第32話 参加表明


翌日水曜日、俺は、二日酔いの頭を抱えながら、何とか会社にたどり着いた。席について、途中のコンビニで買ったトマトジュースを飲む。今日の朝食は、これだけだな。


みさきがやってきた。本来の出社は9時からなのに、30分ぐらい早い。

連休の合間にも来てくれるのはありがたい。


いや、部長として言ってるんだよ。男として、じゃないからね。


ジャケットを取ったみさきは、今日もブラウス越しに、すばらしいメロンのような双丘を惜しげもなく見せている。


トマトジュースもいいが、メロンを食べたいな…あのメロンにかぶりつきたい…そんなことを思う。


「おはようございます。部長、二日酔いですか?」


トマトジュースを見ながら、みさきが聞いてくる。


「そうだよ。ちょっと悪酔いしてね。」


「そうですか、健康には充分気をつけてくださいね。元気なのが一番ですよ。」そう言って、みさきがウィンクした。


そういえば、みさきには、俺の、朝に元気だったところ見られているな。パンツ越しだけど。


そう思ったら、二日酔いでヘロヘロにもかかわらず、一部元気になった。これだから童貞は単純だな。



みさきが、小声で言う。

「メロン食べたいんですか?お元気ですね!」


…読まれている。そんなにわかりやすいのか。

俺は恥ずかしくなって下を向く。


ついでにマイサンも下を向いた。


連休の合間ということで、出社してる人間が少ないし、急ぎの仕事もない。

俺は、久々に、自分でのコーディングを楽しむ。やっぱり、プログラムを書くのは楽しいな。管理職よりこっちの方がずっと良い。


無心にプログラミングしていると、昼ご飯の時間になった。


俺は、みさきと、出社している部員二人を誘って、昼飯に出た。


さすがに、この人数だと、全員におごるわけにもいかない。ただ、みさきが派遣だし、負担をかけるのも申し訳ないので、彼女の分だけは払うことにした。


特に他の連中も異存は無いようだ。

というか、若手の土佐君、お前が払うのはおかしいだろ。そんなとことで、かっこつける事は無いぞ。


などと、若い人間と、無駄に内心張り合ってしまった。やっぱり、みさきといると、心が踊る。


「そういえば、社長に呼ばれたって言う噂を聞きましたけど、何したんですか?」

若手の土佐が無邪気に聞く。


俺は、一瞬引きつったが、無難に答える。

「俺がゴルフをやらないもんだから、最近どうとか聞くのにわざわざ呼んだだけだよ。きらも、ゴルフをやっとかないと、休みの日に社長に呼ばれるかも知らんぞ。」


俺は半分の真実を答えた。


「ああ、ゴルフですか。むしろサバゲーの方がいいけどなぁ」と土佐君が答える。


「さすがに社長はサバゲーやらねぇだろう。」と言ってみんなで笑う。


(会社経営そのものが、サバイバルゲームなんだけどな。)俺は心の中で思ったが、口には出さなかった。


午後になって仕事していると、みさきが書類を持ってきた。


「部長、これお願いします。」


受け取ると、書類の上にメモが付いていた。


電話番号とメッセージのIDだった。

その下に「連絡くださいね!For your eyes only」

と書いてあった。


俺は「わかった。」

とひとこと言って受け取る。


その後、スマホとメモを持ってトイレに行き、アドレスを登録し、メモを細かくちぎって、トイレに流す。本当はいけないことなんだが、まぁ細かく千切ったから大丈夫だろう。


For your eyes onlyと言うのは書類に書いてある時には「秘密」と言うことだ。ちなみに、007の映画にもそういうタイトルがある。映画ではユアアイズオンリーとカタカナだったが、英語ではちゃんとForがついている。


イアン、フレミングの原作短編を日本語に訳したときのタイトルは、「読後焼却すべし」だ。ジェームズ・ボンド好きの田中としてはちょっと嬉しい。まあ、007と違って俺は童貞だが。


焼却しないで流しちゃったけど、まぁいいだろう。トイレで燃やして火災報知器でも鳴ったら、スパイ映画じゃなくてコントだ。


仕事をしていると、社長が向こう側を歩いていた。俺は、目線も合わせないように下を向いた。

社長もあえて俺には声をかけなかった。


今がモラトリアム期間であることを実感した。何らかの結論は出さなければならないな。


そのために、今夜爽香さんに会うわけだな。




夜、爽香さんとの待ち合わせ場所に行った。

落ち着いたフランス料理だ。さすが、社長令嬢かつ自分の会社の役員だな。


俺はネクタイが曲がってないか確認する。


爽香さんはもう来ていた。綺麗なワンピースだ。高そうなブローチもしている。

ディナー用に着替えてきたのかな。


「お待たせしました。」俺は言う。

「いえ、時間ぴったりですよ。」爽香さんが答える。


ウェルカム。シャンパンで乾杯した。

改めて見ると、爽香さんは化粧もばっちり、髪型も綺麗にセットされている。


女性って大変だなあ、などと思う。俺は会社からそのまま来たのでスーツ姿だ。


最初のうちは当たり障りのない話を続けた。今日はメインを魚にしたので白ワインだけだ。


メインが終わって、ケーキとコーヒーが持ってこられた。


爽香さんは、決心したように俺に言う。


「父といろいろ話しました。田中さんが、あの時辞表を持っていたことも含めてですね。」


ああ、そんなことまで伝えてしまったのか。家族だもんな。


「それで、うろたえる父を何とか説得しました。

婿入りの話は、なかったことにしてもらいました。」


俺は、ちょっとほっとした。やっぱり、次期社長と言うのは、俺には荷が重いと思う。


爽香さんが居住まいを正して真剣な顔をする。

「それで、今度は違う話です。」


俺も身構える。

「なんでしょうか?」


爽香さんが、まっすぐ俺を見据える。綺麗な目だな、と思った。

「あの時言いましたよね。父の飾りではなくて、私を一人の女性、一人の人間と見てくださったのは、あなたが初めてですと。」」


「はあ。」


「あの瞬間、私は、年甲斐もなく、恋に落ちてしまいました。

田中さん。家の事は抜きにして、爽香と言う女性と、お付き合いしていただけませんか?


別に、すぐに結婚しろとか言うつもりはありません。普通の男女関係として、時を共有して、お互いに高めあっていけるような間柄になりたいんです。」


あなたの望む通りにできるだけのことをします。ですから、私のことも考えてください。」


俺は戸惑った。あまりに唐突だったからだ。

昨日の和香と言い、今日の爽香さんと言い、一体どうなっているんだろう。


俺たちはデザートまで食べ終わり、コーヒーを飲み終わる。


爽香さんは言う。

「ゆっくり考えてください。


今日は、言ってみれば宣戦布告です。」


え?宣戦布告?

「物々しいですね。僕はあなたと戦ってはないと思います。」


俺は答える。


「そうですね、田中さんとも戦争をするわけではありません。そうですね。言い換えれば、参加表明とでも言うんでしょうか。」


爽香さんは、にっこり笑う。



参加表明?何かよくわからない。まぁいいだろう。難しい事は考えないようにしている。まぁ今までそれで失敗してきたんだが。


「分りました。ちゃんと考えさせてください。」


女性から、告白されるなんて経験、以前はあまりなかったものですから、

戸惑ってしまいます。」


「あら、最近はあるのかしら?」爽香さんはいたずらっぽく笑う。


俺は何も答えられなかった。


「そうですか、やっぱりおモテになるのね。」


俺が何も言っていないのに、爽香さんはそう言った。


やっぱり、表情を読まれたらしい。

イージー田中とでは呼べばいいんだろうか。


俺は複雑な思いで、マンションに戻った。


じっくり考えるつもりになって、風呂を沸かした。



同世代の女性から、二日連続で、付き合ってくれと告白された。こんなモテ期が来るとは思わなかった。


しかも、明日は、この前おじゃんになった佐藤さんとの待ち合わせだ。


とりあえず明日は深い関係になることがないだろうけれども、誤解を解かなきゃな。


俺は気がついて、一旦風呂を出て、スマホでキスマークの消し方を検索する。


風呂でのやり方が書いてあったので、ビニール袋にスマホを入れて風呂の中に持ち込む。


書いている通りに、冷やしたり温めたり、歯ブラシでこすったりいろいろやってみた。

少し薄くなったが、なかなか落ちない。



よくネットを見ると、多少は薄くなりますということであって、消し方ではなかった。


まぁ、少しは薄くなった。いざとなれば、キスマークの上に、サロンパスでも貼っておこう。ほかのやり方でコンシーラー?というのもあったが、意味がわからかった。


サロンパスなんて、おじさんみたいかな。これはこれでどうかと思うが、キスマークよりは多分マシだろうね。


俺は何度かキスマークを消すように試しつつ、爽香さんや和香とのことを反省し、その一方で、明日の佐藤さんにどういうことを言おうかなど、いろいろ考えた。


風呂に居すぎて、半分のぼせてしまった。

とりあえず水をがぶ飲みし、そのあと頭から水をかぶって、なんとか持ちこたえる。


修行僧みたいだな、なんてふと思った。





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