19.『医術師と治癒師』
時は矢のように過ぎて、気づけは日が沈んでいた。
屋敷から出たレクシスは、商会へ向かう道の途中にいた。
日が落ちたことによって、一気に寒さが増す。冷たい風の吹き抜ける中、レクシスは軽装のまま身を震えることもなく歩いていく。
「治癒師の診察は、どうでしたか?」
レクシスは答えなかった。
「マティアスくん、随分とキノミさんに懐いていましたね。読み聞かせをしたり、街の外のお話をしたり……レクシスの診察とは、随分と違いました」
反応を見せないレクシスに、パトリツィアはため息を吐いた。
「笑っていましたね。私たちの診察では、警戒を解かなかったのに」
「無駄が多い。それに危険だった」弾けたように口走る。「あいつは口と鼻を塞いでいない。それに患者の部屋に長く留まりすぎだ。もしも感染性の病であれば、限りなく危険だった」
「……ええ、そうですね」
「それに、患者との接触も多い。手を繫ぐことによる皮膚接触、抱擁を交わす必要は? 至近距離で本を読み聞かせて、その意味は? 本の消毒に、キノミの身体の消毒──消毒液の無駄遣いにもほどがある」
レクシスは立ち止まった。
「『病の種』も、キノミの診察では取れなかった。本当に少しの症状を聞き出せただけだ。血液の採取もしなかった……身体を治すなら、確実にこちらの方が優れていたはずだ……なのに……」
語気が段々と弱くなり、やがて空気に溶けて消えた。
笑顔を見せたのが、治癒師の方だった。
それがたまらなく悔しかった。
医術は万能の技ではない、とはシュミラの言葉だ。
今まで医術が治癒術に代わって人に受け入れられなかった原因を垣間見た気がした。
医術も、医学も、人にとって冷たすぎるのだ。
では、人の業に頼ることなく、神に全てを任せるあちらが正しい人を癒やすすべなのだろうか?
──。
何を考えている。
違う。断じて、そうではない。
神様とやらは人を助けちゃくれない。人の命を直接的に救ってくれない。助けてくれるとしても、それは全てが終わった後だ。確認する方法はない。それでは意味がない。人を癒やすすべは、そうであってはならない。
どうすればいい?
どうすれば、医術を受け入れてもらえる? そもそも受け入れてもらう余地など、本当にあるのか?
長い対立の歴史。差別と迫害、ツィタル正教。治癒師の台頭。アルミオシオンに医学と共に、追い立てられて閉じ込められた。アルミオシオンが滅んだ今、レクシスは真の意味で孤独になった。帝国は、医者の最後の生き残りを警戒するように監視官をつけて泳がせている。
どうすれば、いい?
「レクシス、大丈夫ですか? 顔色が……」
「気にしなくていい。自分の身体は、自分が一番分かっている……医者なら、なおさらだ」
酷く掠れた声が出た。
頭の中に鈍痛がある。ずきずきと、レクシスを責め立てるように痛む。
──命は、幸せになるためにあると思うんです。
レクシスの頭には、キノミの言葉がずっと渦巻いていた。
頭の中が揺れるように痛む。それを抑えて、レクシスはパトリツィアに向き直る。口元を緩ませて笑みを作った。
「商会へ急ごう、パトリツィア。ジェラルドが待っている。遅れたら、何を言われるか分かったもんじゃないからね」
「はい、分かりました」
静かに言う。まるで何事もなかったかのように。
パトリツェアはこんな自分をどう見ているんだろうか。世の中でもがく、弱弱しい子供にでも見られているんだろうか。だとすれば、嘲笑? 憐憫、哀れみか?
これ以上、自分を見ないでくれ。
パトリツィアはぽつりと呟く。
「冷えますね。南に歩いてきたとはいえ、まだこの地方では夜は冷えるみたいです」
「……確かに」
突然なんだ。
「マフラー、巻きますよ」
「別に構わない。君が巻くんだ」
「貴方が風邪をひいたらオリンシア代表に怒られてしまいます。それに、風邪をひいた貴方を私は見たくありませんから」
パトリツィアが歩きながらマフラーを巻いてくれる。薄暗い青色の毛糸で編まれた素朴なものだった。この街ではこれよりも色の薄い生地を良く見かける。小麦色の生地だ。毛布やら服やら色々と使われている。
よほど安く、大量にどこぞの商会が仕入れたのだろうか。
「毛糸じゃないな……でも、温かい。君がこんなものを買ったなんて知らなかった」
「木綿ですよ。南部では動物由来のものはあまり使わないので」
流行りにあやかったものを買うなんて、パトリツィアにも町娘らしいところがある。上手く働かない頭でからかう材料を巡らせていたところ。
「前回の村で去り際に貰ったものです。貴方が施術した男性がいたでしょう? その奥方から貰いました」
「だけど、あの男は救えなかった」
「承知の上でくれたものです。施術をしなければ苦痛の中で命を落としていたかもしれない。だから、別れの時間を作ってくれた貴方に感謝をしたいと」
「……」
そんなこと言ったって。
「だから、文句を言わずに受け取ってください」
レクシスは大きく息を吸い込んだ。
冷たい夜の空気が熱を帯びた身体を覚ましてくれるような気がした。
「行きましょうか、レクシス。月は早々と動いてしまいます。待ってくれません」
「……随分と気の早い月だ。……ありがとう、楽になったよ」
「そういうものですよ」
パトリツィアはゆっくりと微笑んで、レクシスの鼻の頭をちょこんと小突いた。
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