第33話 ある事件
早朝、僕は庭さんの部屋のドアを叩く。
開けられたドアの向こうには、すでに目覚めていた庭さんの姿があった。
「どうして、すぐに教えてくれなかったんですか? 森沢くん!」
庭さんの声は焦りと興奮が入り混じっていた。
僕は庭さんが入れてくれたコーヒーを飲みながら、昨夜の出来事――コンビニで『昭和平成残酷犯罪史』という本を手に入れて、その中に『香川幼児誘拐殺人事件』という過去の事件を見つけたことを話した。
「いやぁ……、なんか寝てるかもしれないと思ったらちょっと遠慮してしまって……」
「起きてましたよ起きてましたよ。色々と執筆してたんですよ~」庭さんが、寝癖のついた髪をガリガリ掻きながら口をとがらせる。
「こう見えても僕は物書きでしてね」
庭さんは、僕から受け取った『昭和平成残酷犯罪史』のページをめくり、
「香川県でこんな事件が……」庭さんがページから目を離さないまま、眉間に深い皺を寄せた。
それから、急に天井を見上げると「洞場沢……」と低く呟いた。
「洞場沢だって……!?」急に興奮した様子で、がさがさと荷物を探りだし、何やら資料を取り出してきた。
ベッドの上に広げられた地図には、家一軒一軒に名前が記されている。
「森沢くん、これ、見てください」
庭さんが指差したのは室戸地方のある一箇所だった。
「ほら、ここ! 遍路道沿いの集落のこの奥まった一軒、洞場沢って名前があります」
僕はあっと声を上げた。
「よく気づきましたね……」
「変わった苗字だなと思って、記憶の片隅に引っかかってたんですよ。『ほらばさわ』って読むのか、『どうじょうざわ』なのか……そんなことを考えててね。『どうじょうざわ』と読むんですね……」
庭さんは真剣な表情で何度も頷く。
「ここからそんなに離れていませんよ。多分車で30分ぐらいです」
キヨが言及していた香川の誘拐殺人事件。その犯人である洞場沢妙子と同じ苗字の家が、遍路道沿いにある……。
奇妙な偶然に思えた。
「これ、本当に本人なんでしょうか……? 同姓の別人の可能性は?」僕は庭さんの顔を見る。
「こんな珍しい苗字はなかなか二つと無いでしょう。少なくとも地図上で洞場沢姓はここだけです」
僕と庭さんは顔を見合わせた。
「もしかして……」僕が言いかける。
「はい……」庭さんが頷く。
「キヨくんはおそらく、この誘拐殺人事件の犯人、洞場沢妙子を偶然目撃したんじゃないでしょうか?」
言葉が、重く部屋に響いた。
キヨが言った『ハンニン』は、過去の犯人、洞場沢妙子を指しているのだろうか。
「これは1981年の事件です……」僕は頭の中で計算する。「懲役十五年間をマックスで服役しても、彼女はとっくに出所しているはずです……」
出所したあとに、彼女が現在もここに住んでいるのかは不明だが、調べる価値はある気がした。
「キヨくんは、遍路の途中で偶然彼女の姿を見かけて、歩行パターンの一致に気づいたのかもしれませんね……」
庭さんが興奮気味に再度本を手繰り寄せる。
「ほら、見てください。本の記載によると、スーパーの駐車場に防犯カメラが設置されていて、女が赤ん坊を抱いたまま駐車場を横切る姿が映っているとあります。キヨくんは確か犯罪オタクなんですよね?」
「そうです」僕の声が少し上ずる。
犯罪オタクだったキヨは、防犯カメラ映像を予め見ている可能性は高い。コンビニ本に、防犯カメラのスナップショットが掲載されていたことを考えると、すでに世間に出回っている映像なのだろう。
そう仮定すると、洞場沢妙子の歩行パターンはキヨの頭の中にあったはずだ。
キヨは洞場沢妙子を見たのではないか。
『ハンニン ミッケ』は妙子のことを指しているのではないか。
彼女は、幼児誘拐殺人事件の犯人なのだ。
「キヨくんは、その彼女を見つけてしまったんですよ……!」
庭さんが目を輝かせ、興奮した様子で言った。
「森沢くん、『ハンニン ミッケ』は、彼女のことじゃないですか……!」
部屋の温度が、冷たいのに熱を帯びているような、不気味な感覚に包まれた。
二人の間に、言葉では説明できない緊張感が漂っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます