15,『手の出せない病』

「ライアス殿にお尋ねしたいことがございまして」


「なんなりと。レクシス殿」


「その、」


 一度深呼吸して、


「アルミオシオンを滅ぼした疫病──『神の懲罰リャルム』について何かご存知ないでしょうか?」


「それは──」


 目に見えて頬が強張る。──何かを、知っている?


「なんでもいいのです!」


 次に対話が成立する人がいつ現れるのか分からない。焦りもする。


「どうか教えていただけませんか──」

 

 その時、背後から扉の開く音がした。


「只今、戻りました」


 ライアスの緩んでいた頬が、固くなり、眼光が鋭さを増す。

 レクシスが振り返ると、そこには白いマントと祭服を身に纏い、杖をつきながら悠然とこちらに向かって歩いてくる老人がいた。


 髪は真っ白に染まっており、裾から除く腕や足は皺が目立っている。だが、衰えは感じられない。老齢であるものの、背は真っ直ぐと伸びて、その目からは磁力のような圧力が発せられているように思えた。

 老人の後ろには、控えめに付き添って歩くキノミの姿があった。


「……!」


 こちらに気がついたのか、キノミは何か言いたげに口を動かしたが、音にはならなかった。

 老人はレクシスのことなど見えていないかのように続ける。


「ご子息のご容態を確認いたしました、ライアス殿」


「苦労をかけたな、タリゥム治癒師。して、どうなのだ?」


「タリュム……」


 近くの村で何度も聞いた。この近辺を統括している治癒師だ。あの老人がそうなのか?

 彼は薄く開いた目をライアスの座っている上座に向けて、口を開いた。


「結論から申しますと、清めの香を焚いた方が良いと判断いたしました。穢れを清める断食を早々に始めたほうが良いかと。三日をかけて、お部屋に清めの香を設置いたします」


「……タリゥム師ほどの方でも、そう判断したのか」


 声が震えている。先ほどの豪快な男の姿はそこにはなく、ただ顔を伏せて肩を震わせている親の姿があった。


「わたくしの浅はかな愚考ですが、ご子息はまだ若いのです。主の身元まで昇った際には、その身に一切の穢れを持たないご子息を、我らの主は至上の幸福と共に迎え入れるでしょう」


「この世に、マティアスの命を引き留めることは叶わないと……?」


 タリゥムの瞳に強い光が宿った。


「受け入れがたいのは、理解しております。しかし、ご子息にとって最も幸福なことは何でしょうか。……穢れを清めて、安らかに主の身元まで送り出すこと。苦しみを取り除き、安寧を迎えることこそがご子息のためではないでしょうか?」


「ああ、マティアス。カエに続いておまえまで……!」


「わたくしどもとしても、心苦しく思っております。……しかしながら、判断をなさるのは、まだお早い。教会の蔵書に病を治癒する方法が書かれていないか調べましょう。──どうか、諦めないでくだされ。貴方の哀しむ涙は、ご子息の望むものではあるますまい」


 強い口調で言われると、言葉に打たれたようにぴくりとライアスの背が痙攣した。

恐る恐る顔を上げる。強い光を宿した瞳を持つ老人の頑強な姿を認めて、ゆるやかに息を吐き出す。


「タリゥム師。どうか頼む……あの子は、カエの残した形見なのだ。……決して、決して、失いたくはない」


 その言葉には、これまでの硬さがなかった。


「微力ですが、お力添えをいたしましょうぞ。それでは、わたくしはこれで戻ります。どうか、苦痛が癒えますよう……」


 老人はちらりとこちらを見やり、マントを翻して歩き去った。

 キノミはライアスに深々と礼をした後、タリゥムの後を追って行った。

 途中でレクシスの方を向いて何やら口を開こうとしていたがレクシスは構わなかった。

 物言いたげな顔で見つめていたが、やがて諦めたのか、もう一度振り返り、構う様子がないと分かると軽く会釈をしてから扉を閉めた。


 静寂が訪れる。

 やがて、静寂を破ったのはレクシスの声だった。


「治癒師では、手の出せない病があるのですね」


 ライアスは肯定も否定もしなかった。ただ、縋るような光を瞳に浮かべて、レクシスを見つめていた。


「分かりました。診察しましょう、ライアス殿。この地を統べる教会の専任治癒師──タリゥム殿の手に余る病……しかし、全力を尽くすことをお約束いたします。必ず、ご子息の命を救ってみせましょう」


「……マティアスは、二階の廊下……一番奥に」


 それが精一杯だったのだろう。

 領主ともあろう人が、異端の技である医術に身内を委ねたと知れれば、教会からの反発はもちろん、領民からも、その噂を聞いた他の人々からも印象が悪くなることは確実だろう。


 領主ライアスがレクシスを呼び寄せたのは、罰則に見せかけて息子の命を救おうとしたためだった。南部に入ってから、まだそう日数も経っていない。

 それでも、噂を辿って呼んだのだ。


 治癒師ではなく、医者を。かつて自分の命を救ってくれたシミュラの弟子を。

 医術に信用を置いてくれた彼のためにも、応えてみせる。応えなくてはならない。

 それが先生の弟子である、自分の役目だ。


 口を閉ざすライアスに、レクシスは無言で一礼をした。

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