5.『泣きむし治癒師』

 家の外では、白色フードをすっぽりと頭まで被った少女がこちらに指をさして何やら口論していた。フードを被った少女は彫りの深い顔立ちからして、南部の奥──ワインバーグの帝都出身だろうか。

口論の相手は、先の男の妻だった。


「あの女の子は?」


 指で少女を指し示す。パトリツェアは、睨んでレクシスの指を下した。


「人に指を向けるものではありません」


 笑みを作る。


「ならこのまま手を繋ごうか」


 パトリツェアは信じられないような顔をした。軽く咳払いをして


「……ツィタル正教の治癒師ですね。年齢からするに、まだ見習いでしょうか」


「ふむ。食べ頃まであと五年ってとこか」


「牢獄に繋ぎ直しておきましょうか、この節操なし」


 少女を品定めするような眼差しを向けるレクシスにパトリツィアは脳天に向かって拳を叩き込んだ。


「……だけど、あの様子から見るにあの子がさっきの男に香を焚いたみたいだな」


 頭をさすりながら呟く

 口から漏れたその言葉の響きに気づいたパトリツィアがレクシスに訊ねた。


「気に入らないようですね」


「気に入らないさ。そして、向こうもこっちが気に入らないみたいだ」


 パトリツィアが目を向けると、こちらに向かってずんずんと歩いてくる少女の姿が見えた。燃えるような赤毛と褐色の肌は南部の血が濃いことを表している。まだ背丈は小さいが、瞳に宿る光は強い覚悟とこちらに対する非難が見えた。


「──もし。あなた方は何者ですか。あたしが焚いた清めの香を洗い流して、彼の者の安息を邪魔したんですよっ!」


「やっべ」とレクシス。

 幼い響きの糾弾の声が飛んでくる。

 それを、パトリツィアの背後に隠れて耳を塞ぐことでやり過ごした。


「……ちょっと。何で私の背中に隠れているのです?」


「恥ずかしいんだ。彼女はとても美しいからね」


「本音は?」


「ツィタル正教の治癒師と話したところで会話が成立しないから。あいつら神の御心やら神の加護やらばっかだし」


「私も一応ツィタル正教の信徒ですが」


 この国では人口の七割がツィタル正教の敬虔な信徒である。


「愛しいパトリツィアはあいつらとは違うさ。うんうん」


 パトリツィアは身体をくるりと回して隠れているレクシスを少女の前に押し出した。

 しぶしぶレクシスは少女の前に進み出る。


「もしっ! あたしの目を見てください!」


「あー」


 目を逸らす。


「苦しむ者の身体に刃を入れるようなことまで……我らの主はあなたを許しません!」


 そのまま言い連ねようとする少女の口を、レクシスは人差し指で塞いだ。


「むぐっ⁉」


「落ち着けって」


 今にも噛みついてきそうな子犬を想起させる姿を抑えて、うんざりと口を開く。


「君たちツィタル正教に対する文句は山ほどあるんだけどさ。救える命を救うことの何がいけないんだ?」


 レクシスは眉根を寄せる。


「人の身体を見るような治癒師なら分かってたよね? あの男、患部に膿が溜まっていた。ちょっとの施術で良くなることを、君ら教会の人間はそのまま放置して破傷風で死なせるところだった。……それを助長するように清めの香なんか焚いちゃってさ」


「それでもっ! 治すべき人に刃を向けるなんてことあってはならないんです! 人を創りし我らが主に対する冒涜ですよ⁉ 『我ら治癒師。人に寄り添い、苦痛を除き、魂を清める』──治癒師ならば常識でしょう! 苦痛を除くことがあたしたちの使命なのに、それをあなたはっ……!」


「だから何? 表面的な苦痛を除くことが君の仕事ってわけ? 苦しまなければ勝手に死ねと?」


 ぐいっと、少女の顔に詰め寄る。


「っ」


「魂やら苦痛やら──君ら、本当にやる気あるの? 君たちの立場なら器具も時間も十分にあったよね? 消毒程度出来たはずでしょ? それとも何? そんなにあの人のこと殺したかったの? 救える命を救わないのは人殺しだと思わないの?」


「…………」


「あるかどうかもわからない魂より、目の前にある傷だらけの肉体が見えないわけ? これだから治癒師は嫌なんだ」


 矢継ぎ早に言葉を浴びせかけられて、少女は肩をわなわなと震わせる。

 肩を叩かれた。振り返るとパトリツィアが険しい顔でレクシスを睨んでいた。


「……なにさ」


「言い過ぎです」


 少女は真っ赤に染まった顔をぷくりと膨らませると。


「う」


「……う?」


 一瞬だけ耐えた。一瞬しか耐え切れなかった。


「うわぁああああああん、うぇええええええええええええええええええええ‼」


 泣いた。それも泣き叫んだ。

 少女はへたり込んで大声をあげて泣き始めた。


「へ……?」


 思考が空転して、真っ白に染まる。


「あたしだって、あたしだってあの人を助けたかったのにぃ‼ うぇええええええええ‼」


「いや、あの」


「うぁああああああああああああああん‼‼ ばかぁ、あほぉ、死んじゃえぇ‼‼」


 村中に響き渡るほどの大声で泣き叫ぶ彼女の声に、何事かと続々と村人たちが集まってくる。

 パトリツィアが険しい目でレクシスを睨みつけた。


「今の言動、八つ当たりでしたよね。ツィタル正教の末端も末端──見習いの彼女に、何もあそこまで言う必要はなかった」


「……それは……そう、だけどさ」


 だけど、悪いのは向こうだろう?


「反省しているのなら、謝ってください」


「……善処する」


「子供ですか」


 パトリツィアが頭を押えてやれやれと首を降る。


「とりあえず、この場は私に任せてください。レクシスは目立たないような場所に」


「……なんでさ」


「かたや不貞を働いた余所者で、もう片方は身分の保証されているツィタル正教の人間です。事情を知らない村人たちの取る行動は予想できるでしょう? ……もう一度牢に繋がれたくなかったら早く逃げた方が良いですよ」


 レクシスの顔が強張った。


「げぇ……じゃあ、頼むよ。ほとぼりが冷めたら知らせてくれ」


 頭をかきながら薄暗い裏路地へと迷うことなく姿を消した。

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