38.『もう一人の監視官』
ジェラルドは苛立たしげに机をカチカチと爪で鳴らしていた。
商会が騒がしいと思ったら、支部の建物は半壊。雇った護衛は半殺し。何が起きたか問いただしてもショックのせいか何一つまともな答えが返って来ない。……間違いなくレクシスについていた監視官パトリツィアの仕業だ。
部下にレクシスの対応を任せたことが間違いだったのか。
レクシスはこちらを憎悪のこもった眼差しで見つめていた。
まるで、ジェラルドが一線を超えてしまったことを非難するような眼差しだった。
ノックの音。
「……入れ」
部屋に入ってきたのは、黒い基調に金色の刺繍を散りばめた外套を羽織る監視官──パトリツィアとは違う、ジェラルドの元に派遣されてきた監視官だった。
色素の抜けた赤毛に、浅黒い肌。肌には皺が刻まれており、相応の年を重ねていることを示している。
老人と形容してもおかしくはないその姿。
名をグレゴリーという。遠い時代から帝国に仕えてきたという監視官。
彼は恭しく膝をついた。
「何か御用でしょうか、オリンシア殿?」
「弁明は?」
「……仰っている意味が良く分かりません」
「とぼけるな。私は、なぜレクシスに手を出したのかと聞いているんだ」
眉をひそめる。
「あいつに手出しはしないようにと厳命しておいたはずだぞ! レクシスはたった一人残った私の家族だ!」
「計画が露見する恐れがありましたので、少しばかり強引に進めました」
「……っ、考えの足りない阿呆どもめ」
ジェラルドは立ち上がってつかつかと監視官の前に歩み出る。
「私は医術の発展と、このカルデラン商会の成長を願って、お前の計画に従っているんだ。……私の商会は立ち上がるのが遅かったのか、不平等な契約、不当な扱いを受けてきた。それゆえにレクシスの開発した医術の薬を売るほかなかったのだ。──それはレクシスも同じだ。アルミオシオンが滅んだがゆえに、権力争いに明け暮れて何も進歩していない治癒師どもに医術は、不当な扱いを受けて食い散らされている」
目の前の監視官を睨みつける。
「その解決策があると門戸を叩いたのが、先月だったか。──グレゴリー監視官?」
「……」
老人は何も言わない。まるで彫像のように俯いている。
「あの時、お前が私に伝えた計画はどのようなものだ。答えろ。……帝国に逆らう監視官を匿ってやっているのだ。答えないとどうなるのか、分かっているだろうな」
ゆっくりと口が開いた。
「北部の風土病である銀糸病を南部へ持ち込む。その足がかりとしてオウルベルクの街を踏み台にする……」
「──その過程で、レクシスは銀糸病の薬を作り、私の商会はそれを売ることで帝国での地位を確立する。医術を扱うレクシスは帝国を救い、救世主となる……そうだったな?」
「はい」
「そのために、私はお前の言う作業道具やら人材やらを仕入れたわけだ」
北部の氏族と交渉を繰り返し、譲ってもらった数多くの古着。帝都郊外の暗黒市から高値で雇った用心棒の集団。
ジェラルドは監視官の計画に沿って協力してきた。いくつもの犠牲を払い、全ては商会の成長と家族の未来のために。
……本当に、そうだろうか?
北部の古着には銀糸病の『病の種』が付着している。そんな服をほどいて布地を作り、新しい商品としてオウルベルクに安価で市場に流した。
これで、街は病に沈む。
一つ誤算だったのは、オウルベルクの領主の一人息子であるマティアスが想像以上に身体を弱らせていたということだ。潜伏期間を待たずして病が発症してしまった。これではカルデラン商会が関わったという証拠を消すことができない。
不幸か幸いか、レクシスの手によってマティアスは治療されているらしい。マティアスの命は助かり、しかし、レクシスにカルデラン商会が此度の騒動に関わっているということが知られてしまった。
「銀糸病は、本当に致死の病ではないのだな?」
「ええ、間違いありません」
ジェラルドに罪のない人を殺すつもりはない。医術の地位向上の踏み台になってもらえればそれでいい。
あの教会の馬車を襲ったという気の狂った襲撃者とは違って、街の人々は殺したくない。
だから、ジェラルドは致死性の低い銀糸病を街に広めることに協力したのだ。
しばらく沈黙した後、ジェラルドは顔を抑えて吐き捨てた。
「医術の発展にはレクシスが必要不可欠だ。あいつはアルミオシオンで生き延びた最後の医者……それをあろうことか、お前たちは……!」
──誘拐し、薬を作らせるように恐喝した!
それでは意味がないことが何故わからない。
あくまで自然に、悟らせず計画を進めることが最善だ。
……レクシスを敵に回したくはない。
妹が唯一愛した存在なのだ。大切に思わないはずがないだろう。
「落ち着いてください、オリンシア殿」監視官は静かに言った。
「本件はオリンシア代表に成果を示そうと急ぐあまり、私の部下が先走った結果でしょう。私の管理不足でしたので、どうかご容赦を」
「お前の下の者には厳罰をもって責任を取らせろ」
「……ええ、お任せください」
ジェラルドは立ち上がって上着をはためかせた。
「これよりレクシスの元へ向かう。謝罪と計画の本筋を説明するのだ。……最初からこうするべきだった……お前の言葉を聞いたばかりに」
「ですが、レクシス・グラマンは計画の全容を説明されたところで納得するような人物ではありません。街に病を広げるとは何事か、といきり立って責めてくるでしょう。──あれは、愚かなほどに理想主義のようですので」
「理想主義か。あのシミュラとは違い、レクシスはどこまでも理想主義を掲げる脆い男だからな……分かっている」
だからこそ、そこに惹かれる人は無数にいる。そして、その理想を叶える技術と知恵をあいつは持っているのだ。
ジェラルドが手を貸すには、少しばかり遠すぎるのかもしれない。
商会の利益と現状のリスクの天秤はすでにギリギリまで均衡している。
……決断するべきかもしれない。
グレゴリーは顔を上げた。薄赤色の毛がまるで垂れのように垂れ下がる。その奥には鋭い光を放つ瞳があった。
「どうするのですか?」
「グレゴリー監視官はついてくるな。私一人でレクシスと会ってくる。お前は護衛班の再編といざという時のために人手を集めておけ」
ジェラルドは自身の顔に手をかざした。そして、瞳から指の隙間を見る。その瞳は細められてあらゆる利益と損益、そして良心を測っている。
「説得が叶わなければ……計画は、破棄する。帳簿は全て燃やせ。『病の種』を広めた北部の布地は全て回収しろ……『司法の目』──他の監視官に見つからぬうちに」
「……了解しました。オリンシア殿」
帝国を守護するという監視官の職務につきながら、帝国に仇をなす計画をカルデラン商会に持ち込んだグレゴリー監視官。
彼は淡々と命じられた命令に従って行動するだろう。
そうして、ジェラルドはレクシスを説得するために商会から離れた。そのタイミングで、グレゴリーの口が静かに蠢く。
「残念だが、計画は最後まで遂行される。銀糸病と『冬至り』の合併症……致死の病と化したそれを止めることは叶わないのだよ、ジェラルド・オリンシア」
それに答えるように、どこからか年老いた老婆の声が聞こえた。
「──医者の付き人ならば正式な名前を覚えおきたまえ。『流行性感冒』だ、監視官殿」
それに含み笑いで応じると、グレゴリーは計画を完遂するため、ジェラルドの後を追って、悠々と歩き出した。
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