第39話 VHSのビデオテープ

 山崎さんが去った後、喫茶店には僕と庭さんだけが残された。

 店内に流れるクラシックの音色を聞きながら、彼から受け取った資料をテーブルの上に広げた。


「洞場沢家の家族関係の詳細も含まれているようですね。森沢くん、これを見てください」


「あっ」


 庭さんが指差した書類は、アルバイトの履歴書のような体裁だった。写真には、六十代ほどの男性が写っている。名は『洞場沢敬三』とあった。


 僕はじっと顔写真を睨む。

 妙子を軽トラで送り迎えをしていた作業着の男であり、僕を黒木から助けた人物に相違なかった。


「妙子の父親だそうです」


「父親……」


 二人は親子だった。何となく想像した通りだった。


 洞場沢リサイクルという廃品回収業を一人で営んでいると書かれていた。不用品を買い取り、分解してパーツを売ることで生計を立てているようだった。


「も、森沢くん、こっちを見てください」別の資料を見ていた庭さんの口調が少し慌てていた。


 受け取った書面を見て、僕は今度こそ大声を上げそうになり、思わず周りを見渡した。

 カウンターの中でマスターが怪訝そうな顔をしていた。僕は愛想笑いをひとつして、書面に戻る。


 同じような履歴書仕様。そこに写真が貼り付けられている。

 写る女性の顔に見覚えがあった。


「この人は……」


 彼女は、菅根温泉保養センターの受付にいた女性だった。穏やかな微笑みを浮かべている。


「どうやら、妙子の妹のようですね」


『重村結衣子』と書かれていた。

 彼女が常連客から「ユイコちゃん」と呼ばれていたこととも合致する。


 受付の彼女は、先日、遍路X――妙子を車で送り迎えをしているところを見た。

 なるほど、と僕は考える。つまり彼女は、自分の姉を送迎していたわけか。


 僕はさらに彼女の資料に目を通す。簡単なプロフィールが羅列されていた。


 1958年生まれ。現在39歳。妙子の二つ下の妹。

 23の時に長女有紀を出産。同年、夫の雅治まさはるとは離婚。

 離婚後もそのまま重村姓を名乗る。

 株式会社クア高知にて勤務。


「クア高知?」


「菅根温泉保養センターの運営会社でしょうね」


 若くして長女を産んだ後すぐに夫と離婚し、苦労しながら子育てするシングルマザーという経歴は、同情を誘うと同時に力強さも感じる。

 だが、その先を読み進めて僕はガツンと殴られたような衝撃を受ける。


「長女有紀を8歳の時に水難事故で失くす……」


 その一文が、胸の奥にドボンと重い石を沈めたような感覚を呼び起こした。


「見てください。山崎さんは、こんな資料まで集めてくれたようです……」


 それは新聞記事の切り抜きだった。


 ※ ※ ※ ※ ※


 平成元年(1989年)8月17日付 広島通信新聞

 8歳女児、川遊び中に溺死 ― 広島県三次みよし

 昨日午後2時頃、広島県三次市の河川で、重村有紀ちゃん(8歳)が友だちと川遊び中に溺れて亡くなりました。浅瀬で遊んでいたところ深みに流されました。消防隊の捜索により発見されましたが、到着時には心肺停止状態で、病院で死亡が確認されました。


 ※ ※ ※ ※ ※


 僕は顔を上げた。

 シングルマザーとして必死に育ててきたであろう娘を失い、彼女はどれほど絶望しただろう。


 子供を亡くした親。それがどれほど残酷な運命なのか、僕には想像もつかない。

 夫は去り、子供を亡くし、彼女だけが残った。

 どんな孤独を生きてきたのか――それを思うと、胸が締め付けられるようだった。


「人生というのは、時として残酷なまでに理不尽ですね……」庭さんが静かに言った。


 洞場沢家は、父親の敬三と姉の妙子、妹の結衣子の三人家族だと分かった。母芳子よしこははすでに鬼籍に入っていた。

 敬三と妙子は同居。結衣子は結婚を機に家を出ている。


 彼女が、妹の重村結衣子だということが判明したが、深夜に姉を車に乗せて、父親と同じように遍路道を歩かせている理由はやっぱり分からない。

 洞場沢家は一体何をやっているのだろう。


 僕は考え込むように、喫茶店の窓に額を寄せた。

 薄暗い空にぼんやり浮かぶ月が、どこか儚げで頼りなく見えた。


「ところで、山崎さんとはどこで知り合ったんですか?」僕は話題を変えた。


 庭さんは、冷めたコーヒーをずずっと啜って「あなたと同じですよ」と言った。


「僕と同じ?」


「そう。世にも珍しい僕のファンということです」


「あの刑事さんがですか?」


「そう、わりと熱狂的なファン。おかしいでしょう? 警察官からファンレターを頂く作家なんてそうそういないと思いますよ」


 忌憚のない言い方をすれば、庭さんが書く小説の多くは警察官がボンクラであることが多い。主役の探偵役を引き立てるためだけの存在と言っても過言ではない。


「警察組織の阿呆さがとてもよくえがけてるそうですよ」


 僕は苦笑しながらコーヒーを口に運んだ。


「実際の警察官のファンがいるなんて皮肉ですね」そう言うと、庭さんは笑みを浮かべた。



 その日の晩、庭さんは車中泊ではなくビジネスホテルを手配した。

 理由は、受け取った資料の中にVHSのビデオテープが含まれていたからだ。部屋のデッキを利用する必要があった。


 僕らは夕食も取らず、庭さんの部屋に直行した。

 狭い部屋の中で、小さな机を挟んで向かい合い、山崎さんから受け取った資料を広げる。

 庭さんがその中のビデオテープを手にした。

 テープのラベルには『~1981年(昭和56年)昼下がりのニュースワイド~』と書かれていた。


 備え付けのデッキに、静かにテープを挿入する。テレビ画面にノイズが走り、やがて映像が現れた。

 画面いっぱいに「徹底検証! 高知の幼児焼殺鬼女の正体!」という白文字のテロップが浮かぶ。

 テレビのスタジオのようだった。

 壮年のキャスターが神妙な面持ちで事件の経緯を説明していく。香川で起こった幼児誘拐殺人事件――犯人は洞場沢妙子という女性だと伝える。

 画面が切り替わり、スーパーの駐車場でマイクを握るレポーターが、事件当時の状況を再現しながら報道している。古いワイドショー特有の演出だ。


 次いで防犯カメラの映像が流れた。

 画面には、スーパーの駐車場らしき場所が映し出されている。そこに一人の人影が右から左へと移動していく。

 ロボットのような声の男性ナレーターが「ご覧のように防犯カメラの映像は非常に粗く、写っているのが男性か女性かすら判然としません」と説明を加えた。


 映像がスタジオに戻ってくると、妙子が自首をしてきた旨が説明され、コメンテーターたちは銘々に彼女に非難の声を向けた。


 僕らは、防犯カメラ映像を何度も巻き戻して再生した。

 画面を右から左に移動する人物。駐車場の高い位置に設置されたカメラからは、人物との距離はとても遠い。


 テレビ画面に食い入るようにして見る庭さんが、目を細めたりひん剥いたりしている。


「凡人の僕が見ても、さっぱり分かりません……。『人が歩いている』ということだけは何とか汲み取れますが……」


 同感だった。

 性別はおろか、服装の詳細さえもわからない。ただ、駐車場を横切るその一歩一歩だけが確かに映っていた。


「だけどキヨなら、多分、歩行パターンを抽出できると思います」


「キヨくんは、予めこの映像を見ていたと考えていますか?」


「キヨは犯罪オタクです。まず確実に見ているはずです」


 庭さんは腕を組む。


「じゃあ彼は、遍路Xが歩く姿を目撃して、それが誘拐事件の犯人――、洞場沢妙子であると見破ったわけですね……」


 僕は映像を凝視する。


「庭さん……」


「うん?」


「ちょっと……、聞いてほしいことがあるんですが」


 僕の頭の中には、むくむくとある一つの仮説が浮かびつつあった。

 だけどそれは、これまで積み上げてきた論拠を覆すものに違いなかった。


「キヨが見た『ハンニン』は、妙子ではないと思うのです」

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