34.『病状考察、死に至る病』
「ライアス殿は顔を洗ってください。決してマティアス君の血を口や鼻に触れさせないように」
「あ、ああ……そうだったな……」
どたどたと退出していく。
一緒になって喜びたい自分と、それとは別に冷静に状況を俯瞰する自分がいた。
マティアスは痙攣を起こしていた。痙攣が起きる原因としては、二つ。脳が侵されたか、各所の筋肉が壊れたか。
マティアスは全身の痙攣、特に顎を痙攣させていた。それだけの筋肉が機能不全を起こしていたということは……『病の種』に脳を侵されていたとしか考えられない。
「……いや、待て」
銀糸病に、脳を侵すような症状はあっただろうか?
血流に『病の種』が乗ったとしても炎症を起こして終わりの病だ。脳まで到達する例は見たことがない。
何かがおかしい。
予想もつかない何かがマティアスの身体で、この街で起きている。
「そういえば」
あの従者の話では、マティアスは気を失った後に熱が上がったと言っていた。
銀糸病では、炎症に伴って熱が上がることはあるものの、気を失うほどの熱は上がらないはずだ。つまり、これは……銀糸病の症状ではない?
「っ、」
部屋の外で待機していた従者に問いただす。
「この街、この地域で今流行っている病はありますか? 何でもいいから教えてください」
唐突な質問に目をしばたかせていたが、やがて首を傾げつつも答えてくれた。
「今の時期ですと、『
「『
「すいません、私が考えつくのはこれしかなくて……」
レクシスは従者に礼を言って、部屋の中に戻る。
俯いたまま考え続ける。
エンィルエンザ、あるいは流行性感冒。『冬至りの病』とも呼ばれるそれは、大陸で一時期猛威を奮っていた恐るべき病だ。しかし、アルミオシオンで開発された新薬によってその勢いは弱まり、やがて過去の脅威と呼ばれるほどになった。
罹れば苦しむが、薬を与えればまず死ぬことはない。そんな病。
だが、今、マティアスは死病に瀕している。では、関係ないのか?
銀糸病とエンィルエンザ。二つの病。
それが今、レクシスの中で一つに繋がった。
「まさか、エンィルエンザの合併症……?」
背筋に嫌な汗が噴き出す。
今、マティアスの免疫は銀糸病の抵抗で精一杯。そこに、エンィルエンザの『病の種』までもが侵入していたとすれば、脅威が具現化する。更に合併症の危険性がある。
カチカチカチ、と音がする。
無意識の内に歯が鳴っていた。
寒い。ただ、ひたすらに寒い。
「不味い……不味い……! あれは、免疫が機能しなければ死病になり得る病だ……!」
思わず親指が口元に伸びる。
苛立ちに爪を噛む寸前で、自制した。……医者が不衛生な真似をしてどうする。
椅子を寄せて、どさりと座った。
そのまま頭を抱える。口から無意識に呻き声が出た。
少し考えれば分かったはずだ。
マティアスの症状は、明らかに銀糸病のものと違っていた。違った症状が含まれていた。
それを、自分は見逃したのだ。
普段ならば決して見逃さないような明らかなこと。
判断力の低下。……それもこれも、随分前から続いている忌々しい頭痛のせいだ。
「……くそっ」
後悔しても仕方がない。責任を病に求めるのは医者の思考ではない。
今は、対応策を考えるのみ。
エンィルエンザの薬は、アルミオシオンで開発されて、市場に流れた。つまり、商会ならば薬はある。エンィルエンザの症状を抑えるだけで、致死率を確実に減らせるはずだ。
銀糸病は、治った後の後遺症が心配される病。ライアスに治すと約束したならば万全の状態で元の生活に戻さねばならない。
パトリツィアには商会でエンィルエンザの薬を持ってこさせればいい。
つまり、今レクシスにできることは。
「……銀糸病の予防薬を、作ること……」
そのためには、キノミの薬草の知識が必要だ。
未だに予防薬を作るに足る薬草は見つかっていない。
教会へ向かったパトリツィアは、今頃何をしているのだろうか。
時間が過ぎていく。研究室にはライアスの従者を向かわせている。だが、パトリツィアが帰ってきたとの知らせはない。
時間が、過ぎていく。
やがて、レクシスは椅子に座ったまま眠りに落ちていた。
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