14.『かつての患者』

 石畳で舗装された表通りに、風が吹き抜ける。湿気を帯びていないからりとした空気。きっとこれから寒くなるだろうと伝えてくれるそれに、レクシスは一足早く身震いした。等間隔に並べられた街路樹は赤色や黄色の葉に色づいてざわめきを耳に届けてくれる。


 街並みは鮮やかな暖色で塗られた石造りの建物と木造の建物が存在している。

ここオウルベルクは文化圏の違う南部と北部を繋ぐ、ワインバーグ帝国の中央に位置する街だ。かつての侵略戦争の際に整えられた城塞都市としての機能を残す、街をぐるりと囲う壁に取り囲まれていた。


 北部の山嶺にワインバーグ帝国が攻め込む足がかりとなったとのことで、北部の一部氏族たちは蛇蝎のごとくこの街を嫌っている。

 かつてより帝都と交流のあったアルミオシオンで生まれ育ったレクシスにとって、景色が綺麗な街といった感想を持つに過ぎない。大昔の恨み辛みで純粋なものを楽しめなくなるのは、それだけで損だとレクシスは考えている。


 実際、ここは良い街だ。

 食べ物も美味しい、景観もいい。

 それに何より人がいい。近くに教会があるお陰か、敬虔な人が多い印象だ。

 教会は嫌いだが、教会の信徒たちは心穏やかな人が多い。普段過ごす分には問題ない。医者に対する排斥はその分酷くなろうが。


 義兄が代表を勤めるカルデラン商会が、この街の商売を取り仕切っていると文通で知って以来、気になっていた。

 領主の召喚という望まぬ形ではあるが、ついでに足を運べたのは何よりかもしれない。


 足音が聞こえる。


「名を訊ねても?」


 重厚な男の声に、心を引き締める。

 レクシスが跪いて、パトリツィアが数歩離れたところに立つ。腰に差した剣はそのままだ。

 監視官は、一領主の権力の束縛は受けない。それは、帝国司法院の直属であるからだ。


「医者、レクシス・グラマン。召喚に応じて、ここに馳せ参じました」


「よくぞ参った。シミュラ殿の弟子よ。ライアス・ラフーゼの名の下に、お前を歓迎しよう」


 力のこもった声で彼は言う。


「面を上げよ、レクシス殿。私は貴方を頼って、ここに呼んだのだ」


「……頼って、とは?」


 てっきり処罰を受けるために呼び出されたかと思ったが。


 跪いたまま、顔を上げる。

 領主の館について、レクシスたちを真っ先に出迎えたのは大柄で恰幅の良い壮年だった。

 獅子のような濃い黄金色の髪を短く刈り上げて、同じ色の豊かな髭が顔の半分ほどを覆っている。腹の出た身体をゆったりとした赤色のローブで覆ったその姿は、かつての王侯貴族を彷彿とさせた。


 レクシスの質問には答えずに、ライアスは身を翻して廊下を進む。


「まずは奥へ参れ。軽食も用意している。楽にして良い」


 レクシスが立ち上がり、奥の間へ進む。

 そこは白と銀を基調とした食器の並ぶ長テーブルが部屋の中心に置いてある部屋だった。


 皿には様々な軽食があり、南部特産の果物が積み重なったカゴもあった。北部特産の果物もあるが、乳製品を使った軽食は存在しなかった。

 南部では伝統的に獣の乳を飲まないのだ。ツィタル正教の影響もあれば、絞った乳が気温の影響で保存が困難だという南部の環境的な要因もある。

 ライアスが上座に座ると、手を向けて座るように促した。


 レクシスは一礼をして、上質な木材で作られた椅子に深く座った。


「今年は作物が多く取れてな。ほら、リンゴもこの通り、艶の見事な赤色だ」


「はい、確かにこの土地は豊かですね。それに、とても食文化が豊富なようで。ここに来るまでの間にどれほど私を誘惑する香りに出会ったことか」


「そうだろう?」


 ライアスは籠からリンゴを取り出す。


「生のまま食べるのもいいが、酒を作ってもいい。この街で作った果実酒は先祖代々自慢の酒蔵のお陰で良いものがあがるのだ」


 そのまま豪快にかぶりつく。


「パイにしてもいい。小麦の生地を鮮やかな毛皮色に焼いて、その上に蒸したリンゴをこれでもかと乗せるのだ。機会があれば街のレストランに寄るといい。満足してもらえるだろう」


 ライアスはリンゴを噛み砕いて、そのまま視線をレクシスに向ける。


「さて、伝え聞いた話によると、レクシス殿は私に何か話があるのだったな。申してみろ」


 身を引き締めて、レクシスは言った。


「ザーウィルズの三つの村、その中央に広がる森に狂犬病に罹患した獣が生息しているかもしれません。立ち入りを禁止し、罹患した獣を殺さねばならないでしょう」


「ほう? 狂犬病というと『踊り狼ファンガ』のことか」


 言い直されたことで、レクシスは己の過ちに気がついた。


「……失礼しました。ついこちらの言葉で」


「よい。シミュラ殿にはかつて世話になった。その時に学んだ医学の心得は多少ある」


「っ」


 声が漏れるところを必死に抑える。


「シミュラ先生に会ったことがあるのですか?」


「ああ、幼少の頃だがな。酷く咳き込む風邪を、旅の者だという若草色の服を着た老いた女性があっという間に治してくれたのだ。後から父に話を聞いたところ、それがシミュラ殿であったという」


「先生は、こんなところにまで……」


「アルミオシオンの件は、実に残念であったな……いや、よそう。私にかの地の人々の苦しみが分かるとは思えない。シミュラ殿も、その地で病に……」


 ライアスは顔を伏せた。


「はい。先生は、アルミオシオンと運命を共にしました。そう、聞き及んでいます」


「……そうか。誠に惜しい人を亡くしたものよ」


 ぽつりと呟いた。

 レクシスの師匠である老医シミュラは、かつてアルミオシオンに籠もる前に世界を巡っていたという。その旅で、様々な人の命を救って人脈を築いてきた。


 なんでもワインバーグ帝国の皇室とも繋がりがあるというのだから驚きだ。

 そうして、大陸の北部の山嶺に医学の聖地であるアルミオシオンを建てたのだ。

 今になって考えれば、異端の技である医術を軽々と潰せぬように手回しをしていたのだろう。実際に命を救った実績のある技を簡単には廃止できない。

 シミュラは幼いレクシスから見ても、老獪で底の見えない人物だった。


 今でもたまに思い出す時がある。

 あの人はいったい何を考えていたんだろう。

皺だらけの笑みの裏には、途方もなく遠大な思考が渦巻いているように感じられた。

 そんな先生も、もういない。

 アルミオシオンの出身で、生き残ったのはレクシスただ一人なのだから。


「では、私の提案は受け入れてもらえますか?」


「事実の確認が取れたら、直ぐにでも」


「……ありがとうございます」


 深く頭を下げる。


「領民の命を守ることこそ、領主の務めだからな」


 彼は微笑んでいた。


 拍子抜けする。南部に入ってからこのように友好的な対話をするのは随分と久しぶりだった。これならば、あのことも聞けるやもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る