21.『陰謀の夜』

「……なるほどな」


 ジェラルドは一瞬考え込んだ後で頷いた。


「よかろう。考えておく。その者を招く前にお前の研究室を片付けておけ。手伝おうと扉を開けたら死体が並んでいる、そんな状況では誰もお前を手伝えん」


「ありがとうございます、さっすがお義兄様! じゃあよろしくお願いします」


 笑いながらもう一度酒をグラスに注ごうとしたところで、思い出す。


「そういえば、一人残った襲撃者──あーっと、死体じゃない方の人もこっちにお願いできますか? 彼に腕をくっつけてあげたいので」


「それは無理だ。許可できない」


「……? いやいや、お願いしますよ。あの人、私を殺そうとした襲撃者ですけど、助けてあげるって言ったら改心したらしいので。もっとちゃんとした治療を施さないと──」


「無駄だ。襲撃者は全員死んだ。一人生き残った男も私が殺した」


 ──。


 グラスを傾けたまま、レクシスはジェラルドを見る。


「……どうしてですか?」


「あの男はお前に向かって矢を射掛けた。それ以上でもそれ以下でもない」


 なぜそう淡々と答えられるのか。


「おかしいでしょう⁉」


 レクシスはテーブルに両手をついて立ち上がった。ふらついたが、椅子にもたれかかって何とか身体を安定させる。


「ジェラルド・オリンシアはそんな人じゃないはずだ! 身内に手を出されたから報復のために殺した? いいや、違う! そんな感情任せな行動を取らない人だ! 襲撃者が何のために襲撃してきたのか、そういった背後関係をしっかりと調べてから刑にかけるべきだった!」


 肩を怒らせるレクシスに対して、ジェラルドは冷めた目線を向けていた。


「レクシス、なぜ怒る? 奴はお前を殺そうとしたのだぞ?」


「だとしても、あの人は僕が助けると約束した患者だった!」


 ジェラルドは深く息を吐いた。礼服を身に纏った姿が一瞬、とても小さなものに見えた。

 熱くなった頭が冷水を浴びせられたように冷える。


「レクシス。私はな、もうこれ以上私から家族を奪う存在が許せないんだ……私の父と母は病で死んだ。そして、妹のガリテアもアルミオシオンと共にいなくなった……」


 ジェラルドはぎろりと目をレクシスに向ける。気圧されたように、足が半歩下がった。


「家族を奪ったものが憎い。……そうだろう、レクシス・グラマン。私は病が憎い。だが、病は殺せない。──だが、お前を殺そうとしたあの男はどうだ。憎い者を殺す理由が必要か? お前を殺そうとした、あの男は死ぬべきだ」


「……」


「お前は私の家族だ。たった一人の家族なんだ」


 ジェラルドはレクシスに歩み寄って、深く抱きしめた。

 レクシスは感情が複数個混ざったような引き攣った表情を浮かべていた。

 やがて、強張っていた身体から力が抜ける。


 ジェラルドの肩を軽く叩く。


「分かった、分かったから……もういいですから……くそっ、僕もあんたもだいぶ酔ってるな、こりゃあ……」


「──」


 腕を解く際に、レクシスはぴくりと身体を固めた。ジェラルドの顔をまじまじと見る。

 すでに元の仏頂面に戻ったジェラルドはレクシスから離れて、椅子に腰を下ろした。


「もう夜も遅いだろう? 宿はこちらで都合しておいた。監視官、宿に連絡を頼めるか?」


 パトリツィアがレクシスに向き直る。

 ジェラルドは首を振った。


「いいや、レクシスは私ともう少し酒を飲み交わす。監視官、君一人で向かってくれ」


「……レクシス」


「パトリツィア、心配するな。お義兄様は僕を取って食ったりしないって。後を頼むよ」


 二人の顔を見てから、渋々頷いた。


「少々お待ち下さい、宿に行ってきます」


 従者に案内をされて、パトリツィアは扉の向こうに消えていく。

 やがて、部屋にはレクシスとジェラルド二人だけが残った。


「……それで、パトリツィアがいない場所でしたい話というのは、なんでしょうか?」


 先ほど耳元で囁かれた内容。

 ジェラルドは真剣な表情で囁いた。


「レクシス、お前は帝国における医者の立場をどう思っている?」


「……どうしたんですか」


 急に何を言い出すかと思えば。


「ここには私とお前だけだ。自由に話せ」


 周囲を見渡して、誰もいないのを確認する。そして、大きく息を吸い込んだ。


「──ワインバーグ帝国なんてクソだ。みんな好き勝手にやって滅んじまえばいい。勝手に神に祈って勝手に死ね。……そう考えたこともあります」


「荒れているな」


「……当たり前です。施術をすれば背徳者、薬を出せば突き返されて、助けを聞けば牢屋行き。……正直パトリツィアがいなければ、この街に入るまで何十と死んでいた」


 レクシスはグラスに酒を注いで一息に呷った。身体の芯が一気に熱くなる。


「私は皆を助けに来たんです、なのに何で牢屋に繋がれなくちゃならないんだ? ツィタル正教の教義なんて知ったことか! ……なんて」


 怒鳴り散らした後で、一気に寒さが戻ってくる。

 ぽつりと呟いた。


「……だけど、皆が見るのはいつもツィタル正教の優しくて甘い治癒術です。医術はいつだって、最後の手段に成り下がる。ツィタル正教から外れた人たちが最後に頼る先が医術なんて……おかしいでしょう⁉ なぜ、不完全な治癒術の付属物にされなくちゃならないんですか⁉ シミュラ先生の医術は、医学は……とても素晴らしいものなのに……正しく用いれば多くの命が助かるんですよ!」


「レクシス、お前はシミュラ先生を信じているんだな」


「……捨てられていた僕を助けてくれて、拾ってくれた人。シミュラ先生は僕の命の恩人で、家族で、医術の師匠で、医学の先生です。……とても、大切な人だった。その人の業が貶められているのを、僕は我慢ができないんです」


 グラスの縁を丸くなぞる。硝子に反射したレクシスの顔は酷く歪んだものに見えた。

 人を救う医者には似合わない顔だ。

 まるで、そう──


「子供だな」


「……亡くした人を惜しむのに、子供も大人も関係ないでしょう。それでしたら、僕は子供のままでもいいですよ」


 これでも十五年生きてきた。パトリツィアなんかは二十数年生きて、人生の先輩としてレクシスを子供扱いしている。たったそれだけだ。数年と余り。それだけの違いに大人と子供の境界線が広がっている。

 この差は永遠に埋まらない。まるで虹の根本を探すような、そんなくだらない話だ。


「気にするな。子供の目はいつだって曇りなき真実を見通しているものだからな」


 ジェラルドはレクシスに向き直った。

 そして。


「──医術の立場を向上させる計画がある。聞いていかないか?」


 静かな声で、そう言った。

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