第二章『医術師と治癒師』

12.『カルデラン商会』

 レクシスは深々と頭を下げた。

 目の前には怪訝そうな顔をして、顔に手を当てて俯いている男がいる。


「その傷は?」


 男はレクシスの右肩に指を向けた。


「……ちょっと、バカな真似をしてしまって」


「監視官がいるというのに、お前に手出しできるはずがない。……大方、ここに来るまでに同行していた治癒師見習いを庇ったのか」


「なぜそれを」


 まるで騒動を見てきたように言う。


「お前は本当に馬鹿な真似をした。あの見習いごときの命がお前の片腕と釣り合うとは到底……まあ、仕方がない。特注の薬を用意しよう。今晩はゆっくりと休め」


 男は背もたれに深く腰掛ける。薄黄金色の髪を香油で整えた男だ。格式の高い礼服に全身を包んでおり、旅で薄汚れたレクシスとは相反する格好だった。


 街についたレクシスたちはカルデラン商会の支部に足を運んだ。そして、現在、レクシスの義兄──商会の主であるジェラルド・オリンシアと向かい合っている。


「……はぁ。結局、死体をここに持ち込んでしまったと」


「研究室は用意してあるんですよね? そこへ持ち込んだ遺体を送ってくださいよ。よろしくお願いします、ジェラルドお義兄様」


「待て」


 手を振りながら振り返って歩き去ろうとするレクシスの背にジェラルドは声をかけた。


「な、何ですか?」


 ジェラルドはため息をつく。


「確かにレクシス、お前の研究は商会の役にも立っている。お前が調節、開発した薬は多くの命を救い、南部にも浸透し始めている。お前のために部屋を研究室として貸し出すのにも異論はない。だが、異論がないということを盾にしてはならないぞ」


「はは……南部に出してるのは植物由来の『抗病薬』ですけどね。いやぁ、褒められるのなんて久しぶりだなぁ。南部に入ってからは医学といえば異端の技だし、心細かったんですよ」


「そういう意味じゃない。死体を持ち込むのは自重しろという意味だ」


「なっ……遺体を持ち込んだお陰で新しい薬である『予防薬』の研究が進んだんですよ⁉」


 目を丸くして声高に抗議する。しかし、ジェラルドは動じなかった。ただ、こちらを静かに見つめている。


「それで? お前が新たに作った『予防薬』は役に立っているのか?」


 レクシスはバツの悪そうに頭をかいた。


「……ダメです。特に南部ではちっとも受け取ってもらえません。シミュラ先生のめちゃくちゃな理論からやっと人の身体に入れられるようにした予防薬は、獣の血からしか作れませんし……」


 それが問題だ。ツィタル正教の信徒は獣の血と聞くだけで拒絶を起こす。薬として身体に入れるなど論外だという。

 本当に神とやらは面倒な教えを残してくれた。


「病にかかっても発症しない、もしくは軽症ですむという薬か……元の『抗病薬』とお前が新しく作った『予防薬』は何が違うんだ?」


 細い指がテーブルを叩いている。

 レクシスは一瞬だけ目を遠くの方へ向けた。そして考えた後、首を振る。


「お義兄様には前に説明したじゃないですか。抗病薬は植物からでも精製できますけど、予防薬は理論上、その病にかかった動物、人間からしか作れないんですよ。しかも、時間をかけて精密に病の種を抽出、培養……弱毒化しないと……」


「つまり、大量に生産して商会に卸すことはできないと言うわけか」


 端的な言葉に言い換えられて、レクシスは身がすくんだ。


「……すいません。商会の力を借りているのに、役に立つことができなくて」


「それは良いのだ。お前はアルミオシオンの生き残りとして、商会に医術の光をもたらしてくれた。抗病薬の精製方法を伝えてくれたおかげで、我が商会は大陸における一大商会となることができた。そこは感謝しよう」


「じゃあ……!」


 ジェラルドが目を上げる。


「だが、教会の目はますます鋭く、厳しくなっているのが現状だ。それは商会の本部がある北部にも及ぶかもしれん。……支部の建物に遺体を運び込んでいる現場を見られでもしたら、教会の兵どもが鉄杖を持って扉を破る。分かっているな?」


「……はい」


 視線が鋭さを増した。


「そして、お前は私の妹──ガリテアの夫だ。ガリテア亡き今でも、それは変わらない。レクシス、お前は私の家族と変わらないのだ」


「それは……感謝、しています」


 まるでいたずらが見つかった子供のような気分だ。


「ガリテアに操を立てよ、とは言わない。だが、節度を持て。天にいる妹の魂を悲しませることは、この私が許さんぞ。──自重しろ、色々とな」


 その視線は、強大な重力のようにレクシスを押さえつけて、床に沈めようとしてくる。

 ふっ、と彼が視線を外したときにはレクシスの背筋はびっしょりと汗で濡れていた。


「領主の召喚に応じるといい。事が上手く運ぶように裏から仕掛けておく。安心しろ」


「……持つべきものは、心優しいお義兄様ですね」


「後で酒でも飲み交わそうか。この街での商売は上手く行っているのだ。記念として五十年ものを開けよう。旅の間に見聞きしたものを教えてくれ」


 かつかつとブーツを鳴らして去っていく。

 レクシスは腕時計に目を落とした。ガラスに反射した自分の顔は気分に反して人好きのする微笑みを浮かべている。……表情を作るのにも苦労するのに。


 まったく、面倒ごとばかりで嫌になる。

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