16.『後悔』

「レクシス、これは良くありません」


 二階に登る際、付き添っていたパトリツィアがレクシスに向かって小さくもはっきりとした声で言った。その言葉に、足を止めて振り返る。パトリツィアが階段を登らずに、レクシスを見上げていた。


「これはツィタル正教の治癒師の管轄です。先ほどの態度からして、領主ライアスはレクシスに正式な依頼を出すつもりはないのでしょう」


「……うん、分かっているよ」


「もし、貴方が領主の息子を診察したとなれば、医者である貴方が領主の息子に干渉したという事実が生じます。……本当に分かっていますか? 今、どれほどの危険な境地に自ら足を踏み入れようとしているのか」


 レクシスの見る目は、どこまでも冷静だ。


「もし、貴方の診察とは関係なしに領主の息子が亡くなったとして、その罪を全て貴方に被せることも出来るのですよ? 病死であっても、治癒師の失態でも……殺人でも。全てを貴方に被せることが出来るのです」


 パトリツィアの声が糾弾するような口調に変化する。


「政治的な摩擦が起きるかもしれません。自らの患者に怪しげな『医術』を持つ若者が関わるのです。彼らからしてみれば面白いわけがありません。自分の権威を守るために、全力を尽くして貴方を妨害するでしょう。医者の立場は、今はシミュラ様が残してくださった皇帝陛下の繋がりに頼っている状態です。今は動くべきではありません」


「……何が言いたいんだ、パトリツィア。言いたいことがあるならはっきりと言え」


 苛立ちを隠せないレクシスに、パトリツィアははっきりと告げた。


「この不毛な診察は止めるべきです。貴方は最後の医者なのです。……正教会のタリゥム師といえば、根っからのツィタル正教の信徒にして教会派です。決して貴方の医術を認めないでしょう。彼の弟子であるキノミもそうであったように」


「……だから、救える命を見過ごせというつもりか? 先生の弟子で、医者の僕に対して?」


 その声を出したレクシスでも、自身からこんな低くしゃがれた声が出ることに驚いた。


「医術は万能ではありません。シミュラ様も言っていたでしょう? 貴方が手出しをしても救えないかもしれませんよ」


 引き止めようとするパトリツィアから目を逸らす。


「勝手にしろ。僕は行く」


「っ、待ってください、レクシス!」


 レクシスは首を振って、再び階段に足をかけた。


「ああ、もう! 貴方は本当に昔からそうやって……!」


 苛立たしげな声が追いかけてくる。勝手にしろ。


「救えるかもしれない命を救わなかった……そのことで後悔するのは、もう二度とごめんだ。なぜガリテアは死んだ? なぜガリテアを助けられなかった? なぜ病はガリテアを選んだ? ──どうして、アルミオシオンは滅びなければならなかったんだ?」


「レクシス、貴方は……まだ、」


 呆然とした声が聞こえる。


「僕は、同じ轍はもう二度と踏まない。そう誓ったんだ。今逃げ出せば、全部あの時と同じになる。救える命は救えるその時、確実に手を尽くして救ってみせる。──そうした旅の最後に、アルミオシオンを滅ぼした病『神の懲罰リャルム』とやらの原因と治療法を見つけてやるんだ」


 前を向いたまま、吐き捨てる。


「……それが、僕が殺したあいつに対する手向けだ」


 ギリッ、と奥歯が鳴った。

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