40.『できること』

 冷たいものが頬に触れて、目を覚ました。

 目の前にはキノミの心配そうな顔がある。レクシスの頬を触ったのだ。


 身体が燃えるように熱い。ぼんやりとしたまま、世界が回っているようだった。

 頭の中身がぐちゃぐちゃに揺り動かされるように錯覚する。

 ……身体の全てが不調だった。


「……パトリツィアさん! レクシスさんが目を覚ましました!」


 キノミは薄く目を開けたレクシスを見て、椅子から転がり落ちるように立ち上がると部屋の外へ駆けていく。


 ゆっくりと起き上がる。

 衣服は脱がされて、薄い寝間着姿だった。

 ここは、領主の館だろうか。


「……っ、そうだ……マティアスは……!」


 時間はどれほど経っただろうか。マティアスに打ち込んだ鎮静剤はそれほど強力なものではない。時間が過ぎれば効果が薄まる可能性があった。


 マティアスにエンィルエンザの薬を与えなければ、今度こそ合併症の症状でマティアスは自分で自分を壊してしまうだろう。

 ふらふらと息を荒らげて立ち上がる。壁に手をついて息を整える。心臓の音がうるさい。吐く息が燃えているようだ。


「レクシス! どうしたのですか、そのような身体で立ち上がって」


 廊下の向こうからパトリツィアが駆け寄ってくる。


「ぱとり、つぃあ……げほっ、かほっ」


 縋りついて、掻きむしるようなしゃがれた声で吐き出す。

 水分が足りない。喉が渇いた。


「パトリツィア……君に頼みたいことが、ある……」


「ベッドに戻ってください! それに今、街で大変なことが──」


 熱を持っていた思考が明瞭に冴える。


「……なんだ。濁さずにはっきりと答えてくれ」


「街の皆さんに、マティアスくんのような症状が現れました。マティアスくんのように息ができないほどではありませんが、痙攣があちこちで起きていて、特に高齢者方が危険です」


「っ、遅かったか……!」


 それは、予想していたこと。カルデラン商会がばら撒いた北部の布地。それを使った人に銀糸病の『病の種』が身体に入り込み、そして季節ごとに人々を苦しめている流行り病、エンィルエンザの症状が激化する。


 病の連鎖。

 向かう先は重い後遺症、あるいは死だ。


「……僕の鞄に薬がある。エンィルエンザの薬だ」


「はい? まさか、今起きている痙攣などの諸症状は……」


「合併症。これは致死の病だ。……商会から持ってきた薬で、皆を救ってほしい」


 ここで場違いな考えが頭に浮かぶ。商会から薬を盗ってきた──つまり窃盗だ。監視官であるパトリツィアは許してくれるのか?


「まさか、貴方はそのことに気づいて、商会まで盗みに行ったと?」


「そんなわけないだろ。偶然だよ」


 事前に治療薬があると予想はしていたが。


「どうだか」


 ため息をつかれる。


「貴方の偶然は信用できませんね。......住民の救護について、キノミさんが近くの街の教会、その治癒師に応援を求めています。彼女に手伝ってもらうこともできますが」


 考える。

 今、レクシスに出来ることは何か。

 頭が白熱するほど回り出す。

 そして、一秒ほど経った後、レクシスの手がパトリツィアの肩を掴む。


 しかし、身体ががくりと揺れて、手が空を切る──寸前、パトリツィアの手がレクシスの手を握った。彼女の瞳の奥に信頼が見える。


「レクシス。私に命令を」


 身を奮い立たせた。


「ライアスに館の庭を空けるように頼んでくれ。病床と消毒液を用意し、救護天幕を設置する。識別救急トリアージの基準は僕の手帳に書かれているから、当てはまる重症者を優先的に搬送。ライアスの従者の手を借りて、街中に連絡網を構築しろ。救急処置はキノミに任せる」


「分かりました。……レクシスは?」


 白熱する頭の痛みが意識を持ち去ろうとする。それに必死に耐えながら、口を動かす。


「僕は、カルデラン商会を説得する。人が足りないんだ……銀糸病の創薬を続けるために、材料と器材を商会から借りるしかない」


「待ってください、そのような身体で外を出歩くつもりですか! それに、監禁されかけたのですよ、わざわざ戻るなど……!」


「ジェラルドの力が、必要なんだ……お願いだ、パトリツィア。あいつの商会の薬で、大勢の命が救われるはずだ……」


 笑おうと口をつり上げる。しかし、上手く笑えずに不格好な笑みとなってしまう。


「っ……!」


「ははっ……最高にイケてるこの僕が、こんな顔をしてまで頼んでるんだぞ? 聞いてくれるか……パトリツィア」


「……分かり、ました」


 唇を噛み締めて、頷く彼女に指を伸ばす。

 頬をそっと触った。


「そんな顔するなよ。綺麗なお顔が台無しだ」


「……私は、別に構いませんよ……」


「馬鹿言え。僕が困るんだ」


 レクシスはパトリツィアの側から離れると、壁に肩を預けながら歩いて行った。

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