20.『交渉』
商会の建物は、領主の屋敷とはまた違った様相を呈している大きな木造の屋敷だ。大通りに面しており、正面扉の前では昼間とは違った黒スーツの従者が待っていた。
こちらを認めると頭を下げて、扉を開ける。
レクシスたちが従者の案内に従って進むと、大きな部屋に案内された。
窓の外は暗いが、部屋は暖炉の火が照らしている。紋様豊かな飾り皿や獣の首の剥製などが壁に飾り付けられている。すでにテーブルの上に料理が並んでいた。
「遅かったな」
ジェラルドが従者を連れて歩み寄ってくる。相変わらず堅苦しい礼服姿だ。それもまた当然といえば当然だろう。商会の主たるジェラルド・オリンシアは相応しい格好を客人に見せねばならない。それは例え家族と親しげに呼ぶレクシスでも、そうだ。それにレクシスは抗病薬を商会に提供した人物でもある。
「遅くなって申し訳ありません、お義兄様。少々、領主の事情が複雑で」
「構わない。さあ、腰を落ち着けろ。まずは再会の盃を交わそう」
硝子のコップを手に、ジェラルドは腕を上げる。
レクシスもそばに置いてある酒瓶のコルクを開けて注いだ。
微かに黄色がかった透明な液体が注がれる。芳しい酒精の匂い。これほど上質なものは旅の間でも見たことがない。オウルベルクの物流を支配するカルデラン商会の片鱗だ。
飛びつくようにしてグラスに手を伸ばすレクシスだったが、パトリツィアはただ見ているだけだ。
「どうした? パトリツィアも飲め」
「いえ、私は飲んでも酔えませんから」
パトリツィアはグラスに注いだ酒から目を逸らして首を左右に振る。
「監視官がいくら酔えない身体だとしても、味は楽しめるだろ。……まさかジェラルドに遠慮してるのか? 小さい頃から一緒に過ごしてきた仲だろう」
「……では、少しだけいただきます」
「飲め飲め、パトリツィアの百樽伝説を復活させろ。あられもない姿を見せてみろ、三日三晩踊り狂って叫び散らしたあの──」
「止めてください!」
大きな声を出すパトリツェアに、レクシスは喉奥で笑った。
いつも落ち着いた様相のパトリツィアだが、酒関連でからかうと面白い反応が見られる。
監視官は帝国司法院の施術を受けているため、毒物などに耐性のある肉体を持っているのだ。そのため超人的な身体能力を持ち、酒に酔えない。
可哀想だとは思うが、酔えないということは二日酔いもなくなるということだ。
その点は羨ましい。
「随分監視官と仲がいいな、レクシス」
「四六時中一緒にいますからね。もう慣れましたよ。まるで恋人のように」
パトリツェアが明らかに顔をしかめる。
「……誤解を生むような発言は慎まれた方が良いかと思いますが」
向き直って、にっこりと笑う。
「そりゃあもう、寝食からトイレにお風呂まで、隅々までじっくりと観察されてそれはもう──」
「そんなことないですから事実を見失わないでください」
「あがっ⁉」足をぐりぐりと踏んでくる。
そんな様子を見ていたジェラルドが呟いた。
「……監視官は帝国がお前につけた首輪だ。それを忘れているわけじゃないだろう?」
「そうですけど、それ以前に一緒にアルミオシオンで過ごした仲間でしょう? 首輪だなんて、パトリツィアにそんなもの務まるとはとても思えないですね」
ぴょんぴょんと片足で跳びながら器用に首を振った。
「それよりも、お義兄様についてる監視官はどこなんですか? 商会の主ともあろうお方が、帝国に監視官を派遣されていないとは思えないんですが」
「今は別室に待機させている。来月始めにはこの街から発つだろう」
「はぁ……せっかくこんな凄い酒があるなら、皆で飲んだほうが盛り上がるのになあ……」
監視官は帝国の目であり、手であり、剣でもある。
各地の有力者の間を周り、帝国に反旗を翻していないか確認することがその責務。レクシスに常時同行しているパトリツィアのような監視官の方が珍しい部類だ。
「そういえば」
レクシスは身を乗り出した。
「お義兄様に一つ聞きたいことがあるんですけど、抗病薬の量産ってどうやっているんですか? 調合の仕方を紙に書いて渡しただけで具体的なやり方は教えてもらっていないような気がするんですけど」
「それを知ってどうするんだ? 成果は出ている。ならばお前の知るところではないだろう?」
「いや、そうじゃなくて……」
酒を飲む。強い酒精が脳を麻痺させていくが、構わずに続ける。
「薬を作るってなると、やり方が分かっていても簡単には作れないんですよ。ぶっちゃけ薬の成分だって、北部で育った薬草の成分ですし、南部で量産するには心もとないっていうかぁ……」
酒を飲み干す。酒瓶からグラスに注ぐ際に、パトリツィアのため息をつく顔が見えた。
どうやら自分は酔っているらしい。どうりでジェラルドの顔がゆらゆら海藻のように揺らめいて見えるわけだ。
とりあえずもう一杯飲む。
シミュラ先生に酒はあまり飲み過ぎるなと言われたような気がしているが、『あまり』ということは少しなら飲んでもいいということだ。
つまりなにも問題ない。
「アルミオシオンには薬剤師っていう超有能な医者のオトモダチ的な存在がいて助かってたんですけど、もうみんな死んじゃってるしぃ、やっぱりぃ……仲良くなりたいなぁって」
アルミオシオンには医者や学者の他にも薬剤師という薬学や調合に長けた人物たちがいた。彼らは専門的な薬学の知識を蓄えていたため、医者たちには欠かせない存在だった。
外ではツィタル正教の芳香師や野良の薬師などが薬剤師の代わりとなるだろう。
「……監視官、あいつに水を飲ませろ」
「分かりました」
こちらにパトリツィアが歩み寄ってくる。
「酔い過ぎですよ、お水を飲んでください」
何を根拠にそんなデタラメを。
「ぼくは、よってなんかない……うぅ……」
「はいはい」
無理やり口に流し込まれた。清涼感のある水が一息に頭の中の酔いを吹き飛ばす。
ずきずきと内から痛む頭を振って。
「……お義兄様、アルミオシオンの薬剤師のような人たちに協力してもらっていますよね? 北部と南部とでは薬草の植生も違いますから、それを見極める人たちに抗病薬を調合する手伝いをしてもらっているんでしょう?」
「ふむ。断然話が分かりやすくなったな。やはり話の席に酒は不要か」
「お気遣いなく」
従者が酒瓶を取り上げようとするが、レクシスは酒瓶を抱きとめて断固拒否する。
パトリツィアは再度ため息をついた。
「アルミオシオンが滅ぶ際に医者も薬剤師も大勢亡くなりました。私も一応の薬学はシミュラ先生から学んではいるものの、まだその知見は狭いものです。お義兄様が抗病薬の量産に頼るほどの、薬剤師と同等の知識を持つ人たちと繋がりを作っておきたい」
「それで?」
「予防薬の開発にも、その人たちの力を借りたいんです。きっと商会の利益になるはずです」
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