第42話.特別プロジェクト



ある日、爽香から彼方に電話がかかってきた。

「彼方、大ニュースよ。あなたにぴったりの相手が見つかったわ。」


「どういうこと?」

彼方が聞く。


「あなたの理想に近い相手が見つかったのよ。たまたま、うちの父の会社の従業員だから、私はちょっとめんどくさいことになるので、彼方に譲るわ。


データ送るから見てちょうだい。]



「ふうん。利益相反って感じ?」

彼方が言う。


「ま、そんなとこね。」

爽香が答える。


「ま、それはともかく、資料を送るから、頑張ってね。」


そう言って、電話が切れた。彼方は、送られてきたデータを見る。


…田中一郎。40歳。童貞。独身。性格はいたって真面目。プログラミング一筋で、さわやか業務システムの開発者。


写真も付いていた。

彼方は、一目で気に入った。


真面目で童貞。これが、彼女の理想とする相手だったのだ。


遊び歩いた男は嫌だ。自分を初めての女にして、そのまま一生添い遂げたい。


彼方は以前からそう公言していたのだ。


データを再度確認し、彼方は承諾した。



翌日会った爽香は言う。

「これは、両社始まって以来の大プロジェクトにするわ。

彼方、絶対ものにしてね。真理の旦那も超乗り気よ。


2社合同で、大プロジェクトにするわ。」


真理の旦那とは、大童貞男のことだ。

爽香は続ける。


「ユカの旦那が、プロジェクトマネージャーとして、話を進めるから。」


ユカの旦那は、白平だ。


「彼方、引っ越しの準備をしておいてちょうだい。出会いの演出から始めるわ。引っ越し代はプロジェクト費用で出すから、荷物の整理だけしておいてね。」


爽香に言われ、彼方は引っ越しの準備を始めた。


爽香の詳細な話を聞いて、彼方は驚いた。


なんと、貞男は、田中一郎が住んでいる。タワーマンションを一棟丸ごと購入したのだ。本気のほどがうかがえる。



彼方も気合を入れ、忙しい業務の合間を縫って、エステに通う。


プロジェクトが始まった。白平は、田中に会い、株式会社童貞のスカウトを装って、彼に近づく。


その際、流行のチョコレートの箱を持っていき、後に田中が彼方に会った時に、彼方へのプレゼントとさせるように仕向ける。


翌日、彼方は朝から引っ越しをする。白平は、田中を、株式会社童貞へと呼び込む。彼は、田中を遠くから見て、やはりこの人だと言う思いを深める。


田中が留守の間に、大家である貞男は、田中の部屋に業者を使って人感センサーを取り付ける。これで、田中が部屋にいるかどうかがわかるようになった。もちろんプライバシーに配慮しているので、それ以上の情報は取らない。


彼方が引っ越しの部屋を片付けていると、爽香から連絡が入った。


「ターゲットTが戻ってきたわ。今、マンションの玄関のドアロックを開けて入ったところ。スタンバイしてね。」


「了解。」彼方は答え、引っ越しの挨拶のタオルを持って部屋を出る。


このタオルも、田中にしか渡さない。


というか、田中は知らなかったのだが、同じフロアのもう三人の居住者は、事前に別のフロアに引っ越していたのだ。これもプロジェクトを進めるための配慮であった。


エレベーターホールに人が降り立ったのを感じる、彼方は、田中の部屋のインターホンを押す。


もちろん誰も出ない。そこに田中がやってきて彼女に聞く。

「何か御用ですか。」


彼方は、何十回も練習してきた言葉を言う。



「こちらにお住まいの方ですか?」

田中がうなずくと、爽香は続ける。


「今度、隣へ越してきた佐藤です。こちらは、つまらないものですが、ご挨拶代わりにお納めください。」


と言ったた時、田中が持っていた紙袋が盛大に破れた。


コンピューター関係の本がたくさん入っていた。本当に勉強家なんだな。彼方は感心した。


そこからはスムーズに会話が弾み、第一段階のコンタクトは成功だった。

課題だった名刺交換もうまく完了できた。


白平が田中に渡したチョコレートも、ちゃんと彼方に渡された。

シナリオ通りだ。 Sofar, so good.




数日して、最大の難関がやってきた。プロジェクト成功のためには大きな出来事が必要だ。ショッピングジョイやドリームトレーディングでは、これを「クリティカルイベント」と呼んでいる。


スタンバイする彼方に、爽香から連絡が入った。

「ターゲットTが駅から出たと連絡が入ったわ。あと3分。


ここからは電話を切らずに指示に従ってね。」


「了解。」


近くの交差点のところで、隠れて連絡している爽香が言う。


「私の位置からもターゲットTを確認。曲がり角に近づいたよ。彼方、スタートよ。ここからはあなた次第。

頑張ってね。電話を持ったままでね。そのままゆっくりとマンションの方へ歩いて行ってね。」


「緊張するわ」

彼方は言う。


「あなたの人生がかかってるのよ、ここでやらないでどうするの。

ほら、Tが近づいてきた、そのままあなたはマンションの入り口で転びなさい。頑張ってね。」


「わかってるわよ。」


彼方は、電話を耳に当てたまま、ゆっくりと歩く、ここだ。


彼方は人生を賭けて、つまずくふりをした。


痛い。


つまずくふりのつもりが、人生を賭けて緊張してしまったのだろうか。本当に派手に足をひねり、膝から地面に落ちた。足首も痛いし、膝からも血が出ているようだ。


田中が急いでやってきた。


彼方を見て、迅速に自室に運び、素晴らしい手際で、手当てをしてくれた。


本当に素敵な人。彼方は、この一瞬で恋に落ちていた。





次は、定番だが、料理イベントだ。大人なので、そのままなだれ込みたい。


ゴールデンウィークの3日目に、手料理を振る舞う約束をした。


そのための準備も、事前にしてある。掃除もばっちり、シーツも新品を用意した。



ゴールデンウィークの初日、彼方は打ち合わせのためにショッピングジョイに行くことになっていた。


その朝早く、爽香から緊急の電話がかかってきた。


「大変よ。田中さんが、別の女にたぶらかされそうになったわ。何とか、ユカの旦那の白平さんが、救出してくれたみたい。もうすぐ戻ってくるわよ。」


彼方は、急いで着替え、玄関ホールで田中を待つ。


ゴールデンウィークの初日とあって、マンションの住人は、外へ出て行く人たちが結構いる。


彼方は、エレベーターホールで、田中を待った。


一時間ほどして、田中が戻ってきた。タクシーならすぐなのに、どうやら電車で帰ってきていたようだ。


待たされたこともあり、入り口で田中にすれ違う時、彼方は、ちょっと皮肉を言いたくなった。


「あら、朝帰りですか、昨夜はお楽しみでしたね。」


田中の言い訳が聞こえた。

「えー、飲みに行ったら、いろいろありまして。今帰ってきたところです。」


言葉が止まらなくなった。

「女遊びもほどほどにしておいたほうがいいですよ。」


こんなこと言うつもりもなかったのに。これで嫌われたらどうしよう。彼方は、すぐ後悔したが、もうどうしようもなかった。


田中はうなだれて、部屋に戻っていく。


同じようにうなだれて、彼方は爽香に会いに行った。



料理の打ち合わせをした後、意外なことを聞かされた。


なんと、明日、爽香が田中と会うことになったとのこと。しかも、実質的なお見合いみたいなものだと言う。


「なにそれ?」

彼方は焦った。


「プロジェクトはどうなるのよ?」



爽香は答える。

「大丈夫よ。私、断るわ。あるいは、断られるように仕向ける。

せっかくの彼方のプロジェクトなんだもの、邪魔はしたくないわ。」


それを聞いて、彼方はちょっと安心した。

だが、田中に対してのモヤモヤは止まらない。


私と言うものがありながら、外泊したり、他の女とお見合いするなんて、許せないわ。



いや、彼方は、まだ田中の中では何者でもないのだ。それに気づいた彼方は1人で顔を赤らめた。



田中からのメッセージにも、既読スルーしてしまった。何やってるんだろう私。本当にめんどくさい女ね。

と、彼方は自嘲する。



田中からは、社長の家、つまり爽香の家に行くと言う連絡まであった。本当に律儀な人だ。



その夜の「明日よろしく」と言う田中からのメッセージには「お待ちしています」と言うスタンプを返した。


だが、「うだった?」

と送った爽香からは、何のメッセージも返ってこなかった。




いよいよ当日となった。


彼方は、腕に寄りをかけて料理を作った。さすがにこの年齢にもなれば、料理もそれなりにできる。自分にしか作っていなかった料理を、他人に食べてもらえる。それだけで、テンションが上がるのだ。


ついに、田中が部屋にやってきた。スモーガスボードを出して、ゆっくりしてもらおうと思っていたら、田中は一緒に飲もうと言ってくれた。


あー、本当に私、この人がいいわ。

彼方は思う。 


そして、料理を食べ終え、ソファーへ移る。


彼方は気合を入れ直し、化粧も直して、田中の前にワインとチーズを運ぶ。


本当に良い雰囲気だ。シナリオは完璧だ。後は、このまま田中に身を任せよう。


そうすれば、処女卒業だ。そして、真面目な田中のことだ。その先も期待して良いだろう。


田中が、彼女をお姫様抱っこし、ベッドルームへ連れて行ってくれた。

あとは、身を任せるだけだ。


だが、田中の胸のキスマークを見た瞬間、何かがはじけてしまった。


私と言うものがありながら、何も胸にキスマークなんかつけてるの。もしかしたら、さっきのキスだって、他の女のことを考えてたみたいね。


そんなことが、頭をぐるぐる回ると、もう止まらなかった。


彼方は、思いっきり田中を押し出す。田中はベッドから転げ落ちてしまった。

自分で何を叫んだかもよく覚えていない。



自分の馬鹿さ加減と情けなさに震えた彼方は、田中に背中を向けて、ただベッドで震えていた。。


田中はそのまま自分の部屋に帰ってしまった。



なんてことをしてしまったんだろう。

彼方は後悔して泣いていた。 新品のシーツは、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった


爽香から電話がかかってくる。

彼方は仕方なく電話を取った。


「どうだった?」


彼方は泣きながら答える。

「最後の最後で、キスマークを見たら拒否しちゃって、嫌われちゃった。」

そう言って彼方は泣く。


「ちょっと、どうしたの。とりあえず、明日の晩お話ししましょう。」


明日はゴールデンウィーク明けで仕事だ。夜に、爽香と会うことにした。


田中のメッセージを開く気にはなれなかった。



翌日の晩、彼方ら爽香と会い、何があったかを説明した。


爽香は呆れたように言う。

「あんた、何やってんのよ。プロジェクトが台無しじゃない。ここまでお膳立てしてあげたのに、何よ。


大体、キスマークがフェイクだってわかってるし、たとえ本物だったとしても、まだ童貞なんだから、あなたが先に奪っちゃえばよかったのよ。」


「だって…」

彼方は愚図る。


「一つ言わせてもらうわ。」

爽香は真剣な顔で言う。


「昨日、田中さんに会ったわ。予想以上に素敵な人だった。


社長令嬢としての私ではなく、1人の女性、1人の人間として私のことを素敵だと言ってくれた。こんなの初めてよ。


あなたが自分で彼を拒否したことだし、私も、田中さんの獲得競争に参加することにするわ。これは決定事項よ。」


「え、なに、それひどい。」

彼方は抗議する。


「ひどいのはどっちよ。これだけのお膳立て全部パーにして。」


その時、爽香に電話がかかってきた。

電話を取った。爽香の顔色が変わる。


「わかった。すぐ対処する。」



「何?システムトラブル?」

彼方が聞くと、


「それどころじゃないわよ。田中さんが、年増のバツイチ女と、ツーショットで飲んでるの。すぐそばにラブホがあるのよ。


田中さんに電話をかけるわよ。私の後あなたもかけて。」


そう言い捨てて、すぐに爽香は田中に電話をかけた。無理矢理、田中と会う約束を取り付け、早まらないように釘を刺して電話を切った。


「次はあなたの番よ。」


彼方も田中に電話をかけ、会う約束をして、釘を刺して、電話を切った。



それからほどなく、田中が一人でバーに入りかけたが、結局帰宅すると言う連絡が入った。


「田中さんに監視をつけといて本当によかったわ。」

爽香が言う。


「こんな伏兵がいたとはね。こんな年増女にたぶらかされるんじゃないわよ。絶対阻止ね。」


爽香がちょっと怒ったふうに言う。


「何言ってんの。私らも結構いい年なんでしょうが。」


「向こzうは出戻り子持ちよ。こっちは2人ともピチピチの処女じゃないの。負けるわけにはいかないわ。」


「ぴちぴちかどうかは、ちょっと疑問がないわけじゃないけど、獲得競争がより厳しくなった事は確かね。お互いがんばりましょうね。」


やっと彼方も冷静になった。



こうして、翌日、爽香が、そしてその翌日彼方が田中に会い、アピールした。


やることはやった。後は田中の決断だ。





そして、彼方は思う。

(何とか勝てたのね。爽香の分まで、幸せにならないといけないわね。

それから、あの約束も、ちゃんと果たさないとね。)



爽香は、そんなことを思った。


これが、プロジェクトGT,つまりプロジェクト・グレートタナカ

の裏話である。

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