30.『未来へ繋ぐために』

 オウルベルクの夜は明るい。

 石造りの建物の窓から漏れ出す色とりどりの生活の灯りが街を照らし出す。


 夜はこれから訪れる寒気に備えるように、人々は厚手の服を着ていた。

 小麦色の生地は、聞いたところによるとカルデラン商会からこの街に卸されたらしいとのことだ。厚手の生地なので大方北部のものだと思うが、ジェラルドがそこまで衣服を大々的に取り扱うとは予想外だった。


 今までカルデラン商会は、レクシスから受け取った薬を量産して富を築いていた。代表が義兄ともあり、レクシスとは緊密な協力関係にあったのだ。

 しかし、他の事業もやり始めたとなると、商会の後ろ盾を失うかもしれない。医術の未来の可能性を早く示さねばならない……。


 と。ここまで考えて。


「美味しそうですね」


 パトリツィアの言葉で、思考を切り替える。ずきりと痛みが走る。……最近は特に頭痛が酷い。それに、何だかぼんやりと夢を見ているような気がしてくる。

 頭を振る。

 巻き貝の身にトマトペーストをたっぷりと塗りつけた料理が、目の前で湯気を上げていた。オウルベルクの中央大通りに面しているレストランは大衆向けとは言い難いものの、比較的安価で趣向を凝らした料理を楽しめる。付け合せの根菜のスープも素朴な味わいだが、こんな寒い日には身に沁みるものだ。


「どうしましたか?」


「いや、少し旅立ちの頃を思い出した。あの頃は、こんな食事は夢にも思わなかったな」


 レクシスは透き通ったスープに映る自分の顔を見つめる。微かな香辛料の匂い。そして、色濃く隈が刻まれた目元をぴくりと揺らす。


「その食事に見合うだけ、人々の命を救ってきただけですよ」


「……そうかな?」


「普段の自信はどこに捨てたのですか。当たり前でしょう」


 パトリツィアはテーブルの向かいからそっとレクシスの手の甲を撫でてきた。思わず力が入って握ってしまう。今回は拒絶されるようなことはなかった。少し意外だ。

剣を振る硬く、ざらりとした手のひら。潰れたたこが何重にも重なっているのが感触でわかる。レクシスとは違う意味で人を守る手。レクシスは、この手が好きだった。握っていると勇気が出る。


「……僕は、人の命を救う取り決めをするとき、一つだけ先生の教えを破っているんだ。嘘をついている」


 レクシスは両目を軽く閉じて、しばらく黙る。微かにまぶたを震わせながら、開いた。


「医者は、安易な慰めはしてはならないんだ。安易な慰めで目を逸した物事は患者にも、巡り巡って自分にも返ってくる」


「レクシスは、違うのですね」


 ゆっくりと頷く。


「僕が命を救うときには、施術や薬の副作用を話した上で……絶対に命を救って見せるって、約束している。僕が関わる全ての患者と約束を交わすんだ」


「それは……」


 分かっている。


「うん。治る見込みがなくとも、言っている」


 店を見渡す。人々は皆やけに身が軋むような咳をしている。微かに香る炭火の匂いのせいだろうか。店内の喧騒がやけに耳に残る。


「なぜ……と問うのは愚問ですね。貴方は、そういう人です」


「……キノミと話していて、治癒師がこの国で重用されている理由が分かったような気がするよ。彼らは……患者に希望を与えるんだ。ツィタル正教とも結びつけて、死の恐怖を和らげて、生きやすいようにしている……そう見てて感じた」


 例え、真実を告げても心は何も納得しないように。レクシスがガリテアを失ったことを何処かで認めきれないように。


「治癒師にそのような側面があるのは確かです。死の恐怖はどのような勇猛な戦士や高名な学者でさえもあるもの。精神衛生の管理は治癒術のほうが優れているとシミュラ先生も言っていました」


 知らなかった。でも、思えば確かにそうだった。


「そっか……そうなのかも……」


 再び深く考え込む。

 人々は、身体を治すことを望んでいるわけではなく、心を癒やすことを望んでいる。

 治癒術の根本が見えてきた気がした。ゆえに治癒術が広まって、治癒師が台頭したのだ。


「……人々の心を動かすよう変えなければ医術の未来はない、か」


 無意識に言葉が口から出ていたのだろう。


 ふと、気がつくと右後ろの席からパチパチと小さな拍手が聞こえてきた。

 振り返ると、男の顔が見えた。色の薄い赤髪を長髪に束ねて、首後ろに揺らしている。薄い唇と褐色の肌は南部の血を如実に感じさせた。


「素晴らしい志だな。医術にここまで造詣がある若者を見ると帝国の未来は明るいものになるだろう」

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