7.『浄化』

 すすり泣きが聞こえる。

 曇天の元で、村人たちが集まって一つの家の周りを囲んでいた。皆の顔は一様に重苦しいものだ。濃密な香の匂いが辺り一帯を覆っている。


 レクシスはそんな様子を人の輪の外から眺めている。苛立ちに歪んだ頬の筋肉をぴくりと痙攣させた。傍に立つパトリツィアがちらりとレクシスの顔を覗き見る。


「一週間前に施術を施した彼は、眠るように息を引き取ったそうです。今朝のことでした」


「当たり前だ。あの男は、あれから何一つ口に入れなかった。何も食べなかった……!」


 レクシスは地面に転がっていた小石を思いっきり踏みつける。刺すような痛みが足裏を襲うが、今のレクシスには、どうでも良かった。


 説得は、出来なかった。それどころか食べ物さえあの男は口に運ばなかった。三日目の晩には教会の人間が男の邸宅の周りをうろつき始めたため、出入りすることも叶わなかった。


 そして、男は当然のように栄養失調による衰弱死に至った。

 ここ一週間の事だ。レクシスは、男を救えなかった。


「獣に噛まれて熱を出していたんだぞ……何も食べなければ身体は弱る一方だ……!」


「魂の穢れを危惧したのでしょう。魂は聖別されていない食物を食べることでも穢れます。……あの家に聖別した食物を買うだけの金はなかったのでしょう」


 ツィタル正教の信徒は教会で聖別されていない食物は基本的に食べない。だが、教会での聖別には金がかかるのだ。貧しい村ではそんな余裕はなく、人々は聖別されていない食物でも食べている。実際に、獣に噛まれるまであの男もそうだった。

 だが──


「聖別……聖別だと……? ツィタル正教の金儲けの手段が人を殺したんだな……⁉」


「レクシス」

 

 彼女はどこまでも冷静だ。


「一度深呼吸することをおすすめします。深呼吸は精神の高揚を沈めます」


「深呼吸? 僕は極めて冷静なつもりだが? ……治癒師は何をしていたんだ? 偉そうに僕を叱りつけたツィタルの治癒師は、この一週間何をしていたッ‼」


「落ち着いてください。彼らのやり方には彼らなりの理があります。『良く見るように』と、シミュラ様にも言われたのでしょう?」


「──」


 ここで先生の名前を出すだなんて。

 くそっ。


 ガリっ、と奥歯を噛みしめる。


「……命を無為に消費することの、どこに理があると言うんだ」


 その声が聞こえたかのように、人の輪が割れた。その内から数人が歩み寄ってくる。

 白いフードを被った少女、キノミ。その周りを囲むのは鉄杖で武装した教会を守る兵だった。一人の兵が進み出て、鉄杖を地面に打ち付けた。


「レクシス・グラマン。この地を統べる領主ライアス・ラフーゼ殿から召喚の令が出た。我らと共にオウルベルクの街まで参られよ」


 兵は書簡を広げた。そこには赤い印で確かにこの地の領主の紋様が示されている。


「……これは?」


「医術とはいえ、刃を領民に振るった罰か、はたまた教会の治癒師の名誉を傷つけた罰か……私には分かりません」


「南部に入って早々にこれか……ったく、神様とやらは随分と僕が嫌いらしい」


「行きましょう。領主の召喚を断れば、南部での旅の安全は保証されません」


 長いため息を吐く。


「……そんな綺麗なお顔で睨むなよ、愛しいパトリツィア。いいさ。丁度あの街に用があったところだし、領主にも伝えて置かなければならないことがあるからね」


 レクシスは旅荷物を引っ掴んで兵の後に続いた。パトリツィアが影のように付き添う。


 そんな彼らを、キノミは見ていた。


「……ツィタルの治癒師は何をしていた、か」


 レクシスの叫んだ言葉を、小さく呟いて反芻する。


「っ、」


 少年の底冷えするような眼差しを思い出す。

 小さな拳を握りしめてキノミは後を追いかけた。

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