第11話 出発
頬を伝う汗を白衣の袖で拭う。
予想以上に3月は暖かかった。遍路道の脇には、小さな花が顔を覗かせ木々の芽吹きが目に入る。
ふいに場違いな電子メロディが聴こえてきた。
ポケベルの着信音だ。
切りよく現れた木陰の下に滑り込むと、僕は背中からリュックサックをどさりと降ろし、
ポケベルを取り出す。待ちに待ったキヨからの着信だった。
「シユツパツ スル」
僕は晴天を見上げた。
キヨもいよいよ出発か。
バーガー店で気まずい別れをした翌日、同じ場所で再びキヨに会った。
僕が頼んでそうしてもらったのだ。
自分の態度をキヨに謝罪し、できる限り本音をぶつけた。嫉妬していたこと、見下していたかもしれないことを話し、詫びた。
「でも分かってほしい。本気でキヨのことを見下していたわけじゃないんだ」
僕は言葉に詰まり、窓の外を見つめた。自分の中にある複雑な感情を整理しようとしていた。
「僕はただ……、一人暮らしをして、自分なりに頑張っていると思いたかった。ひとり立ちできていると信じたかった。僕は、たったそれだけの、痩せた自信が欲しかっただけなんだ……」
嫌われるなら仕方がないと思っていた。だけど友人は首を横に振った。
「僕は覚悟を持って伝えたんだ。就職のことを……。だからモリーが今こうして正直に話をしてくれて嬉しい」
キヨの言葉に、思わず顔を上げた。
友人は、僕が考えるよりもずっと大人だった。
彼の目には、少しばかりの安堵の色が浮かんでいる。僕たちは気まずさを打ち消すように、互いに小さく頷き合った。
僕らは、改めて遍路に出ることを確認し合った。
そこで彼が提案したことがある。
「ねえモリー。遍路は別々に出発しないか?」
「えっ!?」
驚いたのは、自分がまったく同じことを考えていたからだ。
まさかキヨの方から提案してくるとは思わなかった。
遍路に行くなら、二人別々の方が良い。少なくとも、友達同士で喋り歩きながら取り組むものではないという認識を持っていた。
遠足ではないのだ。
僕らは二つ目標を立てた。
一つは、遍路Xを調査すること。
もう一つは、
もちろん交通機関の利用は禁止。
でも無理はしない。決して危険なことはしない。そう約束し合った。
僕は今までずっと自分のことを空っぽだと思っていた。
ただ社会の流れに身を任せ、物事を深く考えず、将来のために挑戦もせず、ダラダラと生きてきた。
このままじゃ駄目なことは分かってるけど、何をしていいのか分からなかった。ぬるま湯のような嫌気に慣れすぎていた。
四国遍路を歩き通すことができれば何か変わるだろうか。
これは僕なりの挑戦だと捉えている。達成できれば、空っぽの自分の中に何かが埋まるかもしれない。
そんな期待があった。
出発は、暖かくなり始める3月中旬に決まった。
決まった以上、やるべきことははっきりしている。
旅費を稼ぐことだ。
二ヶ月半、僕は昼夜を問わず限界まで清掃のバイトを詰め込み、何とか軍資金を集めた。キヨも同様だ。足りない分は本を売り払ったとも聞いた。
両親に遍路行きを伝えると心配されたが、最後には「旅費にしなさい」と五万円を包んでくれた。
まず先に僕が出発して、三日後にキヨが出発することに決まった。
理由は単純。キヨの方が準備に手間取ったというだけの話だ。
出発前夜、僕はキヨに会いに行った。
「モリー、これ持っててよ」
見慣れたお守りを渡された。
『謎』の調査の時、彼がよく首からかけていた
『御守り』の文字の判別すら難しいぐらいに年季が入っている。由来を聞いてもいつも言葉を濁されて教えてくれない。
「いいのかい? これ」
「先陣はモリーだからね。きっとお守りが守ってくれるよぉ」
「ありがとう。キヨの方は? 準備は順調?」
「ね、寝袋をまだ買ってない……」
その呑気さに呆れるやら笑うやら。
僕らは軽く言葉を交わし合い、別れた。
見上げると珍しく星がよく見えた。
これが生きたキヨを見る最後になろうとは、夢にも思わなかった。
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