24.『傷』
「……おい、パトリツィア。これはどういうことだ。なんで治癒師がここにいる」
「分かりませんか? キノミさんたち、つまりこの街の治癒師の皆が抗病薬の量産に携わっていたんです。たまたまキノミさんとお話する機会がありまして、そこで私も知りました」
「冗談だろ? 僕が作った薬だぞ。アルミオシオンの薬剤師でも量産するのには苦労したのに、南部の治癒師に真似ができるなんてとても──」
パトリツィアにレクシスが詰め寄る。
「っ、」
手の打ち鳴らされる音が研究室の中に響いた。キノミが両手を上げて、音を鳴らしたのだ。
その表情は怒っているように見えながらも、どこか余裕のある様子だった。
「ライズの森に群生しているトロンジルに一定の滴下処理を行うとクロノミントと互換性があることが分かっています」
「……なに?」
「トロンジルの樹液にはクロノミントとは違い、鎮痛作用もありますから北部の地域で少量しか採れないグラシア草の粉末を混ぜなくても大丈夫です」
「……」
「抗病薬の副作用である陶酔感は、治癒師の清めの香に応用されています。あたしが提案して、タリゥム師が教会の本部を説得してくれました。これにより、最期まで苦しむ人はほとんどいなくなりました」
レクシスは信じられないような眼差しをキノミに向けている。
「一つ、レクシスさんにお願いがあります」
キノミは強い口調で言った。
「あたしたち治癒師を、舐めないでください」
「っ」
レクシスは気圧されたように、身体を反らした。驚いたような眼差しは明瞭に語っている。
何だこれは、と。
「分かりましたか? 治癒師を遠ざけることは良いことではありません」
「だけど」
「レクシス」
びくり、とレクシスの背が跳ねた。まるでこれから叱られる子供のようだ。
「──目の前の彼女は誰ですか?」
「……治癒師だ」
「名前は?」
「……キノミ」
目を白黒させて、レクシスは答える。パトリツィアは続けて問う。
「もう一度聞きます。目の前の彼女は誰ですか?」
レクシスの目に剣呑な光が宿る。
「何が言いたいんだ! 治癒師のキノミと言っているだろ⁉」
「ええ、その通りです。目の前の彼女はキノミさんです。──ガリテアではありません」
今、確かに目線が揺らいだ。だが、それも一瞬のことだ。
「それくらい知っている……」
「いいえ、貴方は分かっていない。……貴方は何を見ているのですか? 苛立ち、もどかしさ、苦しみ、罪悪感──その感情の向く先は誰なのですか?」
レクシスは黙ったまま俯いている。
握りしめた拳が、僅かに震えていた。
パトリツィアは淡々と言葉を突き立てていく。
「貴方はガリテアの影を追っているのです。ガリテアの雰囲気に良く似たキノミさんを、今は亡きガリテアに重ね合わせている。気にいらないのでしょう? ──ガリテアと同じ思想を持ち、彼女の言葉をなぞるキノミさんが治癒術に傾倒している姿が」
「……めろ」
「だから貴方はガリテアに良く似たキノミさんに、事あるごとに苛立ちをぶつけている。大して知りもしない彼女に、貴方が抱く権利のない苛立ちを、理不尽にぶつけているのです」
それは、ある意味鋭利にレクシスの最も弱く、脆い部分を暴いていく。
「……やめろよ」
「大人になりなさい、レクシス・グラマン。貴方なら分かるはずです」
手を伸ばそうとした瞬間、レクシスの顔が上げられて、手を振り払われた。
「──っ、」
「口を閉じろよ、監視官ッ! 君に何が分かる! 僕の気持ちを代弁して、勝手に理解した気になるなッ!」
「レクシス、落ち着いてください。私はただ──」
「分かっているさっ!」
悲鳴のような声。
「ガリテアはもう帰ってこない。それは彼女を殺した僕が誰よりも分かっている!」
真っ赤な熱を伴った音がレクシスの口から濁流のごとく吐き出される。
「だからといって僕の気持ちが収まるとでも思っているのか⁉ ああ、そうさ。僕はみっともなく、亡くした女の影をいつまでも追いかけているどうしようもない男だ。君はもうガリテアの死を受け入れたんだろ⁉」
言われた気がした。
君と同列に扱わないでくれ、と。
「だからといって、こっちにも同じことを求めるなよ‼ 同じ尺度で図ろうとするなッ‼」
レクシスの瞳と真っ直ぐ見つめ合う。
パトリツィアの瞳に何を見たのか、レクシスは酷くショックを受けたような顔を見せている。そして、ふらふらと後ずさって、様々な薬品が置いてある机にぶつかった。
色とりどりの薬品が転がって、床にぶつかる。硬質な音が軽く響く。
「っ……少し、一人にしてくれ」
机に手記を叩きつけるように置いて、レクシスは研究室を飛び出した。
「……パトリツィアさん……? レクシスさんは……」
中途半端に伸ばされた手が、空気を掴む。
ゆっくりと下ろされる。……ああ、間違えた。まさか、レクシスはあそこまでガりテアの事を思い詰めていただなんて。あの女癖の悪さは、ただの逃避だったのか?
「あ、あたし、追いかけてきます!」
キノミが研究室から飛び出した。
一人残されたパトリツィアは、ただ立ち尽くしていた。
床に落ちた薬品の瓶は、一滴たりともこぼれていない。レクシスが商会に提案した安全対策として薬品の瓶にはしっかりとした密閉対策と硬質硝子が使われている。
「……」
パトリツィアは、黙ったまま散らかった研究室を片付け始めた。
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