。地元の人々は気軽に様々なものを振る舞ってくれるのだ。
僕のような若い歩き遍路は比較的珍しいらしく、寺や休憩所でよく声をかけられる。
東京から来たことや、歩いて結願を目指していると話すと、皆一様に驚きつつ「頑張ってね」と応援してくれる。
おかげで僕の人見知りも、じわりじわりと解消されていった気がする。
キヨも驚くに違いない。
この四国という土地の温かさと信心深さを。
歩き遍路に出て一週間経つが、決して順風満帆というわけではなかった。
三日目に、第十二番札所の
時折ロッククライミングのように岩を掴みながら、たっぷり六時間かけて登りきった。
夕方、山門の前に立った時、膝はガクガクと笑っていた。
遍路では札所を巡ることを『打つ』と表現する。焼山寺を打った時は、最初の難関をクリアしたような気分になった。
人生初の野宿をする時はさすがに緊張した。
出発前に何度か、買ったばかりの寝袋を部屋に敷いて予行練習をしたが、いざ当日それを地面に敷いてみると、予想以上に地面の固さがダイレクトに伝わってくる。おかげでろくに眠れず、次の日体中が痛かった。
僕は道の途中にあったホームセンターに飛び込むと、寝袋の下に敷く銀マットを購入した。
幸い遍路道は野宿に適した場所が多い。東屋が至るところにあるため寝場所には困らない。
野宿も何度か経験する内に慣れた。
歩き遍路はこの上なくシンプルな生活だ。
ひたすら歩き、眠り、そして次の日再び歩きだす。たったこれだけだ。
自分でも意外だったのは、僕はかなり早い段階でこの生活サイクルに馴染んだことだ。
出会った遍路の何人かと少しは話をするようになりそれが分かってきた。
一番多い歩き遍路は、僕のように、長期休暇を利用して遍路に挑戦するタイプだ。
基本は野宿だ。リュックサックに寝袋を括り付けて歩く姿は、遍路道の風物詩とも言える。
3月のこの時期は大学が春休み期間ということもあって、自分と同じくらいの若い男性遍路を何人か見かけた。
長期の休みが取れない人は、休みの度に四国にやってきては、前回歩いたところから歩き始める。『通し打ち』に対して『区切り打ち』と言われるやり方だ。
そして究極の存在として、果てなく歩き続ける職業遍路がいる。
好きで職業遍路になる人はいない。やむにやまれぬ理由を抱え、生きるために職業遍路をやっている。
改めて気づいたことは、職業遍路の多さだ。
とても長い期間巡ってる人は多く、中には遍路としての儀礼に厳しい人もいる。
こんなことがあった。
ある寺の前で、深々と合掌している遍路がいた。
その風貌から、世俗を嫌って自ら遍路道に飛び込んだような趣を感じた。年季の入った職業遍路であることは一目で分かった。
僕は、邪魔にならぬようにその脇をそっと通り抜けようとしたのだが、
「待ちなさい」
鋭い声が飛んできた。
「山門をくぐる時は一礼してからくぐるのが礼儀です」ギロリと睨まれる。
仁王像のようなその表情。僕はその迫力に
「ご、ごめんなさい」
自分の無作法を詫びた。
男はこちらをじっと見る。
「そんなに怯えることはありません。あなたのような若い方が遍路の道を歩むことは、私にとっても大変喜ばしいことなのです」
合掌したまま話を続ける。
「ですが、作法を学ぶことは必要です。遍路は内省と成長の旅。作法はその一環であり、それによって心も研ぎ澄まされるのです」
そう言うと表情を和らげた。
「誰もが最初から完璧な遍路ではありません。私もかつては初心者でした。誰しもが通る道。頑張ってください」
背筋が自然と伸びるのを感じる。
僕は、今度こそ一礼して山門をくぐった。
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