17.『レクシスの診察』
部屋に入ると大きな寝台の上に、一人の少年が寝ていた。
小麦色の柔らかな布が少年の上に被さっており、寝台の装飾も豪華絢爛に整えられている。清潔なシーツに、大きな白い枕。
少年は痩せ細っていた。
苦しそうに喘鳴を漏らしながら呼吸する様子は、か細い枯れ枝のように錯覚させる。
目配せすると、パトリツィアは軽く頷いて白い布で口と鼻を覆った。レクシスも同様の格好をしている。清潔な革手袋を装着して、レクシスは少年の元へ歩み寄った。
ライアスから受け継いた金髪は細くなっており、栄養状態が良くないことを知らせている。皮と骨が浮き出ており、喘鳴のたびに震えるため、まるで老人を見ているようだった。
「栄養失調、軽度の脱水」
レクシスは寝台のそばに屈むと、少年の手を取る。脈と血管の様子を確認する。
「脈は弱っているが、特に異常はない。だけど、毛細血管のあちこちが破裂して、小さな斑点が出来ている……」
パトリツィアはそばでレクシスの呟いた内容を事細かに手帳に書き留めていく。
レクシスは毛布をめくる。……微かに臭う。
しかし、少年の身体は清潔そのものだ。
「体臭に異常、それに下痢の兆候が見られる……パトリツィア、後で便の採取を行う。領主の許可をもらっておいてくれ」
「分かりました」
鞄から銀の長細い棒を取り出して少年の耳に軽く差し込んだ。中に赤く色付けされた水銀が満ちており、目盛りが割り振られている。体温計。アルミオシオンで発明された道具だ。
結果を見て、レクシスは唸る。
「……熱はない。しかし、過剰な発汗がある」
体温計を耳から抜いて、鞄の中に仕舞う。入れ違いに、小さな針と丸い硝子瓶を一纏めにしたような道具を取り出した。
「それを使うのは……」
「領主でも、これくらいは許してくれるよ」
レクシスは少年の右手を開いて、親指にその針をちくりと突き立てた。極少量の赤黒い血が硝子瓶の中に溜まる。それを軽く振ってから、鞄に仕舞った。針の刺さった親指は、ささくれているように見えるだけで、すでに血は止まっている。
レクシスが一通り少年の周りを回って調べた後、パトリツィアに目配せする。
そして。少年の肩を一定のリズムで叩いた。
「起きてくれるかい? 寝ているところ悪いけど、少し付き合ってくれるかな」
徐々に強く叩いていると、ぴくりと少年のまぶたが震えた。ゆっくりと開いたその目は、ぼんやりとレクシスとその後ろに佇むパトリツィアを不思議そうに見つめる。
「ご本を、持ってきたの……?」
なんだ、タリュムが接触した時か?
「本? いいや、僕は君を助けるためにここに来たんだ。僕はレクシス・グラマン。レクシスと呼んでくれ」
「……あの、お姉さんと違う……あなたは、レクシス? ……その白いのなんですか? 変なの……」
……お姉さん?
まるで夢の中からこちらを覗くような、ぼんやりとした表情だった。白い布で口と鼻を覆った格好はさぞかし奇妙に見えるだろう。
「君の名前を聞かせてくれるかな?」
「……ぼくはマティアス。マティって、呼んでください」
「よし、じゃあ今から僕が言う言葉に従ってくれ。きっと君を治す助けになる」
マティアスは曖昧に首を傾げる。
「まず、どこか身体に痛みはないか? 些細なものでもいいから、はっきりと痛む場所と度合いを教えてくれ」
「……喉の奥。あと、両膝がすごく……痛い」
「肘や肩はどうだ?」
「……少し、痛い……です」
予想通りだ。
軽く触れるとぴくりと反応が返ってくる。
「重度の膝痛、関節痛。喉奥を見せてくれ」
困惑するマティアスを無視し、レクシスは口を開くよう迫る。
診断は出来る限り、短時間で終わらせる。未知の病に対して、レクシスの取る常套手段だ。
感染性の病の場合、患者と同じ空間にいるのは害となる。ライアスの判断は正しいといえる。一応の隔離をしたのだ。流石医学をかじっただけのことはある。
マティアスが口を開くと、レクシスはマティアスの舌を押さえつけて中を覗き込んだ。
暗いが、それでもなお視認できるほどに真っ赤に腫れている。
「咽頭の腫れ」
レクシスが舌から指を除くと、マティアスは激しく咳き込んだ。
パトリツィアはすらすらと手帳に情報を記載していく。
「他にはどんな症状がある? 些細なものでも構わないぞ。悪夢を見たり、悪寒がしたり、酷く喉が渇いたり……とにかく、なんでも良いんだ」
「あの……!」
機械的に診察を続けるレクシスの言葉を、マティアスはその小さな手で押し止めた。
「あなたたちは……街の外から来たんです、よね……? 街の外の出来事……聞きたいです」
何を言っている?
「それは病が治った後にいくらでも話してやる。今は病を治すことが先決だろう? 君のお父さんも、君が早く治ることを望んでいる」
「そんなことよりも、お話聞きたい、です……」
「──そんなこと?」
眉根を寄せる。
レクシスを不思議そうに見つめるマティアスは不満げに口をとがらせた。
「そんなこと、です……だって、ぼくはもうすぐ、死ぬんでしょ? ……我らの主の身元……楽園まで行って……幸せに暮らすんだから……」
「っ、」
「とにかく、もうすぐ死ぬんだからせめて街の外のお話を聞きたいんです」
「楽園伝説……君は、死ねば楽園に行けると信じているのか?」
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