13.『監視官の日常』

 商会の建物から出る。

 途端にずしりと背中に重量がかかった。どうやら筋肉が緊張で強張っていたらしい。

 パトリツィアを商会付近で探す合間に露店で干した果物の切り身を購入。緊張で塩辛く錯覚している味覚に放り込む。

 じんわりと甘さと酸っぱさが広がり、レクシスはようやく詰めていた息を吐き出した。

 ジェラルドに会った後は、いつもこんな気分になる。


「お」


 見つけた。

 彼女は建物の裏路地で外套の裾を地面につけてかがみ込んでいた。


「にゃん、にゃんにゃん、にゃーん?」


 その両手は気持ちよさそうに仰向けになって寝転がる黒猫の腹をわしゃわしゃとしている。

 とても可愛いと思うのだが本人に言えばぶっ叩かれるので心の中にしまっておく。


「パトリツィア?」


 レクシスが声をかけると黒猫はばっと飛び起きて威嚇するように牙を剥く。あっという間に裏路地の奥に駆け込んで見えなくなった。

 残されたのは驚きに固まったパトリツィアだ。


「れ、レクシスっ⁉ いつから……」


 久しぶりにこんな彼女を見た気がする。


「にゃーん」


「……忘れてください。後生ですから」


 路地裏の奥をちらりと見て、失意の色を滲ませる。


「むぅ」


 残念そうな顔を見せるパトリツィア。こういうときには、普段と違って随分と幼く見える。


「動物を可愛がっていたところに悪いね。手を洗っておいで。街で自足している獣は『病の種』と『潜り虫』の温床だ」


「……分かっています。そういうレクシスは、動物から嫌われていますよね。嫉妬ですか?」


「まさか」


 首を振る。


「シミュラ先生の悪趣味で中身まで知っちゃった動物たちは、もうそういう純粋な目で見れないさ。アルミオシオンで飼っていた動物は、全部実験用の動物だったからね。パトリツィアが昨日まで可愛がっていた鼠が、解体されて出てきたときなんか泣きわめいていたことを思い出すよ」


 パトリツィアはこちらを見上げて顔をしかめた。


「……そこが、私が医術で嫌いなところです。命を救うのに、命を犠牲に発展してきた」


「それはそうだけど、命の価値においては違うんじゃないか? 価値の低い命を土台に、価値の高い命を救うんだ。この点において、医術は等価交換の法則から外れた技といえる。人間の理性と観察が積み上げた素晴らしい技だと思うね」


 レクシスは微笑んで手を差し出す。ぞっとしたような視線が打った。


「……命に別々の価値あると? ええ、そうですね。レクシスが言うのならそうでしょう。傲慢の極みですよ、本当に。命に優先順位をつけるその考え方がまさにそうです」


 パトリツェアは敬虔なツィタル信徒であると自称していたが、そろそろ慣れてほしいものだ。

 レクシスはアルミオシオンで育てられた。そうであるように育てられた。


「そう怒らないでよ。しょうがないさ。傲慢なら傲慢なりに、命を最大限効率的に利用して生きなくちゃいけない。それが消費した命に対する礼儀だって、シミュラ先生も言ってたし」


「私は貴方のそういうところが嫌いです」


「お褒めに預かり何よりだよ、監視官殿」


 パトリツィアは差し出された手を取って立ち上がった。外套の埃を払って、鞘を鳴らす。


「ほれ」


 余った果物の切り身を渡す。


「大切な路銀を使ってまた買い食いですか」


 責めるような口調。


「いらないの?」


「……いりますけど」


「素直な君が大好きだ。口を開けて。あーんしてあげるから」


 微妙な顔でもしゃもしゃ「……酸っぱい」と食べている傍らで大きく伸びをする。


「オウルベルクでの研究拠点はジェラルドが確保してくれた。今日の午後にでも領主の召喚に応じられるだろうさ」


「……もう一度聞きますが、大丈夫でしたか? 貴方とオリンシア代表は不仲だと。一度殺し合い寸前までいったのだとか」


「そんなことはない。今は仲良くやってるよ。お義兄様の剣を喉仏に翳されるのは、もう二度とごめんだね。……うんうん、多少注意はされたけど、想定の範囲内だ」


「遺体を運び込んだ件ですか」


「それと女癖等々」


 レクシスは首筋を擦って身震いした。


「……はぁ」


「いやぁ恐ろしい恐ろしい」


 首についた古傷は過去、ジェラルドと口論になった際に首を落とされかけたときについたものだ。結局、シミュラの手によって何とか生き延びたものの、あれ以来義兄であるジェラルドには何かと苦手意識がある。

 首を落とされかけたのだから当たり前といえば当たり前なのだが。


「そんなことよりもお腹が空いた。街の周りに咲いていたのは、記憶が正しければソバの花だったかな?」


「はい。遅咲きでしたので、他方ではすでに収穫は始まっているかと」


 ならば昼飯は決まったようなものだ。


「じゃあ、久しぶりにガレットが食べたいな。豚肉を香ばしく焼いて、たっぷりの香草と一緒に挟んだものがいい。乳酪もあると最高だ。きっと旨いぞ」


「……またこの人はそのような贅沢を……」


「旅の間は酸っぱいパンと塩辛くて固い肉だったからな。商会の食事係に作らせるか」


 レクシスの提案にパトリツィアは眉を吊り上げた。


「聞いてきますよ。まったく、南部で乳酪は貴重品だというのに……」


「創世記、七日の七日目。神は最後に乳酪を作った。食べて満足したら、後は何も働かなくなった」


「ツィタル正教に刺されてください」


 レクシスは鼻を鳴らした。


「酒は、まあ我慢しておく。麗しいお義兄様との楽しい楽しいご夕食が待っているからね」


「その前に召喚を受けているでしょう。領主の召喚に酒を飲んでいくような人がいますか。少しは考えてください。それに、少しは自分の言った言葉を顔の表情と一致させてください」


「お固いなぁ」


 パトリツィアは気乗りしない足取りでレクシスの前を歩き始めた。

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