第四章『約束』

36.『地下室の中』

「確定ってことで、いいのかな」


 レクシスは両手を上げて抵抗の意思がないことを示した。

 背後に立ち、レクシスの首元に剣を当てた従者は頷いて肩を強引に押す。


 レクシスはカルデラン商会の建物の前にいた。そして、先ほど商会の従者に命を握られたところだった。パトリツィアはキノミを休ませるために領主の館に置いてきた。不注意といえばそれまでだが、まさかジェラルドがここまでの暴挙にでるとは予想できなかった。


 震える指先をぐっと握りしめて、レクシスは口の端をつり上げる。

 弱気になるな。


「案内してくれるよね?」


「オリンシア代表がお待ちです、グラマン殿」


 感情の籠もっていない言葉に従い、レクシスは廊下を進む。

 やがて、一つの小さな部屋に入った。

 灰色の石材で組み上げられた殺風景な部屋だった。廊下にあるような調度品もない。金属製の椅子と机、そして試験管が数多く並べられている。


「ここで薬を作ってください。我々のために」


「……ジェラルドはどこだ?」


「代表は多忙のため、いらっしゃいません」


 淡々と告げられる言葉に、レクシスは振り返る。

 大柄な身体の従者が二人。一人は武装している。


「どういうことだ! ジェラルドのやつは初めから、僕を利用するつもりだったのか⁉」


「……」


 何も答えない。


「襲撃者に馬車を襲わせて、教会の治癒師も殺して……そうしてばら撒いた病を、商会の薬の力で治す……そういう計画だったのかっ! 答えろよ、カルデラン商会‼」


 ジェラルドにも怪しいところはあった。だが、彼はここまでするような人物ではなかった。

 変わってしまったのか。レクシスが北部を離れて旅をしている間に、そこまで。


「聞いてんだろ、ジェラルド‼」


 吠えるレクシス。従者たちは耳を抑えて顔をしかめる。


「うるせぇな、こいつ」


 ぶぉん、と。筋肉が盛り上がり、レクシスの頬を打った。

 視界が真っ白に染まる。ぽきり。鼻の骨が嫌な音を立てた。鼻腔に血の臭いが広がる。


 衝撃。

 レクシスは吹き飛ばされて、壁に叩きつけられる。

 肺の空気が一瞬で抜けて、全身の骨が砕かれるような痛みが走る。


「っ、……ああああああああああっ⁉」


 痛みに叫んでもだえ苦しみ、やがて、息を荒げるに留まる。

 頬を拭うと血がべっとりと手に付着していた。殴られたときに額が切れたらしい。そこまで大きな傷ではないが、血は流れ続けて随分と派手に見えた。


「お前は意見する立場じゃない。薬を作れ。それが、お前が助かる唯一の道だ」


「……どうして、こんな……」


「悪いことじゃないだろう? 薬を作ることは街の人を助けることにも繋がる。お前の目的と一緒だよ」


「っ……」


 睨みつける。しかし、自分よりも体格の大きい男に視線を向けられるだけで萎縮してしまう。呼吸が苦しい。頭が痛い。

 項垂れると従者たちは自分たちの要求にレクシスが従ったように見えたのだろう。

 一瞥をかけると、部屋から出て行った。

 丁寧にもガシャンガシャンと重苦しい金属音が扉から鳴る。つまり、鍵を閉められた。


「……ちくしょう」


 血塗れのレクシスは、一人佇んで顔を覆った。


 苛立ち紛れに金属製の扉に蹴りを入れる。……足が酷く痛んだだけだった。

 扉を背にして、蹲る。

 腹が減った。そういえば起きてから何も食べていない。殴られたところも、頭も痛む。そもそもエンィルエンザの症状が酷い。関節痛に筋肉痛、扁桃腺の痛みに喉の痛みが同時にやって来る。最悪の気分だった。


「……くそ」


 とりあえず部屋を調べることにする。

 部屋には様々な創薬の材料がある。ラベルまで丁寧に貼られている。レクシスの知らないものまであった。カルデラン商会はここまで医術の研究を進めていたのか。薬学はレクシスも学んではいるが、専門的な知見はない。当然、ここにある材料を使って爆薬なんて合成できない。

 色々と手に取ってみる。ラベルには達筆な文字が並んでいる。


 ──ホルマリン──硫酸プロタミン──チメロサール──アルミニウム塩──


「……この文字と、筆跡……どこかで、覚えが……」


 ふと、奥を覗くと棚の奥に薬瓶があった。それを手にとってラベルを見る。

 

 ──エンィルエンザ治療薬オセルタミビルリン酸塩


「っ」


 立ち上がろうとした、その時だった。

 眩い光が金属製の扉から何重にも重なった線が刻まれた。金属の絶叫にきらめく火花。

 やがて、線は扉全体に及び、扉そのものを粉微塵に粉砕する。

 煙を上げる扉の残骸を踏みつけて、パトリツィアが立っていた。その手にはつや消しで黒く塗られた剣を携えている。


「……うっそだろお前」


「助けに来てあげたのになんですか、その言い草は」


「いや、だって……え、嘘でしょ」


 嘘だといってくれ。化け物扱いしたくない。


「私はここにいますが」


 恐る恐る手を伸ばしてパトリツィアのほっぺに触る。むにむにする。


「本物だ……」


ほんなことりょりもそんなことよりも


 レクシスの頬を引っ張る手をパトリツィアは丁寧に引き剥がした。


「早く逃げますよ。ここまで来るのに色々と無理をしているので、すぐに警備のものに悟られるでしょう」

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