41.『義兄』
強い風が吹いている。
雨が外套を勢い良く叩いてバラバラという音が不規則に鳴っている。
街頭の灯りは雨霧に覆い隠されてぼんやりとしか辺りを照らしていない。
レクシスはそんな中を歩いている。
向こうに、傘を指している男の姿が見えた。
「……ジェラルド」
「レクシスか」
沈黙。そして。
「すまなかった」
「何のことだよ、ジェラルド」
雨音が大きくて、大声を出さなければ聞こえないほどだ。
「初めからお前の計画通りだったんだろう? 病をばら撒いて、ここまでのことをした」
「誤解だ、話を聞いてくれ、レクシス」
奇妙な顔をしながらこちらに近づいてくる。
「動くな、ジェラルド・オリンシア」
熱を帯びた頭を振って、レクシスは懐から仕掛け弓を取り出した。領主の館で従者の宿舎から拝借した。
矢は込められている。
仕掛け弓でジェラルドを狙いながら、顔に垂れる雨水をも気にしないで吠えた。
「ジェラルド、お前の計画で大勢の命が危険に晒されている! 忘れたとは言わせない!」
「……何のことだ」
ジェラルドの足が止まった。
「とぼけるなっ! お前が……お前が教会のタリゥム治癒師を殺して、キノミをも殺そうとしたことは分かっている!」
オウルベルクに来たとき、教会の馬車を襲った襲撃者は治癒師の見習いであるキノミを狙っていた。
そして、異様に早く到着した捜索隊。あれはカルデラン商会の人たちだ。
レクシスを誘拐したあの黒スーツの男たち。思えばそうだ。黒スーツの男たちは馬車を襲った襲撃者と同じ匂いがした。
裏社会の金雇われの便利屋。あるいは傭兵。
全て、カルデラン商会と繋がっている。
「……そうだ、そうだよ。お前はあの襲撃者の生き残りを殺したじゃないか……! 治療を受けさせれば生き延びて、背後関係の情報を吐いてくれたはずの人を、お前は個人的な復讐心で呆気なく殺した! 襲撃者たちを全滅させたのは、カルデラン商会との関わりを疑わせないためだったんだろっ‼」
むしろなんで今まで気が付けなかった。
ジェラルドは黙っている。雨に傘が打たれている。
何か言えよ。……何とか言ってみせろ。
なんで黙っているんだ。言葉を否定して見せろよ!
「……どうして、こんなことをしたんだよ。こんなことをして、人が死んで……お前はこんなことをするやつじゃないだろうが! いつの間に人の命を損得の天秤にかけられるようになったんだ‼ 答えろ、ジェラルド‼」
その答えは、自嘲に顔を歪めた笑みだった。何かを諦めて、捨てたような顔だった。
「それで、私が理由を話したら、お前は納得するのか? 私が望んで殺したと話したらどうするんだ? 納得出来るのか?」
……──ッ。
「納得出来るわけねぇだろうがッ‼」
ダンッ、石畳を踏みしめて、レクシスは胸に手を握りしめる。
「お前は、僕の家族なんだぞ。家族が、たった一人残された義兄が人を殺した理由なんて、納得出来るわけねぇだろ……!」
「──」
そうだ。
「ああ、そうだよ。お前が僕を何と思ってるかは知らない。血も繋がっていないし、ガリテアを奪った馬の骨としか思っていないのかもしれない……だけど、アルミオシオンが滅んで、シミュラ先生が死んで……最後に残った家族がお前なんだよ……たった一人残った、大切な家族なんだ……」
レクシスの独白に、ジェラルドは黙ったままだ。
仕掛け弓の引き金に指をかける。
息を荒らげて、レクシスは続ける。
「だから、お願いだ。──これ以上、僕の邪魔をするな。カルデラン商会の人たちを、救急天幕の救護に参加させろ! 薬を作るのに協力しろ‼」
ジェラルドは顔を上げた。
そして、こちらに近づいてくる。
ふらりと揺れた。身体が熱い。燃えるようだ。
吐き気と悪寒が身体を蝕んでいる。
「う、動くな……っ!」
「レクシス、お前には撃てない」
ジェラルドは静かに呟いた。雨の音が遠い。耳鳴りがする。
「……っ」
「お前は、どうしようもない理想主義だ。元凶の前でさえ、命を握る手を緩ませるほどに」
「黙れッ!」
指が震える。背中に嫌な汗が流れる。
「だから、私はお前にガリテアを任せたのだ」
「──ぁ、」
緊張の糸がぷつり、と切れる。目の前が暗くなる。仕掛け弓が手から滑り落ちた。
脚に力が入らなくなり、横なりに倒れて──。
──……?
訪れるべき地面との衝突と痛みがいつまでたっても来なかった。
「……ジェラルド……?」
レクシスはジェラルドの腕に、抱えられていた。
倒れる寸前に抱きとめられたのだ。
ジェラルドの頬は濡れていた。雨に濡れたのか、それとも涙で濡れているのか。
普段見ていたジェラルドの姿とは違った。商会の代表として部下に命令を下すとき。冷徹な仏頂面で酒を飲むとき。レクシスの創薬に意見するとき──ジェラルドの背中は、大きくて、とても敵わないような存在だった。
身体も大きくて、常に前を向いている。社会的にも、人間的にも、常にレクシスの先に立っていた。
……こんなにも。
こんなにも、ジェラルドの身体は小さかったのか。
そうだった。
ジェラルドの年齢は──レクシスと同じ。
世間一般に、まだ子供と呼ばれていてもおかしくない。
「ジェラルド……」
「レクシス。……こんな兄で、すまない……お前を信じてやれなくて、すまなかった」
ジェラルドの顔が歪む。あれだけ強固な鉄の仮面が剥がれた奥に眠っていたのは、単なる少年の素顔だった。
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