44.『医者はここに』
レクシスは、今背負われている彼のことをあまり良く知らない。
ガリテアの兄であり、レクシスの義兄となった人物のことだ。
ここ八年余りで大陸を席巻したカルデラン商会、それを親から若いうちに継いだ主であり、今まさに時代の主役になり得る人。
そんな彼がレクシスをどうしてここまで大切に思ってくれているのか。
商会の信用をかけて、命をかけてまで……そこまで助けてくれるのか。
「……初めて、私たちが出会ったときのことを覚えているか?」
雨に濡れたまま、ジェラルドは走る。その背に病に倒れたレクシスを背負って。
熱に浮かされたまま、ぼんやりと言葉を聞いていた。
「あれは、確か公演会の最中だったか。シミュラさんが、私の話に興味を持ってくれた。まだまだ子供だった私の、商会の計画に……そこで、レクシス。お前と出会った」
ああ、思い出した。
ガリテアも、その場にいたんだった。ジェラルドの後ろに隠れて、縮こまっていた。レクシスもシミュラの背後に付き添っていた。
息を切らしながら、ジェラルドは続ける。
「私はな。最初、お前を期待していなかった。アルミオシオンの新星とか呼ばれているお前を、どこか目障りに思っていた。信用していなかった。私と同い年ながらも、実力者の背にこそこそ隠れて、伺い見ることしかできないやつが、なぜ名高いシミュラの弟子なんかやってるのか、と……そう思っていた」
ジェラルドは笑う。
「今考えればおかしな話だ。あのシミュラさんが後ろに付き従うのを許していた時点で気づくべきだった……お前は、あのときから何も変わっていない。アルミオシオンの外から来た私に貪欲に話をせがんで、知識を吸収して、それでいてガリテアの才覚を見つけ出して」
そんなことも、あったか。
「お前の首についている古傷は、私の驕りの証だ。ガリテアを殺したとお前に言われて、手を出してしまった。……あの時から、私はもう道を間違えていたのかもしれないな」
そっと傷を触る。今はもう、傷まない。
「なあ、レクシス。──まだ『医師』を目指しているのか? いつか医者は帝国に認めて貰えると、医者が医師になれると、そう思っているのか? ──まだ、『神の懲罰』の正体を、それを引き起こした人を探しているのか」
「……っ、それは──」
知っていたのか。なら、なんで早く教えてくれなかったんだ。
ジェラルドは、淡々と言葉を連ねていく。
「私は、その正体を知っている。ツィタルも医者も、皆同じだ。私たち人間は最初から……いいや、もう、遅すぎたんだ」
瞬間。
ジェラルドの膝から力が抜けた。
ガクン、とバランスを崩したジェラルドはそのまま地面に倒れ伏した。
転がるようにして、背負われていたレクシスは投げ出される。
領主の館の目前だった。
「ジェラルド……?」
名を呼んでも、返事は返って来ない。
音の全てが遠い。
地べたを這って、ジェラルドに手を伸ばす。
足音や叫びが近づいてくる。館の人がこちらに気がついたのだ。
手が、黒い血に触れた。
雨に混じって、流れ出していく。
ジェラルドの胸は上下していなかった。──呼吸が止まっている。
貫かれた脇腹から、血が溢れ出していた。
「おい、ジェラルド……ジェラルド……!」
「グラマン殿⁉ 彼は──」
虚ろを向いた目は、ただレクシスの叫ぶ顔を映していた。
死んだのか。最後の家族が、今ここで?
背中の温度がまだ手のひらに残っている。
歯が震えた。
涙が溢れ出した。
「……認めない」
従者たちがジェラルドの身体に縋り付くレクシスを必死に引き剥がそうとする。
振り向いた。
ひっ、と声を上げて従者たちは一斉に手を止める。
レクシスの瞳には、凄絶な光が宿っていた。
「──ジェラルドを今すぐ領主の館に運べ。二人がかりで刺創の圧迫止血。決して血液を口や鼻、傷口に触れさせるな。僕が心肺蘇生を行う。到着次第、手術の用意を。ライアスには館の人全員の血液を集めておけと伝えてくれ。僕の血の型とジェラルドの血の型は同じだとも伝えろ」
困惑した顔がレクシスの周囲に並ぶ。
「……で、ですが、すでに息をしていないのに……恐らく、心ノ臓も……」
「だからどうした」
吐き捨てる。
「僕は、レクシス・グラマンだ」
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