42.『命を懸ける』
「こんなことを言っても信じてもらえないだろうが、私は病で死者を出すつもりはなかったんだ」
「……」
「致死性の低い銀糸病……人を殺さず、だからといって治さなければ後遺症が残る……そんな病を利用しようと思った。殺すつもりは、無かったんだ」
「っ、馬鹿なことを」
レクシスはジェラルドを睨めつける。
「病は、絶対に人が操れるものじゃないんだ……なんで、それが理解できない……病を操ろうとした者は、皆悲惨な末路を辿っている……!」
「そうだったな。失念していた。シミュラに言われたことを。かつての簒奪に使われた『アルケアの落日』、国を守るために滅ぼした『炭の跡』……それらと私は同じ轍を踏んでしまった」
それは病を剣として人に向けた時に起きた悲劇。数えきれない人が亡くなった。
「銀糸病を治療できる可能性のある教会の者たちまで殺す必要はなかっただろう……⁉」
「違う」
強い口調だった。
レクシスは眉を寄せる。
ジェラルドは真っ直ぐとレクシスの顔を見つめながら呟いた。
「教会を襲ったのは、私ではない。計画に賛同したといっても、そこまでのことは、私には出来なかった」
「賛同? ジェラルドが病を操るという計画を立てたわけじゃない……?」
「違う。私ではない……私は、商会の未来のために、お前の未来のために……行ったに過ぎない」
「っ、僕の未来のために? そんなこと望んでいない! 病を広げるなんて、そんなのただの殺人者だ! 病は人を選ばない。剣や弓も人を殺すが、病はもっと多くを無差別に殺すんだ……‼」
「……ああ。だから私は愚か者なのだ。全てが終わった後で、何なりと裁きは受け入れよう」
疑念が膨らむ。
「じゃあ、いったい誰が……」
閃光が奔った。
一瞬遅れて、腹に響く爆発音が轟く。
黒煙が街から立ち昇る。
「なっ⁉」
「……あの監視官、ついに始めたのか……」
あの方角は──レクシスの研究室。
そして、同時。カルデラン商会の方角にも黒煙は上がっていた。
「監視官? おい、どういうことだジェラル──」
トン、と。小さな音がした。
ジェラルドの脇腹から短剣が生えていた。
呆然と、顔が呆けた。
次の瞬間、ジェラルドは呻き声を上げて崩れ落ちる。
「なっ……」
短剣が引き抜かれる。
黄金色の軌跡が目に焼き付いた。それを覆い隠すような漆黒。それらをなびかせながら、引き抜いた相手はジェラルドを観察する。
間違いない。あれは──
「──監視官……っ⁉」
パトリツィアではない。色の抜けた赤毛には覚えがあった。あの老人。パトリツィアとレストランで食事をとっていたときに現れた老人だ。
その姿が消えた。
「え」
世界が反転する。何かに強く叩きつけられて、胸が圧搾される。
銀色の光。
監視官に組み敷かれて、喉元に短剣を突きつけられていた。
喉が圧迫されたようで、声が出せない。
光が、銀色が、すぐそこにある──あと少し、で、銀色の光は皮膚を切り裂いて、気道を貫いて、そのまま──
「があぁぁあああああああああああああああああああああああああああああっつ‼‼」
獣が飛び退くような信じられない挙動で監視官は身を翻して、躱す。
一瞬の後にどちゃりと体勢を崩して倒れるジェラルドの姿があった。
ジェラルドが監視官に体当たりをかましたのだ。
倒れて、泥だらけとなったジェラルドは吠える。
「パトリツィアッ‼‼」
ジェラルドの口から発せられたとは一瞬気づかなかった。それほど普段からは信じられない声だった。
煩わしげに雨に濡れた髪を絞ると、監視官は手に持った短剣をくるりと回して、ジェラルドに振りかざす。
「シッ──!」
火花。
宙に身を踊らせたパトリツィアが、ジェラルドの身体に差し込まれる短剣を防いだ。
そのままパトリツィアは老人の監視官を掴んで空中で投げ飛ばす。が、老人は投げ飛ばされる間、目玉が動いてパトリツィアを凝視していた。
「──⁉」
音のみが響く。パトリツィアの振るった剣が金属音を響かせて、死角からこちらを狙う二本の短剣を弾き飛ばした。
両者がふわりと着地する。
老人は懐から三本目の短剣を取り出して、レクシスに突きつけた。
思考が凍る。次は逃さない、と閃きのように伝わってきた。
「──逃げてください」
パトリツィアの剣を持つ手が震えている。ぱきり、と剣にひびが入る。
「なにを」言っている?
「全力を出します。貴方を巻き込まない自信はない。だから、逃げて」
無意識にパトリツィアに向って手を伸ばす。その腕が、知らぬ間に背後に回り込んだジェラルドに掴まれた。
そのまま背負われる。
「後は任せる、パトリツィア監視官。……レクシスのために死んでくれ」
「貴方には命令権がありません。私はレクシスの監視官です。──レクシスを、頼みます」
「……おい、待てよ、なあ……、っ⁉」
次の瞬間、通りの石畳が一直線に粉砕され、一斉に窓硝子が粉々に砕け散る。
監視官の二人が、刃を重ねていた。衝撃音と光が何度も鳴り響いて、突風が吹き荒れる。
ジェラルドを見上げる。
顔は真っ直ぐと前を見据えている。そのままジェラルドはレクシスを背負って走り出した。
「待てよ、待ってくれ! そんなのって──」
いくらレクシスが叫んで、暴れてもジェラルドは止まらなかった。
脇腹の傷からは血が、こぼれていく。
ジェラルドの疾走った後に沿って、点々と。
黒ずんだ血が、滴っていく。
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