11.『医術における宝物』
「おい、聞いてるのかよ、なあ……!」
情報を聞き出したと判断したのか、背骨を一息に踏み折ろうと脚を振り上げていたパトリツィアをレクシスは手で止める。
「……パトリツィア。聞いているか……鞄にある止血剤と包帯、消毒薬をここへ。彼を手当てする」
「それは、しかし、レクシスのその傷では」
「あの隠れている治癒師殿に手伝ってもらうさ。心配するなよ」
「た、助けてくれるのか?」と震えながら膝に縋り付く男を一瞥する。
「お前は十分に喋ってくれたからな。お前の命は必ず僕が救ってやるよ……ああ、くそったれ……痛いったらありゃしない、なッ──!」
矢を強引に引き抜くと、どばりと血が溢れ出してきた。腕を曲げることで肩を圧迫し、止血しようと試みる。
するとそこに白い包帯が差し出された。
「包帯、です……レクシスさん」
キノミだった。おどおどと差し出される包帯に、レクシスは侮蔑のこもった視線を送る。
「……へぇ? 包帯とか使っていいんだ、治癒師って。てっきりお香でも焚かれるかと思ったよ」
酷薄に突き放す。
「それは……! ……っ、」
キノミはまるで言葉を喉の奥に置き忘れたかのように詰まる。
「今は止めてください。軽口もそこまでいくと不愉快です」
パトリツィアの厳しい声。ひらひらと手を振る。
「冗談に決まってるじゃないか。……それよりも、治癒師殿は彼の手当てをしてあげな。君を殺そうとした相手だけど、一応命令されただけっぽいし」
包帯を自分の使う量だけ切り取って、残りは投げ返す。
慌てて受け取った彼女に、レクシスの冷たい視線が突き刺さった。
「──で。手当ての仕方は治癒師殿ならもちろん分かってるよね? 少ないけれど消毒薬はパトリツィアに言えばあるから」
「もちろんです……! 治癒師として、怪我人の対処は学んだつもりですからっ!」
「そりゃあ良かった。じゃあ後はよろしく。僕は僕の傷を手当てするから」
「で、でも」
「僕の傷は僕が何とかするからさ。向こうに行ってくれ、頼むから」
苛立たしげに連ねる。
「っ、分かりました……」
「パトリツィアは彼女の補助を。襲撃者は……まあ、怪しい動きを見せたら即座に殺せばいい。後、切断した手を持ってきて水袋で冷やしておいて。街でくっつけられるかもしれない」
「はい、分かりました」
未練がましく何度も振り返りながら駆けていくキノミに、ため息を吐きながらレクシスは自分の傷の処置を始めた。
傷口を絞り、消毒薬で洗い流す。そして、ナイフを取り出して傷口を切開する。小さな泥やら砂やらを除いて、縫合。包帯を巻く。その間、約十分弱。麻酔でも打てば簡単だった。痛みに筋肉が強張っていなかったら更に短縮できただろう。
無意識に鞄から自分に打つための抗病薬の注射器を取り出していた手──これを自制する。これを使ってしまえば、もう手持ちに薬はないのだ。
「くそ、抗病薬の数が足りないな……オウルベルクで補充しようと思ってたのに……」
一人唸っていると。
「貴方の義兄から、ですか?」
パトリツィアが覗き込んできた。清潔な包帯が患部に巻かれていることに安心したのか温かい息が耳元をくすぐった。
「パトリツィアか。治癒師殿の方は終わったの?」
「患部を消毒して包帯を巻いただけですが。しかし、彼女のお陰で早く終わりました。圧迫止血がとても上手いです。普通は欠損など、直ぐに止血できるようなものではないのですが」
「元々は一つだったからね、医術と治癒術って」そこで言葉を止めて、「止血するだけではまだ足りない。血を流し過ぎている。輸血をするまで体力が持つかどうかだけど……」
パトリツィアが目を逸らすのを見逃さなかった。
ツィタル正教は輸血を認めてくれるだろうか。
確かな成果の出ている薬を、獣の血でできているからと拒むような人々なのだ。
人から人へ針と管を通じて血を分け合うことを、彼らは簡単に許してくれないだろう。
「……それよりも、南部で抗病薬を扱っているところとなると、カルデラン商会でしょうか。オウルベルクにも支部があったはずです」
「ああ、そうだ。優しい優しいお義兄様がいるところさ。きっといつも通り教会から上手く隠れているだろうな。羨ましいね、ほんと」レクシスは目頭を揉む。
「大丈夫、ですか?」
「さあね。前に文通したところによると、僕に対する恨みというか、そういう感情は無くなってるっぽいし? 仲良くやってるよ」
レクシスは顔を上げて生き残った襲撃者の手当てをしているキノミをじっと見つめる。
「……今更、恨みをぶつけられたってもう遅いさ」
慌てたようにパトリツェアは言葉を走らせる。
「っ、ガリテアのことは、貴方のせいではなくて」
手を置いた。
「止めてくれ」
強い口調で言葉を被せる。
「そのことは、もういいんだ」
深い沈黙があった。
立ち上がる。痛みに慣れてきたのか、身体が動くようになってきた。
遠くに目を向けると日はまだ高く、連なる山嶺を照らしている。
広がる森は赤色や黄色の葉が、ゆったりと枝に伴って張り出している。
馬車の残骸、臓物の死臭、馬のうめき声。
それらを無視すれば、とても豊かで綺麗な光景だった。
キノミは震える指先を合わせて、襲撃者たちの死体の山に祈りを捧げていた。殺されかけたのに、何を祈っているのか。
やっぱり、治癒師というものは理解できない。
「パトリツィア、野宿の準備をしてくれ。それが終わったら一緒に遺体を処理を手伝ってくれると助かるな」
「分かりました。しかし、遺体の処理とは……?」
肩の痛みに顔をしかめながら、レクシスは言う。
「血抜きだよ。南部は気温が高いから直ぐに腐る。そんなのもったいないだろ? 煙でいぶして保管する。遺体は医術の発展における宝物だからね」
「……分かりました」
嫌そうな顔だ。それも当然、ツィタル正教の信徒で喜んで遺体を弄る冒涜者は存在しない。
「なんだよ、アルミオシオンで散々やってきただろ?」
「それでも嫌なものは嫌なのです」
「まあまあ、街についたらモツ鍋でも奢るからさ」
「──」
パトリツィアの目が座った。
「……ぶっ殺しますよ?」
「ゴメンナサイ」
◇
その晩、街道沿いで火を起こしていたレクシスたちはオウルベルクからの捜索隊に見つかり、保護された。キノミは目の前で惨殺されていく教会の兵やパトリツィアの鏖殺を見たせいで、精神的に参ってしまったらしい。泣き出す寸前の顔を見せながら、捜索隊の方へ駆け去ってしまった。
「捜索隊が派遣されるには随分と早いですね。それに、教会ではなくカルデラン商会の馬車ですし」
パトリツィアは小首をかしげる。それに答えたのは、捜索隊の一員だった。
「教会の馬車よりも重い荷物を普段から持ち運び、時間を厳守する我々商会の馬車の方がずっと速いですから、教会の捜索隊を引き継いだのですよ」
「なるほど、そのような事情があったのですね」
「それに、オリンシア代表の元へグラマン殿の乗り合わせた馬車が襲撃されたと情報が入ったとき、それはもう──」
「ええ、想像がつきますよ」
「でしょう?」
そんなことは関係ないとばかりにレクシスは声高く捜索隊に向かって叫ぶ。
「よし、とりあえず遺体は一体も残さずに運んでくれよ。送り先はお前たちカルデラン商会で頼むぞ!」
「い、遺体ですか?」
「ああ、そうだ。遺体……つまり、死体は大切な宝だ。医学の発展は死体と共にある。死体はすごいぞ? 何せ人間の身体を開くのに、文句を言われないからな。本当は生きた人を開きたいところだけど、それはシミュラ先生がもう試──」
口をぽかんと開ける捜索隊の面々に向かって力説していたレクシスを、パトリツィアは強引に頭を下げさせて裏手に引っ張った。
「何なのさ、パトリツィア。これから遺体の有用性についてたっぷり講義してやるつもりだったのに」
レクシスは抗議するように眉根を寄せた。
「送りつけられたカルデラン商会の立場を考えてくださいよ……これだから、ツィタル正教では医者も医術も呪術やら魔術やらと同列の扱いを受けるのです」
レクシスは片眉をつりあげる。
「そんなオカルトじみた俗物と一緒にしないでくれ! 医術はれっきとした科学に基づくものだ! その地方に暮らす人々の衣食住や職業、掛かっていた病から体質を特定して、様々な抗病の源を抽出して精製することも──」
「世間の印象を考えてください」
パトリツィアはレクシスの額を小突く──が、その軌道を予期していたのか指を受け止めて得意げな顔を晒す。
「……ふんっ」
「いっ⁉」
続く二撃目の拳が、無防備な頬にめり込んだ。
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