第10話 僕の物語
重い足取りで帰路につく。
後悔が波のように押し寄せてきていた。
『関係ないだろ』
どうしてキヨにあんなことを言ってしまったのだろう。
吐いた言葉を取り戻したい。
安アパートの階段を上がる途中、端に吹き溜まった埃がまるで自分のように思えた。
建付けの悪い玄関ドアを閉め、一息つく間もなく、僕はノートを取り出して机の上に広げた。
ペンを走らせる。
どうにか落ち着こうとしていた。
不安な時に物語を書くのは、僕の習性のようなものだった。
物語の主人公は、時々僕自身の心情を吐露することもある。だけど真逆のことを主張することもある。
日記のように赤裸々に感情を吐き出すわけでもないけど、仮にも小説という体裁をとっているのは、己の欲望や感情を隠すためのカモフラージュなのかもしれない。
書いてる内に、不思議と頭の中が整理されていく。
だから僕は自由にペンを走らせる。その結果が物語になる。
気がつけば山の中で暮らす山羊の話を書いていた。
山羊は山に家を立てて住んでいる。家の周りには時々狼が出るため、怯えながら暮らしていた。
山羊は考える。どうして狼に怯えずに暮らせるだろうかと。
そう書きながら、キヨが言ったことを頭の中で反芻する。
『僕も強くなりたいんだ』
僕は実のところ、キヨのことをすでに強いと感じていた。
だってキヨは挑戦したじゃないか。
彼は進路を選んだ。専門学校に入って学ぼうとした。
キヨ。気づいてないかもしれないけど、君は十分強い。
そして再び挑戦するんだろう。
コネ入社と卑下していたけど、働いて一人前になろうとしている。お父さんに迷惑をかけずにいようとしている。いや、彼は父の面倒を見ようとしているのだ。
僕はそれに対して、ただ妬んでいるだけだ。
まったく呆れる。
翻って自分はどうだ。何も挑戦していない。
受験も就職も避けた。ただフリーターという道に流された。
これが今、重い鎖のように自分の足に絡みついている。
苦しい。
『自分は何の挑戦もしなかった』という呪縛が。
僕は高校を卒業してすぐに家を出た。
親と仲が悪いわけではない。
母親は、いきなり一人暮らしを始めた息子を当初は心配していたが、今は時々電話で生存確認してくる程度だ。
僕はインクのかすれたボールペンを軽く振る。
山羊は狼から身を守るために、このままではいけないと感じ始めていた。
ある日突然寝ていたベッドから飛び起きると、拡声器を取り出し、山中に響き渡る大声で、
「おい、おおかみぃーーー!」
と叫んだ。
山羊はこのままではいけないと強く感じていた。
山羊は死ぬかもしれないが、怯えて暮らすのは死んでるのと同じだと腹をくくった。
「来るなら来てみろーーー!」
僕は投げ捨てるようにペンを置いた。
玄関の脇に置いてあるテレホンカードを掴むと、そのままアパートを飛び出した。
勢いよくスリッパで階段を駆け下りた際、端に溜まっていた埃が巻き上がる。
家から一番近い、公園脇にある電話ボックスに駆け込む。
ポケベルの番号を素早く押し、メッセージを入力する。
「キヨ ゴメン」
一旦受話器を置くと、僕は電話ボックスから出てウロウロと外を歩いた。
見上げると夜空に三日月が浮かんでいた。
もう一度ボックスに入り、同じ番号にかける。今度はゆっくりボタンを押した。
「ヘンロ イク」
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