9.『襲撃』
馬車の中からでは話している内容までは聞こえない。
御者にはパトリツィアが付き添っている。心配はいらないと、思っていた矢先だった。
どっ、という衝撃音とともに人型の影が馬から転がり落ちた。激しい振動とともに、身体が一瞬宙に投げ出されるような感覚がレクシスとキノミを襲う。
「な、なんですか⁉」
「ちっ、僕はつくづく神様から嫌われているらしい!」
唐突に馬車の扉が開け放たれた。凄まじい突風が吹き込んでくる。
「馬に矢を射られました、早く脱出を!」
「っ」
流れる景色を背に、パトリツィアが焦燥に駆られた表情でこちらを見据えていた。
手が伸ばされる。迷うことなく、レクシスはその手をとって……少し迷った後、馬車の座席に座り小さく震えているキノミを抱きかかえた。
「ひゃっ⁉」
「首に手を回して、肩を重点に身体を支えろ! 僕は非力だから自分の力で掴まってくれ!」
「は、はいっ……!」
パトリツィアは、鋭い目で左右を確認すると曲芸じみた動きで馬車から二人を連れて飛び出した。
「ぐっ!」
そのまま転がり、やがてパトリツィアが地面に面した状態で止まる。
脚に矢が突き刺さった馬は、そのまま暴れるように痙攣した後、どさりと倒れ伏して馬車全体が横転した。車輪がぐるぐると回っている。
「あっぶな……」
やがて、ぐしゃりと自重に耐えきれずに潰れたのを見てひやりとする。
「……重いのでどいてください。レクシス」
身体の下からくぐもった声が聞こえた。
慌てて身体をどけると、パトリツィアは身体についた砂埃や泥を拭って立ち上がる。
相変わらず高耐久だ。これもまた欠かさず剣を振り続けるという修行の賜物か。
「重いとか言うなよ。僕は見習い治癒師殿も背負っているんだ。重いのはこっち」
「なっ、あ、あたしはそんなに重くありません! 最低ですっ!」
甲高い声と赤い顔。
「はいはい僕は最低ですよー、と」
ぽかぽかと胸板を拳で叩いてくるキノミを落ち着かせて、周囲を素早く見渡す。
「……なるほど。随分と入念だ」
「はい」
先導していたはずの兵が乗り込んでいる馬車に縄が投げつけられたのだろう。バラバラに壊れて、兵たちは壊れた瓦礫に埋もれていた。
「この辺りで盗賊が出ると行った情報はなかったはずだけど……先の街で何かが起きたのか?」
「どうしますか? 馬車は使えず、オウルベルクまで徒歩で丸二日の距離です。その上、ここら一帯はあの襲撃者たちが彷徨いている」
粗雑な服装を身に纏った襲撃者たちが兵を一人ひとり刃で切り裂いていく。
血と臓物の赤色が撒き散らされる。鉄錆のような臭いが辺り一帯に広がっていく。
「……っ!」
今にも悲鳴を上げてパニックになりかけていたキノミの口をレクシスは手で塞いで頭を地面に押さえつけた。
「死にたくなければ大人しくして。──パトリツィア、相手の数は?」
「少なく見積もって八人です」
「始末してくれ」
冷酷な言葉に、押さえつけられたキノミは身体をぴくりと揺らした。
「簡単に言ってくれますね」
ぼやきながらもパトリツィアは鞘から剣を抜いた。艶消しで黒く塗られた刃はまるで暗殺者の武器のようであり。瞳が冷気を帯びたように細まり、洗練された身のこなしで低く這うようにして影から飛び出した。
「パトリツィアさん……⁉ 一人であの人数は……!」
「まあ、見てなって。……いや、見ないほうがいいかも。ちょいとグロいからね」
「え……?」
困惑と焦燥が見える。可愛らしい顔にあまり似合わない表情だ。
「あっちは任せといて大丈夫だよ」
キノミは襲撃者たちの悲鳴が聞こえる背後をちらりと振り返った。
「っ、」
黒い風が疾走する。
粗末な布地を撫で斬るような最低限の動きだけで襲撃者を打ち倒していく。
「なっ、こいつどこから……!」
「おい、どうしたんだ⁉ ぐあっ!」
斬られた相手は悲鳴を上げる間もなく、心臓に刃を突かれて倒れ伏した。
「早過ぎる! ここらに衛兵はいないんじゃなかったのか──ぐっ⁉」
「いや、こいつ衛兵じゃ──や、やめ……!」
その細脚からは想像もできないほどの加速を伴い、瞬撃を持って撫で斬っていく。
疾走る、疾走る。刃が閃いて血肉が弾ける。
対応が間に合わないことを悟った襲撃者たちは一斉に仕掛け弓を構えた。
「ひっ、来るなぁ!」「──」
黒塗りの剣を一閃し、刃を奔らせると武器を構えた腕ごと切断される。
腕を押さえて悲鳴を上げる彼に膝蹴りを入れると、そのまま心臓に刃を突き立てた。
鮮血が噴き出して、外套を濡らす。
これで五人目だ。
「こいつ……!」
打ち放たれた矢を目視で避け切ると、相手に向かって剣を投げる。鋭く加速された剣は相手の頭蓋を貫いて、死に至らしめる。そのまま剣に取り付けられた細糸を操ると、剣が唸った。目にも止まらぬ速さで縦横無尽に空間を駆けて、襲撃者を狙ったように斬り裂いていく。
細糸を手繰り寄せて剣を鞘に収めると立っている者は誰一人存在しなかった。
キノミは呆然とパトリツィアの戦いとも呼べない蹂躙をただ見ていた。
「あー、見ちゃったのか」」
隣を見るとレクシスが頭をかきながらパトリツィアの方を向いていた。
「結構グロいし、お子様の情操教育には良くなかったかもしれないな。だから言ったのに」
「パトリツィアさんは……」
今にも泣きそうだ。
「あれでも司法院直属の監視官だよ。めちゃくちゃに強いし、人を殺すことを何とも思ってないバーサーカーなんだ、パトリツィアっていう女は、──っう⁉」
レクシスの頭に拳が突き刺さる。「どさくさに紛れて何を言っているのですか」
呆れたような表情をしたパトリツィアがレクシスのそばに立っていた。
「ちょうどいいや。早めに終わったなら一緒に野宿する用意を整えてくれよ。薪を集めて火を起こしてくれ」
レクシスは街道から外れて進み始める。
「待ってください。まだ周囲の警戒が終わっていません──」
死体の山を見やる。血にまみれて痙攣していた襲撃者が、仕掛け弓に手を掛けていた。
「よくも……殺して、やる……!」
その射線には、キノミの小さな頭があった。
──あっ。
小さな音がした。
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