43.『大切な人を守る手』

 ひびの入った剣を砕いて、懐から新たな剣を取り出す。ぴたりと正中に構えて、薄く、細長い息を吐いた。


「貴方は、監視官ですよね」


 漆黒と黄金色の外套は監視官の象徴だ。偽造は法で禁じられており、偽造しようとも『機能』は真似することができない。

 しかし、目の前の老人は寸分違わぬ監視官の体術を見せた。


「貴方は私に課せられた帝国からの命令を妨害しています。監視官同士は互いに不干渉が法で決められています。直ちに立ち去ってください」


 これは警告だ。

 老人はパトリツィアを観察するように見やると、唐突に地面に屈んで石畳を撫でた。


「っ、」


 緊張の糸が一気に張り詰める。

 老人は口を開いた。


「落ち着きなさい、若者よ」


 手を伸ばして、黒ずんだ血を指で掬う。そして、それを指で弄んで、一つ頷いた。


「黒い血。あの位置だと肝臓を貫いたな。ジェラルド・オリンシアは放置しても、いずれ命を落とす……ああ、あの婆さんには怒られるかな」


 静かに立ち上がる。


「……狙いは、オリンシア代表の暗殺ですか」


「いや、それは違う。違うとも」


 短剣をくるりと回して、鞘に収める。


「皇室の中で、少しばかり面倒事が起きてね……第二皇女についていた近衛師団が反乱を起こした。直ちに反乱は鎮圧されたが、その影響で皇室を支持する大貴族どもの間に不信の種が芽吹いたんだ」


「……何?」


「知らないだろう? 君はアルミオシオンの生き残りであるレクシス・グラマンに永続監視の任を与えられていたからね。つまるところ、帝国は揺らいでいるんだ。第二皇女の失踪、近衛師団の反乱、そして皇室に対する大貴族の不信……」


 老人の格好は監視官。監視官は帝国司法院所属。そして、帝国司法院は帝室直下の組織だ。つまるところ、帝室の意志で動いているということであり。


「帝国は、これ以上『不安要素医者』を抱えておくわけにはいかなくなったんだよ。アルミオシオンの生き残りを庇護する余裕はなくなった。教会は皇室の管理が及ばぬほど民衆に入り込んでいる。医者を優遇すれば、教会は当然反発する」


「……皇室から命令を受けて、教会の機嫌を取るためにレクシスを始末する、と」


「まあ、そんなわけだけど、それだけじゃないんだよこれが。上のゴタゴタからの命令に逆らえないのが監視官の辛いところでね。だから、退いてくれるかい?」


 ぎりっ、と奥歯が鳴った。

 パトリツィアは帝国からの命令でレクシスを監視している。そして、この老監視官も帝国からの命令でレクシスを殺そうとしている。


 息を吐いた。

 なんて面倒なことだろうか。監視官であった父の苦労が少しだけ分かった気がした。


「私は皇室よりレクシス・グラマンの監視を命じられています。貴方が帝室からの殺害命令を受けていても、私に命令を曲解することはできません」


「ほう?」


 老監視官は面白そうに眉根を上げる。

 簡単なことだ。そして、これが精一杯の抵抗でもあった。


「──『レクシスを殺されれば、レクシスを監視することはできなくなる』……つまり、貴方は私の任務を妨害する敵です」


 言葉と同時に、パトリツィアは踏み込んだ。

 パトリツィアは強い。それこそ監視官として認められたほどの強さだ。

 その証拠に黒と黄金の外套を背負っている。監視官の外套は、それ自体が象徴でもあり、監視官としての『機能』をも併せ持つ。

 外套の至るところに縫い込まれた黄金色の刺繍が光り輝いて、その真価を発揮する。


 パトリツィアの剣が振るわれた。その刃は瞬く間に音の速さを飛び越えて、そして。


 ──ここ。


 老監視官の急所とそれに準ずるところに向けて、からの斬撃を放った。十二か所、速度に任せた尋常ならざる技。

 惜しむはここが街中であること。

 監視官の全力機動は動くだけで街を滅茶苦茶にして余りある。技を無差別に放てばそれだけで街の一帯は焦土と化すだろう。それだけの力を狙って振るわなければならない。


 数歩、老監視官は前に進んだ。

 それだけで斬撃は石畳を斬り散らすだけに留まる。

 驚きはなかった。

 彼の腕前からして予想していたこと。

 だからこそ、二の手を用意している。


 斬撃に合わせた跳躍。横っ飛びで壁面に着地し、角度を調節。そのまま雷のごとく蹴りを放つ。


「最近の若者は中々に活発だ」


 言葉を聞き終える前に、狙って撃ち込んだ。

 大型掘削機のような轟音が街を揺らして、喧騒を届ける。街の一角がまるで発破をかけたように土煙が上がった。


「……っ」


 今のは手応えがあった。確かに肉を抉って、骨を砕く感触がした。

 しかし、警戒は緩めない。

 こういう場合は、相場が決まっている。

 首の後ろ辺りに嫌な気配がぴりっ、と奔る。


 老監視官が底冷えのする笑みを浮かべて、手を伸ばしてきていた。無傷。ならば、先ほどの感触はいったい──。

 死が見えた。


「っ!」


 反射的に背後に向かって回し蹴りを繰り出した。技法も膂力も込めていない、速さだけのお粗末なもの。それが老監視官の外套を横一直線に切り裂く。


「おっと、危ない」


 ──だが、体に当たった感触は限りなく薄かった。まるで空気を蹴っているかのよう。


 ならば。

 そのまま老監視官の顔に向けて拳を同時に三発、衝撃を内部に伝播させて体内から破裂させる──そんな技巧を凝らしたものを放つ。一打一打が音速を超えて衝撃波を生み出し、直線状の全てを削り取っていく。後には空気が圧縮されて焦げる匂いとパチパチと瞬く閃光が残っている。


 「おっと、と。危ない危ない」


 しかしどうしたことだろうか。躱せるはずもない軌道上にいながら、彼は生きている。


 ──さらに一歩踏み込む。

 力を込めた震脚がパトリツェアから同心円状に広がる全ての石畳を浮かせて砕く。瓦礫が舞い散る只中、パトリツェアは剣を握り直して横薙ぎに振るった。


「うむ?」


 視界が制限されている中での急所を轢き潰すような刃──当たらない。が、ここまでは予想通りだ。


 老監視官の背後に建つ廃屋の柱、それを空気をたわませ、氣斬の要領で纏めて斬った。


「なんと」


 崩壊が始まっている。大質量の木造や石柱が老監視官を押し潰さんと迫っている。逃げ出そうと地を蹴る老監視官の足──それを踏み付ける。面白そうに片眉を上げる老監視官。


「……そこまでするのかい?」「当然でしょう」


 迫る瓦礫。足を踏み付けたまま、相手のわずかに崩れた体躯を狙って剣を突き込んだ。


 ──。

 衝撃、そして轟音。

 パトリツェアは離れたところに着地する。

 崩れた廃屋の影から老監視官は現れ、両手を上げた。当然のように無傷。そして降参の印だ。素直に受け取るやつがどこにいるのか、化け物め。


 頭が痛くなってくる。

 思うに力量差はそれほど離れていない。速度を上乗せした力はこちらが上。だけど、身のこなしやら身体の運び方はあちらの方が何枚も上手だ。


「まあまあ、そう慌てるんじゃあないよ」


「……監視官の中でも上位と認められた私の攻撃を、全て凌ぎましたね」


 老監視官の鼻の先には、剣の先端があった。パトリツィアが突きつけているのだ。


「一度話し合わないかい?」


「お断りします」


 振るう。

 老監視官は薄布のようにひらりと刃を躱して、パトリツィアの間合いに入り込んでくる。

 腕が伸ばされるのを好機と捉え、剣を捨てた。


 一瞬の動揺が感じられた。

 それで十分だった。

 がしりと掴む。──やっと、とらえた。


「……いやはや、お見事」


「さようなら」


 パトリツィアは老監視官の腕を掴んで──そのまま、ぶん投げた。

 肉が断裂する感触と音。

 速度はそのまま武器になる。


 音の速度のちょうど十倍。

 ──空気を焦がす臭いがした。


 瞬間。

 放り投げるのとはわけが違う。真横に吹き飛んだ老監視官は、水平面上の石畳を衝撃波で崩壊させながら建物をいくつも突き破って、街を囲む城壁をも突き破り、そのまま視界から消えた。


 後に残ったのは滅茶苦茶になった街の一角と、雨が瓦礫を叩く騒がしい音。

 先ほどの空中機動の際、投げた先に無人の家屋のみが並んでいることを確認した。被害者はいない。

 きっと、それでも尋常ではない腕前を持つ老監視官は生きているのだろう。


「はぁ……はぁ……」


 だが、街の外まで投げ飛ばしたのだ。当分邪魔は入らない。

 手のひらを握ったり、広げたりする。

 少しばかり無理をした。


 腕が痛い。恐らく筋が切れた。剣を握っていた手も何だかひりひりする。

 でも。


 「レクシスなら治してくれる、か」


 レクシスは、パトリツィアの手が好きだと言ってくれた。レクシスの人を癒す手と違って、間接的に人を守る手。

 パトリツィアは自分の境遇が嫌いではない。

 きっと、それはレクシスのお陰なのだろう。

 いつも隣で、人を癒すことに全力な人。そんな彼の横顔を見ていると、心がじんわりと温かくなってくる。

 彼のことを守らなければならない。

 それ以上でもそれ以下でもないと、自分を騙して、錯覚させて、そうしてその全てを心の片隅に鎮座する小さな小さな小瓶の中に想いを封ずる。


「……よし」一呼吸。


 自分が今すべきことは何なのか、考える。

 パトリツィアは振り返ると、来た方向とは違う方向へと駆け出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る