23.『医者の研究室』

 カルデラン商会が用意した研究室は、オウルベルクの城壁に面した目立たない民家だった。遺体を運び込むのにも教会の目をかいくぐる必要があり、この立地は充分と言える。


 遺体を運び込む間はまるで犯罪者のような気分になるが、腹立たしいことに教会にとって異端は犯罪者と同列なのだから笑えない。

 研究室の扉を開くと、行儀悪く机に座ってペンを動かしているレクシスを認めた。


「早いですね」


「自由に使える遺体が手に入ったからね。研究も進むさ」


 淀みなく答える割には手の動きはまるで止まらない。覗き込むと、瓶に詰められた赤黒い肉の組織を観察して手記に描き写しているようだった。


「もうバラしたんですか」


「いや、まだ一部だけだ。パトリツィアがいないとどうにも調子がでなくてね」


「……本当に勘弁してください」


 そばに括り付けられていた革手袋をはめる。そして、今まで目を逸らしていたところに目を向けると。

 襲撃者たちの遺体が三つ横に並んでいた。顔は白い布で申し訳程度に隠されており、血は全て抜いて別に保存している。血の代わりに透明な薬液を流し込んでいるため死体というよりも精巧な人形のように見えた。

 刃を突き立てた跡はまるで壊れた人形を繕うように修繕されており、何とも言えない気分になる。


「触る前にしっかりと消毒をしてくれよ。遺体の消毒と殺虫は徹底させたとはいえ、気をつけて悪いことはないからね」


 一つ息をつく。


「……私たちを襲ってきた連中で、私が殺したとはいえあまり気分は良くありませんね」


「今回ばかりは我慢してくれ。でないといつまでも創薬は進まない」


「レクシス」


 一つ気になることがあった。


「ここ三日に入って貴方は随分と落ち着きがないように見えます。あの夜、オリンシア代表と何を話されていたのですか?」


 ペンの軌道が、少しぶれた。


「……ただの世間話さ。あれでも一応の家族なんだ。身内で話したいこともある」


「そうですか」


 嘘だ。

 レクシスは嘘をついている。

 パトリツィアは知っている。レクシスは隠し事があるときはこちらに顔をなるべく見せない。それでいて──集中しているふりをする。

 現に、先ほどから走らせているペンの軌道はまるで無秩序に動き回っている。

 とはいえ、一監察官であるパトリツィアがレクシスの秘密を暴く必要は今のところない。

 パトリツィアが問題とするのはレクシスが帝国に仇となるときだ。


「ところで、三日間でどこまで進みましたか? マティアスくんのところには、このところ毎日治癒師が通っているそうですが」


「病の特定は大方進んだよ。だけど、この地域に存在しない病だったのが気にかかる。……治癒師の連中は分かっているのかどうか。患者の死に顔を整えて、満足に浸っているどうしようもない奴らだからね。病の真実を見ようともしない」


 レクシスは吐き捨てるように言った。


「そうでしょうか。キノミさんは、頑張っているようですけれど」


 ここでレクシスは初めてパトリツィアに顔を見せた。やつれている。隈が酷い。睡眠を重要と言っている顔にはあまり見えない。

 この点、二人は良く似ている。


「……パトリツィア。僕の前で治癒師の話題を出すな」


「キノミさんは良い子です。そう邪険にしないでください」


 睨みつけられた。


「僕は彼女を懇切丁寧に扱っているつもりだけど? ……というか、いつから君たちはそこまで仲良くなったんだ? 今度仲良くなる方法をご教授してくれ、参考にさせてもらう」


 どの口がそれを言うのか、このお子様が。

 相変わらず言っている内容と表情の合わない男だ。


「……貴方は」


 少し迷って、


「いえ、なんでもありません。ですが、いつまでも治癒師を毛嫌いすることは、貴方の大好きな効率に大きな影響をもたらしますよ」


「……? 何のことだ?」


「こういうことです」


 パトリツィアから数分遅れて研究室に入ってきたのはキノミだった。白いフードを脱いで、赤い髪の毛を晒している。

 彼女は毅然とした表情で、レクシスに向き直ると頭を下げた。


「失礼します。オリンシア代表に呼ばれてきました、治癒師見習いのキノミです。抗病薬は、医術が作った薬だったんですね」


 レクシスは驚きのあまり固まっていた。

 ペンが指先から滑り落ちる。ぽつり、とインクの滲みが手記に残った。

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