アルミオシオンの医術師
紅葉
序章
1.『銀色の夢』
ぱちり、と炎が爆ぜる音がした。
闇に沈みかけていた意識が戻ってくる。古い切り株を裂いて作った焚き火がぼんやりと目を細めている少年の顔を照らし出した。森の中。葉のさざなみがこの場所に届いてくる。
暗闇は、ずっと向こうまで続いていた。
「本当に南部に行くのですか?」
声が聞こえた。
隣には腕いっぱいに草花を抱いた女がいる。
背は少年よりも長身であり、刃のような雰囲気を身に纏っていた。一つにまとめた黒髪は背中に流して、こちらを赤色の瞳でじっと見つめている。黄金の刺繍が入った上着を外套のように羽織って、腰には細糸に繋がった剣鞘を帯びていた。
「まだ言っているのか。もう耳にタコができるほどに聞いたさ。君の心優しい忠告は」
「なら、今すぐ引き返すべきです。南部はツィタル正教の勢力が強いですから」
真面目な忠告。だが、少年はのんびりと欠伸をして聞き流す。
「答えは変わらない。僕は南部に行く。もう寒いのはうんざりなんだ。君も寒いのはもう嫌だろう、パトリツィア?」
女は手に抱いた草花を纏めてどさりとそばに置いた。
「……レクシス」
「心配してくれるのか? それよりも、君自身を大切にしないと。ほら、証拠に指の先が少し切れている。綺麗な手が台無しだ」
手を上向きに広げる。確かに指の先が切れていた。痛みもないため、切れているかどうか分からなかったほどだ。
少年は指先の傷を迷うことなく自分の口に含んだ。
「ひゃっ!」
声を上げて飛び退いた。それを見てレクシスは声を殺して笑う。口から吐き出した赤色の液体は吸った血だ。
「獣が互いの傷を舐めるのには相応の理由がある。人間同士でやると少しエロティックなのが問題だ。恋人同士ならば訳ないけどね?」
パトリツィアは剣に手を添えてぎろりと睨む。
「マジで死んでください」
「あ〜あ。こんなに良い男が誘ってんのに何が不満だよ。もったいないもったいない」
「齢十五の子供が何を言っているのか、理解に苦しみますね」
それを聞いたレクシスは明らかに不機嫌そうに顔をしかめた。
「子供扱いしないでくれ。北部の氏族だと十で成人するところもあるんだから」
「その言い訳じみた言動、子供以外の何者でもありません。相応の扱いをされたかったら、まずはその言動と礼儀作法から直すべきでしょうね」
「あー、はいはい。分かってますよ」
レクシスは腕を枕に寝そべった。むすっとした声が聞こえてくる。
「じゃあ、子供の僕はもう寝るから、君も勝手にしてくれ。バカ真面目に一晩中剣を振り続けてもいいし、明日やる薬草の仕分けを今やってくれてもいい。ただ──」
そこで言葉を区切り、
「──『医者』の立場から言わせてもらえば、君も早々に寝たほうがいい。睡眠は人体を健全に保つ機能なんだから」
直前までの仕草に似合わない強い口調だった。
そんなレクシスを見下ろして、パトリツィアは口を開く。
「『医者』ですか。ツィタル正教下でその『医者』がどのような扱いを受けているか、貴方もご存知でしょうに」
「良くて迫害、悪くて火炙りってことか。ふぁあ……ちょうどいいや……最近寒いし……」
欠伸を一つ。そのまま眠り込んでしまった少年を見やって、パトリツィアは焚き火のそばに座り込んだ。
眠っている少年の顔を観察する。
軽薄な言葉を吐き出す口は閉じられて、皮肉にひん曲がった唇も素直に年相応になる。焚き火に当たったことで汗ばんだのか青みがかった前髪が数本額に張り付いていた。
「……アルミオシオンを、貴方はまだ忘れていないのですね。貴方の故郷……貴方が始まった場所」
聞こえずとも、囁く。
「あの地獄から生き残ってなお、医者であろうとするのですか? ──レクシス・グラマン」
この少年──レクシス・グラマンは、まごうことなき天才と呼べる人種である。医術の祖と呼ばれた人物から直々に教えを受けて、その全てを叩き込まれた天才医者だ。十五歳という年ながらにして、帝国からの永続監視がつけられていることからも伺い知れる。
少年はただ眠っている。
目じりが僅かに濡れていた。
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