第51話 同行二人

「まさか、キヨくんが結衣子さんを目撃していなかったとは……。これまでの僕らの調査や推理が水泡に帰したというわけですか?」


 庭さんが額に手をやり、考え込むように眉をひそめた。困惑が滲んでいた。


 水泡に帰してはいない。

 僕の、本当の本題はここからだった。


「敬三さんと話をしてしばらく経った頃、キヨのお父さんから連絡がありました」


「キヨくんのお父さんですか……?」庭さんは少し体を前に傾けた。


「はい。実は、キヨの手帳が見つかったのです。警察の方から連絡があって、なんでも林業の男性が拾って届けてくれたそうです。『親友の君が持ってる方がいいだろう』とわざわざ僕に連絡をくれたのです」


「よく見つかりましたね」


「野犬が持ち去っていたみたいです」


 僕は説明を続ける。


「キヨは変わったやつで、いつも『蒲焼三郎くん』という駄菓子を、手帳のしおり代わりに挟んでいました。彼の好物の、タラのすり身のおやつでした。まぁ、匂いが漏れていたんでしょうね。野犬がその匂いにつられて、手帳ごと咥えて持ち去ったらしいのです」


「ははぁ、それで発見が遅れたわけですか。それで、手帳には何かが書かれていたわけですね?」


「はい。ハンニンに関する重要な事実が書かれていました」


「ハンニン……」庭さんが言葉を反芻する。


「それは結衣子さんとは全く別の人物ですか?」


「はい」


「誰なのです?」庭さんが穏やかに尋ねる。


 僕は唇を噛みしめる。


「庭さん、あなたです」


 庭さんが微笑のまま表情を固まらせた。

 その表情に、一瞬だけ戸惑いがよぎったように思えた。


 古時計の音だけが部屋に響く。


 頭の中で、庭さんと過ごした四国での日々が蘇る。まさかこんな言葉を口にする日が来ようとは思ってもみなかった。


 庭さんとの最初の出会いは、単なる偶然だった。

 キヨの死を経験して、僕らは共に四国へ再訪することになる。

 僕にとって庭さんは、旅の同伴者以上の存在だった。

 彼はまるで一種の導き手だった。


 四国遍路は同行二人どうぎょうににんと言う言葉がある。

 常に弘法大師が一緒についていてくれる、共にいてくれるという意味だ。遍路なら誰でも知ってる馴染みの言葉だ。

 僕にとって同行者は、庭さんだった。


 その彼がどうして『ハンニン』なのか。

 何度も自問自答した。だけど、示された事実を精査すればするほど、彼以外にあり得なかった。


「……僕ですか?」


 目の前の庭さんは、僕の言葉を聞いても、焦ったりする様子は見受けられない。

 ただ、困ったように眉を寄せた。


「森沢くん。僕が『ハンニン』だと言うからには、何かしらの根拠があるんでしょう? その手帳には何と書かれていたんです?」


 僕は鞄から一枚の用紙を取り出す。


「これは手帳の中身をコピーしたものです」テーブルの上に置いた。


 僕はそれを指差しながら、


「キヨは手帳を日記代わりに使用していました」


 ※ ※ ※ ※ ※


 最御崎寺に到着☆


 疲労がもうやばいでショ。参道で休憩。

 駐車場を眺めてたら衝撃のできごと発生!

 バス遍路さんたちに話を聞いてまわってる怪しい男を発見!


 すぐにピンと来た。

 犯人見っけ見っけ見っけーーーー! まさかの犯人発見!

 間違いない、あの事件の犯人だ。


 観察メモ:

 ・身長170cm前後

 ・年齢四十代ぐらい

 ・原チャリで移動してる?


 あとでモリーに連絡(超重要)

 追伸:昨日の菅根温泉保養センターが最高すぎた。また入りたいナ~


 ※ ※ ※ ※ ※


 僕と庭さんは同時に顔を上げた。


「日付部分が欠損しているのは、犬に食い破られてボロボロだったからです」


「森沢くん、この『怪しい男』『犯人』が……、これが僕だということですか?」


「庭さんは言ってましたね? 『最御崎寺の駐車場でバス遍路さんに聞き込みをしていた』と」


「ですが……、この日記には、日付も時刻も書いてないのですよ? 僕だとするには根拠に乏しくないですか? バス遍路さんに話しかける人は他にもいてたでしょう」


 口調はあくまで穏やかで、まるで世間話をしているかのようだった。


「それは一理ありますが、庭さんがそこにいた時刻は特定できます。3月27日の午後1時から1時5分の間です」


 庭さんは目を丸くした。


「どうしてそんなに正確に分かるんです?」


「庭さんは以前こうも仰ってましたよね……。『僕が訪れた時ちょうどお祭りをやっていた』と」


 作家は天井を見上げた。


「ああ、はい。思い出しました。確かに言いました。境内の方が賑やかだったので、夏祭りでもやってたようでした。なるほど、それから逆算したわけですか?」


「祭りはやっていませんよ」


「え?」


「最御崎寺にも直接問い合わせましたが、あの時期、そういったイベントは行われていません」


 庭さんは少し戸惑ったように視線を泳がせた。


「どういうことです? でも僕は確かに鐘のなど、賑やかな音を聞いたんです。嘘じゃありません」


「嘘をついているとは思っていません。つく理由もないですから」


 僕は鞄の中から、更に一枚の紙を出してテーブルに置いた。庭さんが手に取ってそれを見つめる。


 真っ青な海をバックに白壁のお洒落な建物が写っている。ポップな文字で大きく『3月10日オープン!』と書かれてある。


「これは……?」


「新しくできたペンションのチラシです。最御崎寺の近くにできたそうです」


「これが、どうかしましたか……?」


「このチラシは、宣伝のために配布されていたものです。裏を見てください」


 庭さんがぺらりとめくると『大阪繁盛家』という企業印が押されていた。


「大阪繁盛家さんは、大阪のちんどん屋さんです。このペンションのチラシ配りを請け負った宣伝業者さんです」


「ちんどん屋さん……?」


 庭さんが怪訝そうな顔をした。


「そうです。チンチン鐘とか太鼓を鳴らして街を練り歩く、あのちんどん屋さんです。レトロな宣伝メディアとして今でも親しまれています」


「森沢くん、僕にはちょっと話が見えないのですが……。一体何の関係があるのです?」


「このチラシはキヨが持っていたものです」


「キヨくんが?」


「手帳に挟まれていました。チラシの裏のこの判子を見た時、僕はある直感が浮かんだのです。直接、大阪繁盛家さんに電話をして確認しました。

 そして分かったことがあります。ペンションのオーナーさんの依頼を受けて、3月の27日にチラシ配りを行ったそうです。

 チラシをどこで配るか。選んだ場所が、最御崎寺の山門の前だったそうです。ペンションの場所と近かったため、オーナーさんと相談してそこに決めたそうです」


 庭さんの表情が微妙に変化した。


「ところが、午後1時から山門の前で演奏していたところ、寺から住職がすっ飛んできて、こんなところで迷惑だと激怒されてしまいました。すぐにそこでの宣伝活動は中止したそうです。結局チラシを配布できた時間は5分間。その後は高知市内へと移動したそうです」


 僕は庭さんの反応を注意深く観察した。


「庭さん。ちんどん屋さんを街で見かけたことはありますか?」


「ええ……。何度かは」そう言うと、ハッとしたような表情になった。


「なるほど、そういうわけですか……。僕は勘違いしたようですね……。僕が聞いたのは、祭りの音色ではなく、ちんどん屋さんの演奏だったわけですか」


「鐘や太鼓を打ち鳴らす彼らの演奏は、遠くから聞くと、どこか祭り囃子のように聞こえなくもありません。大阪繁盛家さんに演奏していた曲目を聞いたのですが『三池炭坑節』だったそうです。『月が出た出た~』です」


「それは……、ますます勘違いしますね」


「庭さんは、そのメロディを聞いて、境内でお祭りが行われていると誤認したのです」


 庭さんは、何かを悟ったような諦めの表情を浮かべる。


「繁盛家さんは、住職に怒られるまでのたった5分の間にも、チラシを数枚配ったそうです。数少ない内の一人がキヨでした。

 繁盛家さんのメンバーの一人が覚えていました。『近鉄バファローズの帽子を被った若い歩き遍路にチラシを渡した』と」


 庭さんはゆっくりと亀のように頷きを繰り返した。

 僕は、テーブルの上のキヨの記述を指差し「もう一度確認します」と言った。


「……当初僕は、キヨは温泉保養センターで結衣子さんを目撃したのだと思い込んでいました。だけど、敬三さんの言ったように彼女はその日別の店舗にいました。キヨとは遭遇していなかったのです。

 キヨは日記の中で、温泉保養センターに言及しています。『昨日の菅根温泉保養センターが最高すぎた。また入りたいナ~』と。この箇所ですね」


 僕はその場所を指で示した。


「キヨは温泉保養センター自体には立ち寄っていますが、結衣子さんとは遭遇しなかったのです。もし遭遇していたら、もっと違う内容の日記になっていたでしょう」


 庭さんは日記に目を落としながら、ふと思い出したように言った。


「ちょっと待ってください……。キヨくんは『昭和平成残酷犯罪史』なんて本まで購入して、過去の事件を調べようとしていたんでしょう? それなのに結衣子さんと遭遇しなかったというのは矛盾してませんか? 結衣子さんと遭遇したからこそ、過去の誘拐事件を掘り下げるきっかけになったのでは……?」


 防犯カメラの映像が、実は妙子ではなく結衣子だということは、彼女本人が告白している。となると、キヨの頭の中にインプットされているのは、結衣子の歩行パターンだ。

 そう、確かにキヨは彼女を目撃していたのだ。


 僕は、鞄からさらにもう一枚用紙を取り出す。


「その通りです、庭さん。キヨは、結衣子さんの姿を見たのは間違いないのです。ですがそれは温泉保養センターではありませんでした」


 ※ ※ ※ ※ ※


 ◯△スーパーで夕ごはんを買う。パン!

 パンが持ち運びに一番楽ちん!

 買い物のお客さんの中に、すごい人発見!☆

 ゆうかい事件の防犯カメラにうつってた女の人発見!☆

 かみが短くなってる。

 でも変。たいほされた人とちがう!

 おどろいた~~。

 ゆうかいしたのはあの女の人なのに、捕まった人とゆうかいした人が別!

 変!

 これ調べた方がいいでしょ!


 ※ ※ ※ ※ ※


「やはり日付は書かれていませんが、これは別の日の日記かと思われます。どうやらキヨは、地元のスーパーで、買い物中の結衣子さんを目撃しているようなのです。『ゆうかい事件の防犯カメラにうつってた女の人』、さらに『かみが短くなってる』のが、結衣子さんであることは明白です。

 キヨは事件の詳細を改めて知るために、そのあと『昭和平成残酷犯罪史』をコンビニで購入したのだと、僕は予想しています」


 僕は麦茶を飲み干し、息をついて庭さんの顔を見た。

 庭さんは硬直したような表情で、深く考え込んでいるように見えた。

 僕は、少し間を置いてから再び口を開いた。


「……ちんどん屋に話を戻しますが、庭さんが彼らの演奏を祭りの音だと誤解したこと、キヨが彼らからチラシを受け取っていること、そして彼らの演奏がたった5分間だったこと。これらの情報を勘案すると、二人が同じ場所、同じ時間にいたという証明になると思いませんか」


 庭さんは何も答えない。


「駐車場にいた庭さんは、キヨの存在には気が付かなかったでしょう。ですがキヨは、参道からあなたのことを見下ろしていたのです」


 僕は大きく息を吐き「以上が僕の考察になります」と話を締めくくった。

 手のひらに滲んだ汗を感じながら庭さんの反応を待った。


 彼はしばらく黙り込んでいたが、突然、低い声で「ぐっはっはっ」と笑いだした。


「見事だ小僧……! よもや儂の正体を見破るとはな……!」大魔王のように笑う。


 面食らう僕を差し置いて「ぐっはっはっはっは」とひとしきり笑った。


「冗談ですよ……」


 やがてボリボリと頭を掻いた。


「そうですね……。僕が、キヨくんの言う『ハンニン』なのでしょう」

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