6.『最後の医者』

 周囲に集まってきた村人たちに、パトリツィアは国から発行された監視官の証の紋章を見せることで、何とか説得することが叶った。

 未だに涙ぐんでいる少女を座れる場所まで案内し、そのまま並んで座る。


「あなたは、いったい何者ですか? その制服……こんな村に監視官なんて……」


 少女が聞くと、パトリツィアは顔を向けて安心させるようににっこりと笑う。


「私はパトリツィア・カールステッド。ワインバーグの帝都から来た役人です。監視官とも呼ばれていますね」


「もしかして、あの人を監視しているんですか……?」


「彼はレクシス・グラマン。まあちょっとした事情があって……そうだ。あなたの名前は?」


「……忘れてました。あたしはキノミです。ここから少し離れた街の教会の治癒師……その見習いとして勤めてます」


 少女はパトリツィアの質問に慌てたように答えた。


「まだ小さいのに偉いですね」


「えへへ……」

 

 真っ赤に泣きはらした目が照れたように細くなる。

 背丈はまだ小さく、幼い。しかし、村に治癒師の代わりとして派遣されてくるのだからそれなりの実力はあるのだろうとパトリツィアは当たりをつける。


「先ほど扉の前で何を口論していたのですか? 遠目から見て、患者の奥方とお見受けしましたが」


「あまり、楽しいやり取りではありませんよ。ツィタル正教のやり方には我慢できない……とか、そんな色々なことです。それで、ツィタル正教とは違った治癒師を呼んだとか……」


 キノミは目を伏せる。今まで村人たちには頼りにされてきたのだろう。だが、人は命あってこそ信仰を知る。夫の死の恐怖がこれまでの信仰を破ったのだ。


「レクシスのことですね。彼の人を癒やすすべは、ツィタル正教のやり方とは根本的に異なりますから」


「……窓から少しだけ見えたんです。苦しんでいる人に、あの人は刃を突き立てた。それでカルロさんはとっても痛そうな声をあげていて、見ていられませんでした……!」


 キノミの瞳に激情の色が浮かぶ。


「あの人は何なんですか! 急にこの村にやってきて……それもあなたという監視官まで一緒に……! 絶対ろくな人じゃないですよ、見ればわかります!」


 またか。

 表には出さず、小さな息を吐き出した。ここで対応を誤ればこの村にはいられなくなる。医者に対する差別と迫害……慎重に言葉を選ばなけれなならない。


「あの人は、『医者』です」


「『イシャ』、ですか? 治癒師ではなく?」


 小首を傾げている。


「はい。彼は、『神の懲罰リャルム』で滅んだ医学の聖地──アルミオシオンで生まれた最後の医者にして、その生き残りです」


「イガク……」


 キノミが口の中で転がした単語に、パトリツィアは初めてその単語のことを知った時を思い出す。幼き日、まだパトリツィアが監視官でなかった時のことを。


「数十年前、ワインバーグ全土でかつてない規模の病が流行ったことは覚えていますか?」


「は、はい……病にかかった人は、全身に赤い発疹が浮かんで、熱と昏睡で死に至る……伝説の病『アルケアの落日』のことですね。治癒師を志すものなら誰も知っています!」


「その病を鎮めたのが、医学の祖であり、レクシスの師である老医──シミュラ様なのです。アルミオシオンの病理学では、『天然痘』と呼ばれる病です」


「え……でも、あの病は当時の首席治癒師で聖女の異名を持つアルンテラス様が邪なものから結界を張り、この地を守り抜いたと……」


「……言い得て妙ですね」


「え?」


 キノミは眉をひそめる。


「病にかかった者を地下牢へ閉じ込め、国中の街に殺虫と殺鼠、頭髪と体毛を剃ることを強制し、かつての帝都を捨てさせたのです。……それを主導したのがシミュラ様でした。アルンテラス様は、シミュラ様の一番弟子であるとレクシスから聞いています」


 パトリツィアは下唇を舐めた。酷く乾燥している。似合わずに興奮しているみたいだ。冷静になれと、パトリツィアは己を律する。


「シミュラ様とアルンテラス様はいつしか反目し、人を癒やすすべは、『医術』と『治癒術』の二つに別れました。医術はシミュラ様が建てたアルミオシオンという閉じられた街で発展し、アルンテラス様の治癒術は帝国全土に広まりました」


「……それでは」


「アルミオシオンは『神の懲罰リャルム』とあなたたち教会が名づけた病によって滅んだ。最後の生き残りが彼──レクシス・グラマン」


 呆然とするキノミにパトリツィアはうっすらと微笑んだ。


「私は、帝室からの命令で医者の生き残りであるレクシス・グラマンを縛り、その身を護るために付き添っているのです」

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