第29話 殺害現場

 翌日の昼下がり、僕たちは高知県の海沿いの道を車で走っていた。

 緩やかな直線を描く道は、歩けば数日かかる遍路の道のりを風のように通り過ぎていく。


 やがて目印の公衆電話が見えてきた。

 春の陽光が明るく照らし、あの夜の恐怖とは打って変わった穏やかな雰囲気を醸し出していた。


 車を降りると、潮の匂いに混じって新緑の香りが鼻をくすぐる。


「ここがそうです」僕は静かに言った。


 目の前には二軒の古びたバラック小屋があり、その間を細い道が奥へと続いている。あの日と違うのは、警察の黄色い規制線ロープが貼られていることだけだ。

 それ以上の立ち入りを禁じている。

 この先でキヨは死んでいた。


 前日、徳島に到着したのは夜の9時だった。

 ビジネスホテルで一泊し、翌朝すぐに高知へと向かった。目的地は、キヨの殺害現場だ。

 庭さんの提案に最初は戸惑いを覚えたが、キヨの死の真相を解き明かすためには避けては通れない場所だ。


 庭さんは当然のように規制線をまたぐ。僕もそれに続いた。

 昼間だというのに森の中は薄暗く、空気はひんやりとしてかすかに湿気を含んでいる。


 苔むした壁と、朽ちかけた木材の匂い。

 一瞬グラリと目まいがした。


「大丈夫ですか?」時々振り返る庭さんが、僕の様子を気にかけた。


「はい……、大丈夫です」僕は深呼吸をして、周囲を見回す。


 あの夜の記憶が鮮明に蘇ってくる。小人の狂気じみた声。キヨの死体。自分の無力さ。


 やがて目的の場所に辿り着いた。

 廃集落の奥、森の中に続く道の行き止まりが、キヨの死体があった場所だ。まだブルーシートが置かれていた。

 庭さんは黙礼すると、膝をついて手を合わせた。僕もそれにならう。


 慎重に周囲を観察しながら、僕たちは現場を捜索し始めた。

 落ち葉を掻き分け、茂みの中を覗き込む。木の枝をかき分け、地面を這うように探す。

 この場所は、キヨの遺体以外にも、他の男の白骨死体が三体見つかった場所だ。

 おそらく警察も散々調べ尽くしているだろう。だけど、ひょっとしたら何か見落としがあるかもしれない。


 少し離れた藪の中に顔を突っ込んだ時、苔に覆われた石の陰、何か白いものがチラリと目にまった。


「ん……?」


 半分土に埋もれた紙切れを拾い上げる。それは、しわくちゃになったレシートだった。


「コンビニのレシートみたいですね」庭さんが覗き込んできた。


 購入した商品の明細が並んでいる。


 ※ ※ ※ ※ ※


 ◯△マート コウチXテン

 TEL:0887―XX―XXXX


 1997ネン3ガツ25ニチ(カ)08:49


 カツカレー         494円

 ショウワヘイセイザンコクハ 412円

 ゴウケイ          906円


 オアズカリ       1,000円

 オツリ            94円


*ショウヒゼイ(3%)コミ


 マタノゴライテンヲ、オマチシテオリマス。


 ※ ※ ※ ※ ※


「庭さん……。このレシートは多分キヨのものです」


「どうしてそう断言できるんです……?」庭さんが少し驚いた様子で尋ねる。


「購入日時と商品です。ほら、カレーが購入されています」


「それが何か……?」


「僕はキヨから、『コンビニでカレーを食う』という内容のポケベルメッセージを受け取っているのです」


 僕はポケットからポケベルを取り出すと、過去のメッセージを確認する。

『コンヒ゛ニカレーク』の受信日時は3月25日の午前9時。


「見てください。このレシートの日時とおおよそ一致します」


「なるほど……」庭さんが興奮気味に鼻息を荒くした。


「それに、このコンビニは遍路道にあります。歩き遍路の途中で立ち寄ったんでしょう」


 ただ、これが何らかの直接的な手がかりになるわけではない。


「ところで、森沢くん」


 庭さんがレシートを指差す。


「この『ショウワヘイセイザンコクハ』というのは何のことでしょう?」


「これは……」僕は首をひねる。「ちょっと分からないですね、何なんでしょう?」


「412円で買える『ショウワヘイセイザンコクハ』……」


 飲み物にしては高すぎるし、スイーツだろうか。


「ショウワヘイセイは、『昭和平成』でしょうか?」と庭さん。


「あっ、ひょとして、これ、本のタイトルじゃないですか? 長すぎて途中で途切れてるんですよきっと。昭和平成残酷……ナントカって本じゃないでしょうか」


「ああ、なるほど」庭さんは顔を輝かせた。「値段的にもコンビニ本かもしれないですね!」


 コンビニ本は、文庫本よりも少し大きめで、紙質はやや粗い。よく入り口近くに置かれている。

 内容は、芸能人のゴシップや怪談、昔流行った都市伝説のようなものが多い。


「キヨくんは、遍路の途中にコンビニ本を買った……?」


 僕はうーんと唸る。「まぁでもキヨは、こういう類の本、好きといえば好きでしたね。オカルト系のやつとか……」


「昭和平成の残酷な本って一体何でしょうか……? お遍路の途中に読むものですか?」


 僕は答えに窮した。


 朝、カツカレーと一緒にコンビニ本を買う心理というのもよく分からない。

 ただ、友人は衝動的に結構何でも買ってしまうタイプで、面白そうな本が目に留まって、パッと買っただけなのかもしれない。


「状況的にキヨのレシートに間違いはなさそうですが、本に関しては……、ちょっとよく分からないですね……」

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